死後の世界 及び来世
死後の世界についてお聞きしたいです。私は、障害基礎年金と言う補助金のようなものをもらっています。そこで悩みが、出ました。国から何の見返りも無く国民の血税をふところに入れてそのお金を自分の好きなように使うこんなことをやって入れば今は確かに良くても死んだ後に 閻魔様が登場してお前は血税をむしり取って好き勝手やったから三悪道に落とすって言われたり 来世と言うものがあったら今世のバチが当たって艱難辛苦ばかりの人生になるのかなとか そんなことが、頭をよぎるようになりました。しかし現実問題障害基礎年金がなければ食べていけないのも事実なのです。この悩みを仏教においては、どう考えますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相互供養、相互礼拝・・・互いに感謝して生きる
人間だけでなく様々な生き物は自分に出来ないなにかを他のものに求めて、そして他のものにできない役割を与えて相互に生き、生かされています。
ミツバチが花から蜜をもらい、花はミツバチによっておしべからめしべに受粉するが如くです。
人間は、自分の人生に対する責任感が強いですから、時としてそれに悩み苦しんでしまいますが、実は人間一人一人も大いなる大自然の一部として、知らず知らず何かの役に立っているんです。
それを踏まえた上で、相談者さまのお悩みについて考えます。
働けない為に税金から出る補助金をもらい、生活することに悩みを抱えているようですが、さきほどもうしたように仕事ができない人のために、多くの人から少しずつ集めたお金でその人の生活を助けようという理念に基づいた制度ですので、それは不安がることなく「人々からの施し」として有り難くいただきましょう。
しかし、施された場合、やはり何かしらの行動は起こすべきでしょう。
その行動とは、「感謝のお参り」です。
世の中の全ての宗教で語られることは、「自分を生かしてくれるなにかに対する感謝」です。
イエスも、ヤハウェも、アッラーも、仏さまも、みな人々を生かしていると信じられているからこそ祈りが生まれるのです。
かといって、何かの宗教に入り祈れという訳ではありません。
近くの神社でも、お寺でも、仏壇でも、何でも良いです。
そういった神仏を窓口として、一日も欠かさず全ての人々、両親、先祖、周りの人々に感謝して手を合わせて下さい。
それこそが、あなたがすべき(ほんとうなら全てのひとがすべきなんですが・・・笑)行いで、あなたの不安を除き、穏やかな心を保つ唯一の方法です。
感謝こそが最大の恩返しとなるのです。
毎日手を合わせ感謝する者を、どうして閻魔さまが地獄に堕とすでしょうか。
むしろ、あなたの心は穏やかな仏さまそのものとなるはずです。
そして、命が終えたとしても、感謝の気持ちをもって人々に接したあなたの仏さまのこころは、周りの人々の中で生き続け、あなたも周りの人々に感謝され手を合わせられるようになるでしょう。
それが、相互供養、相互礼拝といいます。
念仏すれば極楽に往生できます。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、極楽浄土に往生したいと願う人は、命が終わる臨終のときに阿弥陀仏が迎えに来てくれ、阿弥陀仏の本願力によって、極楽浄土に往生(生まれかわる)ことができます。
そのように、浄土宗では説かれています。
障害年金をもらうのは法律で認められた制度なので、罪悪感を持つ必要はないでしょう。
しかし、仮にどんな悪人だろうと、阿弥陀仏は見捨てずに救ってくれます。
ですから、死後の心配は要りません。
南無阿弥陀仏と念仏を称えてください。
障害年金をもらってももらわなくても、念仏すれば往生できます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。