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ご先祖様について

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初めて質問させて頂きます。
先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。
もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。
「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか?
長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「ご先祖様」に生まれ変わる(「先祖に“する”“なる”」)

hideさん、こんにちは。

輪廻についてですが、仏教からはじまった考え方ではありません。
そして、「人は死ぬと生まれ変わる(生前の行いによって、生まれ変わる先が決まる)」・・・“かもしれない”というところがポイントかと存じます。

申し訳ないのですが、答えをバシッと出してくれないのが仏教なのです。
なんてったって、生物が死んだ後どうなるか・・・分かりませんよね。誰も知りません。
でも、考えることはできます。そして、生きていくことが大切だと仏教は説いています。

“生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在する”かもしれません(となりのオバサン、地球の裏側のだれか、虫、植物など)。
“「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれている”かもしれません(誰もいないのに二階で物音がする、風が吹いた、夢にでた、仏壇・お墓のまえで手を合わせる)。
“六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の世界をグルグルまわっている”かもしれません。
さらに、六道とはいま生きているこの世界のことで、生きている私達が自分の行いなどによって「天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄」に只今なったりならなかったり・・かもしれません。

以上、全部そのとおり・・かもしれません。

自分にとって大きな存在の誰かが亡くなったとき。それだけ大きな存在に今、私自身見守られている・・と考えて生きていくこと。
何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいる・・と考えて生きていくこと。

以上二つの「先祖に“する”“なる”」の同時並行。
私達が考えて生きていくことが、亡くなった人たちが「ご先祖様」として生まれ変わることにもなる。私は、そう考えています。

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...
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現代的な六道輪廻脱出論。

輪廻とは、本来の純粋仏教というより歴史が産んだ一つの思想として捉えるべきです。
輪廻思想によって良い行いを積むようになり救われる人が当時沢山おられたのでありましょう。
ですがあくまで思想ですので、現代の日本では根拠のない空想めいた話は理知的な方に通用しません。
死後の世界も検証のしようがない為、輪廻とは生きている人間の精神状態である、と説かれるようになりました。

天上界…一時的幸福状態
人間界…勝ち負け・好き嫌い・善悪などの相対観念に陥っている状態
修羅界…争い・ケンカ状態
餓鬼界…自分の事ばかりの自己中心的状態
畜生界…非人間的な言動につながる精神状態
地獄界…苦しみ状態

これら六つの精神状態をグルグルする生き方から、一歩踏み出して「仏にならんと一歩進めて、六道輪廻な心を離れようとする姿」が、お釈迦様が生まれて七歩 歩んだという故事に繋がるのです。
ですから、死後ではなく生きながら負のサイクルの六道輪廻から一歩踏み出して七歩目の歩みを今日、歴史を超えてお釈迦様と共に歩むことがあなたの本当の仏教的生き方の始まりです。

ご先祖様について
たとえば、人が亡くなったら、どうするべきなのか。
外国の街中では亡くなった人が数日間、横たわったまま放置されていることがあります。
それがもし自分の親だったら放っておけるでしょうか。
決してそのままにはしてはおけない。弔い、供養をしなかったら人は死んでそれっきり。それでは処理にすぎません。
亡くなったあとでも、生きている私たちを見守っていて欲しい、支えていて欲しいと慕う心が、 亡き人を敬い崇める追慕の気持ちとして現れる。
それが亡き人を先祖先亡として“生まれ変わらせる仏教独自の宗教行為であり、生きている人と亡くなられた方とが死後も交流を重ねられる最高の関わり合い方なのです。とある宗教では法事はありませんからね。亡くなったらある意味それっきりです。
亡き人をずっと無き人とさせず、死亡日を命日と呼び、永遠の命の形として敬い、お祀りをする。
故人を無(亡)くしたままにさせず、心的存在として先祖先亡の霊位として崇め、見守っていただく。永遠の命という存在として、生前とあい変わらぬ心の交流を重ねていく。
先祖を実感し供養する行為こそは豊かな心を持った人間の最高の生き方であると言えましょう。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話  自己を明らかにするために絶対に必要なこと 「非思量」 ...
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生まれ変わらないのが仏

生まれかわりを続けることを輪廻と呼びます。世の中は苦しみに満ちた迷いの世界ですので、生まれかわりを続けるのは苦しみの再生です。お酒を飲む人が二日酔いになって「もう二度と飲むもんか」と思うのに、すぐにそれを忘れて、次の日にまたお酒を飲む、、、、ようなものでしょうか。

