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ママ友達が怖い

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旦那さん同士が同じ職場で働いているママ友がいます。
いつも優しくして頂いていて、お声掛け頂いていましたが、最近旦那さん達抜きで2人きりで一緒にお酒を飲む機会があり、それからママ友さんの態度がおかしいです。

最初は
○ちゃんは本当に可愛いよねぇ 旦那さんに愛されてて幸せだねぇ
と社交辞令でしたが、段々とお酒も入り口調がキツくなりました。
そして、私の隣に見ず知らずの男性を座らせて、
写真を撮るまで帰さないと言いだしました。
相当酔っている様子でしたので、言われるがまま写真を撮り、相手の男性の方にも
すみませんでしたと謝って彼女を家まで送って帰りました。

彼女は翌日、私の旦那にその写真を送っていました。
どうして?と思いましたが、今まで優しくしてもらった印象が強く、受け入れられずにいます。
それと、私の旦那と連絡先を交換しているのも驚きました。
最近は私を避けるようになり、他のママさん達とヒソヒソ話すのを目撃します。

私の気にしすぎでしょうか?
怖くてしょうがありません。
私はどう付き合っていけばいいのでしょうか。
混乱しています。変な文章で申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪女の意図

「あなたの横に見ず知らずの男性を座らせて写真を撮って、ダンナに送りつける。」その行動に彼女の意図が感じられるはずです。
こんなところで相談している場合ではありません。
旦那さんと密にコミュニケーションをちゃんととってすぐさま助けを求めるべきです。
疑心暗鬼を少しでもなくす為に、わたくしどもの回答もすぐに見せて、あなたが本当に困っていること、助けてほしい事を、ご主人に伝えるべきです。
嫉妬、悪意、敵意、嫌がらせ、ママカーストの優劣、あなたとご主人の関係を悪化させようとする意図が大いにあります。
また、あなたのご主人の中で、あなたより自分の方が優位に立とうとしています。
この意味はどういう意味かオトナなら分かるはずです。または、ご主人を不安にさせ、自分の夫を職場で有利にさせようとしているのかもしれません。
❝友だち❞ではない。完全に危険な悪党、悪女ですよ。
真剣に身の危険を感じるべきです。
即、縁を切る。あなたがされた真実を他のママ友さんに語るなどしてSOSを求めて身の保身をしないと、そういう女性は有ること無い事、どんどん吹聴して、気が付けばあなたは悪者。
あなたにも質問ですが、そこにいた男性というのは本当に本当に見ず知らずの人か?
純粋に疑問に感じられます。写真を撮らせる、撮られたということ自体。実に迂闊。半ば信じがたい話でもあります。
ご主人にとっては、あなたが合コンにいった、他の男性と一緒に飲んでいたという不誠実な人と思われても仕方がないからです。本当に誰でもない見ず知らずの人であれば、胸を張ってご主人に、この男性は上記の理由で、本当に何もないということで信じてもらって、完結です。
その疑いを晴らす為には、ご主人に伝える前※に、ボイスレコーダーを隠し持って彼女に「この前は、何であんなことをしたの!」と聞いて、ご主人に合コン等にいった訳ではない、あの男性は本当にまるで関係なかったことを信じてもらえるような証言をとる。
あなたのご主人と彼女の関係が怪しくならんようにする必要もあります。
降りかかる火の粉を払うためにも、身の潔白をきちんと表明できるように証拠をとりましょう。
彼女がご主人にどんなメールを送っていたかを確認することで、全てが明らかになるでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

私の勝手な妄想ですが・・・

ririさんへ

私の勝手な妄想ですが、危険な匂いがします(>_<)

何かが起こっても対応できるように、
ご夫婦の情報交換は密にしておいた方が良いでしょう。

もしも、もしもですが、
上記の情報交換が密に出来ないのなら、
別な対応が必要になるかも知れません。
例えば、弁護士とか・・・

私の妄想が、希有で終われば良いのですが・・・。

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有り難し
おきもち

昭和43年、奈良県葛城市生まれ。子授け寺浄願寺の住職、鷲尾隆仁。 日頃は、法務に忙殺されていますが、 出来るだけ、お檀家さんや参詣者に寄り添い、愚痴や悩み相談される人になりたいと、常日頃思っております。 また、僧侶のかたわら、家事民事調停委員もしており、世間のドロドロにまみれております(>_<)

「ママ友」とは、友達ではなく、保護者同士の割り切った関係

ririさま

ママ友を信じていいかどうか、わたしにはよくわかりません。

しかし、今世の中にある、「ママ友」という関係は不自然に感じます。友達なら堂どうと友達といえばいいのに、そこに「ママ」がつくことで、子供を介した関係になり、それは「友」とつきながら、友達ではないように思います。

世間でこんな言葉が流行ってしまい、ママ友を作らなきゃとか、そこが拠り所になったり、悩みの元になったりします。

ママ友とは、ドライな感じのお付き合いでいいのではないでしょうか。
気が合えば、ママ友何て言わず、真の友達として、お付き合いすればいいまでです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

お礼が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
夫に悩んでいる事も正直に話しました。
夫は最初は半信半疑でしたが私の事を信じてくれました。
相変わらず周りには良い人ぶっているのに

途中になってしまいました。
最近は私に対してだけキツイ態度をとるようになり距離をおいて付き合っています。(接点が多いため)
ここで相談し、気持ちが少し楽になれました。
ありがとうございました。

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