父は最後に何を言いたかったのか?
父が昨年12月に83歳で他界しました。
認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。
私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。
最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。
入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。
入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。
そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。
父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。
父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。
父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「先に往って向こうで待ってるよ」かな・・・。
あるお医者さんから、人間は死ぬ間際モルヒネに似た「脳内物質(ホルモン?)」が出る、と聞きました。従って、苦しそうに見えるが、意外と「楽」に死ねるのだそうです。
入院中の闘病生活は確かに苦しいかもしれませんが、死ぬ前は、あなたが考えるほど苦しくはなかったのではないでしょうか・・・。あなたが「苦しいだろうな~」と思ってみたので、そう見えたのだと思います。
可愛いお嬢様への最後の言葉は「有難う」でしょう。と同時に「先に往って向こうで待ってるよ」「また会えるからね・・・」ではないでしょうか。
『仏説阿弥陀経』というお経には❝倶会一処(クエイッショ)❞といって「また極楽浄土で会える」と説いています。小生はそれを信じています。先に往った父・母・兄に会えると・・・。
楽しみはあとにとっておきましょう^^
江戸時代の禅僧に仙崖和尚さんという方が居ました。
博多の聖福寺という禅寺で住職をなさっていた時、地元の商人さんがお正月用にめでたい言葉を一筆書いて欲しいとやってきました。
そこで仙崖さんはこんなふうに書きました。
「親死に、子死に、孫死に」
ビックリした商人は「これのどこがめでたいのですか」と問い詰めたのですが、仙崖さんは涼しい顔で
「死ぬのは皆一緒。必ずいつか死ぬんじゃ。けれど、親がまず死んで、次に子が死んで、最期に孫が死ぬ。生まれた順番通りに死ねることがなによりめでたい」
と説いたのだそうです。
あさみさんのお父さんは83歳までよく頑張りましたね。立派です。
家族やご友人に囲まれて、多くの方々が涙を流し、その死を悼んでくれた。
これこそが何より幸せなことだと私は思います。
まだ亡くされたばかりで、心の整理もままならないでしょうけれど、折々の供養で手を合わせ、少しずつでもいいので前を向くようになってほしいな。
あさみさんが笑顔で幸せな人生を送ることこそが、お父様の何よりの願いだと思いますよ。
あの時何が言いたかったのか、それは、あなたが天寿を全うした後、「あちら」でお父様に直接聞けばよろし(^-^)
質問者からのお礼
常福寺
Yosyiaki O 様
この度は、早速の回答をありがとうございました。
目から鱗の内容でもありましたが、今の苦しい気持ちからホッと解放されるようなそんな気持ちにさせていただきました。「向こうで待っている」そんな言葉だとしたら、残された人生をしっかり生きて、いつかの”再会”の日まで楽しみにするしかないですね。
お経には色々な意味があるのですね。私も今後は時間を見つけて、仏様の教えを学んで行きたいと思います。
この度は、温かいお言葉を誠にありがとうございました。
龍興寺
林 浩道 様
この度は、早速の回答を頂きありがとうございました。
お話の通り、83歳ならば平均寿命も越しているわけですし、納得しなければと思いつつ、まだ時間も浅いというのもあり、どこか引っかかってしまうものがありました。
でも、親を見送ることが出来ることほど有難いことはないのですね。お言葉を聞いて、改めてそう感じました。
「あの時の言葉」を聞く日が待ち遠しいですが、そのためにもこれから先、父の娘であったことを誇りに思い、そして父に見られても恥ずかしくないよう進み、そしていつかの再会の日には「よく頑張ったな」なんて言ってもらえるような人生を送っていきたいと思います。
この度は、素敵なお言葉を誠にありがとうございました。