その輪廻の輪っかから解放される事を「解脱(げだつ)」といいます。解脱された人が「仏」であり、hideさんの考えるご先祖様もそういう存在です。ですので仏様(ご先祖様)は生まれ変わりません。葬儀(真言宗では引導)そしてご供養を持って、故人は仏となり、貴い存在になってhideさんを含め、縁ある方々を守ってくださいます。どうぞこれまで通り、お参りをされてください。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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「死後のありようについて」

hide様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

先祖供養のことにつきましては、下記問いの皆様の回答も参考となるのではないかと存じます。

問い「先祖供養とは?」
http://hasunoha.jp/questions/129

「死後のありようについて」・・これは正直非常に難しい問いでありまして、一つは「無記」(回答しない)として、そんな問いについて考えることよりも、現実の迷い・苦しみの解決へ向けた実践の方が大切であるとして、問いそのものを退ける場合があります。

確かに以前の問いにおいて、死後のことにつきましても扱わせて頂いてはおります・・ただ、それはあくまでも現実における「善い」生き方の心掛けのために、として述べさせて頂いている次第でございます。

問い「死ぬとどうなるのでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/123

もちろん、拙見解と致しましては、死後、前世のありようについて、因果の連鎖から推論することは可能であるのではないかとは考えております。

この縁起なる世界においては、必ずモノ・コトには、原因があり、そして結果があります。この原因と結果の連鎖を緻密に分析していければ、少しなりとも前世・死後のありようを理解していくことができるのではないかと存じております。

例えば、一年前の自分の心と身体は、無常なる中において、今と同じとは言えないことは理解できるかと存じます。しかし、一年前の自分の心と身体が無ければ、明らかに今の自分は存在し得ていないことも理解できるかと存じます。一年前の自分の心と身体は、やはり今の自分の心と身体の縁(原因・条件)として繋がっているのであります。これは難しいことではありますが、同じでもないし、異なっているのでもないという八不の「不一不異」のことであります。

当然に心と身体が生じるのも全くの「無」から生じるわけではありませんし、やはり、生じる以前からの縁があったはずなのであります。そして、更にはその縁による連鎖・相続がこれからも、死後も続いていくことも少しくは理解ができていけるのではないかと存じております。

上記の例は字数制限上、あくまでも簡単に述べさせて頂きましたものでありまして、拙生もまだまだ考究の余地が相当にあるかと存じております。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

向井様
的確なご返答ありがとうございました。“かもしれない”という事に、何か仏教の懐の深さを感じさせて頂きました。
また質問等させて頂くかもしれませんが、宜しくお願い致します。

「輪廻転生」問答一覧

誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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輪廻の輪を制御したいです

こんにちは。お読み頂き有り難うございますm(__)m私はまだ知らされた訳では無いですけど、国に貢献した功績で成功したと思われる状況に有ります。私の悩みは何も知らされずに成功したと思しきことにより父と姉が国から贈られたと思われる私の成功の褒美を奪ってしまったことに有ります。具体的に父は私への褒美をきっかけに約30人以上の婚外子を儲けてしまったと思われます。この間私が受け取った褒美はゼロでした。私は現在独身なのですけど、父と姉は褒美を奪っただけでは飽き足らず私に結婚させないことで子孫に亘る利権についても妨害をして来て私の成功を乗っ取ろうと企図しております。私としては自分の輪廻の輪が金輪と表現出来るような立派な物に育ったことは嬉しいですけど、同時にこの金輪が私に制御できない状態に陥りつつあることも事実だと思います。後は、父が80才に近いので私より先に鬼籍に入ることに希望を抱くほかない状況にあります。こう言った状況を踏まえて私にどう言った選択肢が残されてるか智恵をお借りしたいです。私としては家族と縁を切ることも止むを得ないと考えております。どうかご教授の程宜しくお願い申し上げますm(__)m

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輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは?

