心が重い
おはようございます。
鬱病になり、数年になります。
病院に通いカウンセリング 薬の服用をしています。
中々良くならず、毎日心が重いです。
上の娘が受験生という事も有り、日々心が疲れております。その中、ヘルニアになり、何故今、、、という気持ちになります。
仕事もしていますが、人事異動で社内の人の入れ替わりが有り、中々馴染めず、辞めてしまおうかと考えております。
本当は、家に居たいのですが、主人の稼ぎだけでは、生活出来ないので、渋々仕事を続けて居ます。
鬱になってから、幸せは、感じた事が有りません。
いつになったら、鬱は良くなるのか?ヘルニアは、良くなるのか?
毎日、不安の戦いです。
心が重く 疲れてしまいました。
こんな自分でも生きる価値 生きる意味は、あるのでしょうか?
分かりにくい文ですみませんm(_ _)m
誰かに聞いて頂きたく、相談させて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
身の回りの感謝。
拝読させて頂きました。
小林正観さんという方の本の中に、こんな言葉が有りますよ。
「私達は普段、何か辛い事が起きると、そこばかりに意識が囚われてしまって、実は有難い事を見落としてる事が多い」のだそうです。
例えばこのメールを打つ為に、目が見えていること、手が自由に動いていること、家族が無事に過ごしていること、お子さんが受験生まで無事育ってくれたこと、などです。当たり前過ぎて通り過ぎてしまっている物事の中に、実は有難い事はたくさん隠されているのです。ママさんはそういった事に意識なされた事はございますか?意識すれば意識するほど何気にキリがないくらいあるものです。
難しい事は考えなくて宜しいのです。
まずは身の回りの見落としがちな有難い事を意識して見直してみましょう。
そしてその1つ1つに有難うという感謝の気持ちを持ってみませんか?そうすれば、少しでも今と気持ちをが変わってくるかもしれません。
辛い事に意識しすぎると、ママさんもどんどん辛くなるでしょうから、良かったらやってみて下さい!
身体も大事
拝読させていただきました。
体は生きたがっていますが、頭は勝手に死にたがっているようですね。そこにズレがあります。
ママ様は、私の象徴は「首から上」だと思っていませんか?頭が私で、胴体は付属品ぐらいに思ってませんか?
たしかに頭(脳)は大事で、私が人間社会を生きていくために大事な部位ですが、私=脳ではありません。脳が思考を作り出しているからそう思ってしまいますが… 正確には脳だけで思考しているわけではないと思います。脳だって、人体のなかで完全に独立して存在しているわけではないし、神経や血管、筋肉、臓器などなどと繋がっているます。ということは、ほかのいろんな部位、器官の影響を受けて脳が働いているわけです。脳が産み出す思考も、体の影響をもろに受けて涌いているわけです。なのに頭は、「私が主で、体は道具」ぐらいに勝手に思ってます。
それは社員を労働力としか思っていない社長のようです。社員を「労働者」として大切にしてこそ、その会社はなが続きするのではないでしょうか。
思考は、過去の記憶や習慣がもとになって頭で勝手に作り出されたものです。「私が作り出したのではない」し、「私自身ではない」と知りましょう。
もともと人間に良い悪いもなく、良い悪いと判断し価値をつけたがるのは、「思考」です。
思考から自由になって、安心して生きていきましょう。
質問者からのお礼
文世様
御回答頂き、有難う御座います。
1つ1つの有難うという感謝の気持ちを持って、少しずつ前に進んで行けたらと思っております。
有難う御座いました。
宗像義順様
御回答頂き、有難う御座いました。
1年前に自殺未遂をしました。その日から何度も同じことを繰り返しながらも、今日まで何とか生きて来ました。
少し思考から外れて考えてみたら、違うものが見えるかも知れないと思いました。
有難う御座いました。