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何かにつけて愚痴りたい!怒りたい!そんな感情が嫌だ。

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最近、仕事が忙しいのか?自分が流されて生きているからなのか?

周りは皆精一杯頑張って幸せに生きているのに自分だけが成長も進歩も無く同じ場所で足踏み状態になり取り残されているような感じなのは何故だろう。…

そんな虚しさがこみ上げています。

楽しすぎた年末年始明けからの仕事の忙しさによる疲れからなのだろうか。。。
そんなことを考えていながら、モヤモヤしています。

そんなどうしようもない感情でいるので
何かにつけて、グチをこぼしたいし、怒りたい、そんな自分の感情が嫌です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「三毒」

人には誰しもが罪の心や悪の心を持ちます。その中に三毒という罪があり懺悔を持って消滅する事が出来ます。
人は誰しも罪過を造らずには、生きていけません。
してはならないことをし、言うては成らない事を言い、思うては成らない事を思う。例え一つ一つが軽くても一生の間に積み重なり大きな罪過となり、私たちを引きずり回し迷いをもたらす事となる。
お釈迦様のお教えの元、どんな罪業も懺悔文をお唱えし悔い改め心より善行を行うるならば消滅する事ができます。
(懺悔文)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

 私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。

 釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。
貪(とん)「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
瞋(じん)「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態
痴(ち)「愚かさ」
(貪、瞋、痴)の三毒
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳を受けるのです。
誰しも罪があって当たり前なのです!しかしその罪をいかに自覚し消滅するかが大切なのです。罪や悪を感じるだけで終わる事なかれ!善行を持って真実の生き方を知る。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

山口秀徹様
コメントをありがとうございます。

せっかくご丁寧に頂いたコメントですが、私には少し難しく完全に理解をしていないかもしれません。

私なりにありがたくお言葉を解釈したのですが、自分の愚かさを知る、そして懺悔の気持ちを持つ、そのあたりからまた日々考えていきたいを思います。

そして善意を持ってこれからを生きていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

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