精神病を長年患っており死ぬ事ばかり考えています。病苦も有ってか嫌な事に対して敏感で過剰反応します。特に人間の醜い所を見聞きするのがウンザリです。早く解放されたいです。 方法は死ぬ事でも良いのですが、輪廻してしまっては苦しみの繰り返しになるので輪廻から解脱したいです。この事は消滅する事と同じなのでしょうか? 私は仏様になって誰かを救いたいという気持ちよりも、早く苦しみから逃れたいという気持ちから消滅したいと考えています。 精神科医には「肉体があるから消滅は出来ない」と言われました。死ねば消滅するのでしょうか?どうしたら消滅出来るのでしょうか? 痛いのも苦しいのも醜いのも…全て嫌です。完全消滅して、1秒でも早く全てから解放されたいです。 上座仏教やチベット密教の記事を読むと「輪廻から解脱=消滅」と捉えられるような記述がありました。 輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは何でしょうか? どうしたら輪廻から解脱(消滅)する事が出来るのでしょうか? 1秒でも早く人間を辞めたいです。なるべく簡単な方法を探しています。 助けてください。これ以上、人間の醜さに触れたくありません。 早く死にたい、消滅したい、輪廻から解脱したい。

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輪廻転生が悪者にみえてしまいます。

お忙しい中申し訳ございません。 このような投稿をするのがはじめてなもので分かりづらかったり読みづらかったりされるかもしれませんがご容赦ください。 だいぶ前から考えていた事なのですが自分の中で否定ができないもので、その筋の方にアドバイスをいただきたく投稿しました。 もしかしたら失礼なことを言っているかもしれないので宗教のことなど何もわからない愚か者の戯言と思ってください。 もし、輪廻があるとするなら今世で上手く生きた人(いわゆる成功者)と今世で辛いながらもなんとか生きた人(成功体験のすくない人)が同じスタートラインに立つのはフェアではないような気がします。 また、良心等に問いかけ来世が自ら重荷をかすような人生を送るならわざわざ悪人はそのような人生を選ばないのではと感じます。 輪廻に選択があるのならば人のためというものは苦労が伴うため善人と呼ばれる人ほどこの世を選び続け辛くなるのではと感じます これらの事からどんどん要領のいい悪人がこの世に居続けてしまうように感じます。 個人というミクロな考えでは輪廻転生という考え方は非常にポジティブなことかもしれないのですが世界というマクロな考えではこの輪廻転生が諸悪の根源であるような気がしてしまいまして。 現実として自然破壊の進行や昔では考えられないような事件の発生などあり、こんなかなしい考え方をどうしても否定しきれません。 仏教等でこのような価値観の否定などはあるのでしょうか。教えて頂けたら幸いです。

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来世不幸にならない為に今できること

私は、輪廻転生を信じています。 今生は色々な面で恵まれていたので、次の人生どうなるだろう?と少し心配です。 次の人生のために、準備をしたいと考えています。来世も今と同じかそれ以上のレベルの容姿、能力、家庭環境で生まれるためのアイディアがあれば教えて欲しいです。 私の我欲で申し訳ありませんが、次の人生下がるのは嫌だ、怖いという気持ちは、自然な心情だと思ってます。そのための努力は受け入れます。次は生まれてこなければベスト、という思想もあるのでしょうが、 生まれないですむ保証はないので、生まれたとしても下がらないで済む仏教的な方法を知りたいです。 また、容姿の優れぬ人を見下したり意地悪したら、報いを受ける、来世では自分も普通以下の容姿になってしまう、という説をどこかで聞きました。なんとも恐ろしい説です。意地悪はしませんが、自然発生的に、やはり優劣を意識することがありますから。これは自然に心にわくのでコントロール不能です。だからといって、口に出したり行動で差別したりは、していません。心のなかで、やっぱり容姿の優れない女性は大変そうだなぁとか自然に沸いてくるのも罪なのでしょうか?それが悪因悪果になってしまうのでしょうか。 以前は自他の容姿が優れていようがいまいが、そんなこと気にせずいましたが、友人Aが卑屈な性格で自虐発言をする人で、それを聞いていると、私の中でも容姿や能力の優劣の意識が芽生えてしました。 表面上はフォローしていますが、心の中では、否定しきれません。実際に彼女と私とで人生で経験してきたこと、起こる出来事があまりにも違うからです。容姿が優れない女性の人生はハードモードで、素敵な楽しい出来事が少ないんだなと話を聞いたり実際を見ていたら感じました。 仮に来世で容姿のレベルが普通以下になってしまったら、すごく嫌だし、そんなことになったらどうしよう!と怖いです。 この恐怖と心配から、お坊様たちに、仏教的なちえで 助けて頂けたら・・!という質問です。 そんな来世にならないためのアイディアや方策がありましたら、教えてください。   ちなみに 来世のためだけではないですが、 見えない世界を信じているので、 先祖供養やおつとめなどは、人より熱心で、 寄付や親切は人並みか少し多目にしてるタイプです。 他にもできることがあればやっておきたいので、どうぞ教えてください。

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