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死について

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有り難し有り難し 13

私は今年33歳になる社会人男です。

現在は今年61歳になる父と二人で借家に住んでいます。
兄弟はいません。
母は私が高校生の時に離婚しています。原因は母の借金です。
精神病を患っており、今は施設で過ごしています。
また離婚はしていますが月1回、父は母のもとを訪れて、食事をしたりしています。
私も3ヶ月に一回ほど、会っています。

そんな訳で、高校生くらいから父と二人で暮らしてきました。
父は母の借金を返しながら私のために、大学まで出してくれて、自分は家も買えませんでした。
食事も毎日お総菜などですが、買ってきてくれています。
最近は私がつくることで、少しでも楽をさせてあげたいと思っています。

昨年父と母が60歳になり、ふとテレビなどで70代で亡くなる方のお話を聞いていると後10年で70歳になってしまうのか・・・
父や母がそんなに早くいなくなってしまったら、自分は一人で寂しくて辛いのだろうなと思ってしまいました。また、祖父が昨年90歳で亡くなってしまったことも、原因の一つであると考えています。

それからは毎日、そんなことを考えてしまいます。
仕方がないことだとわかってはいるのですが、どうしても考えてしまいます。
特に兄弟もおらず、悲しみを分かち合える人がいないことも原因のひとつです。

こんなことを親に話すわけにもいかず、どうしたらよいのかわかりません。
お坊様の方々にどのように考えるのがよいのか、お話をお伺いしたいと思い、質問致しました。
長くなってしまいましたが、よろしくお願い致します。

2017年1月27日 18:04

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一期一会

別れに立ち会う仕事をしていると
「あぁ、平均寿命はあくまで数字であって、人の生き死には分からんなぁ」とつくづく感じます。
最近は60代の方の葬儀が続きました。
30代の方もおられました。

「愛別離苦(愛する者との別れの辛さ)」は四苦八苦(逃れようのない苦)のうちの1つ。
出会いあれば別れあり。
こんなこと誰しも知っていますが、いざその時となるとほとんどの方が狼狽えてしまいます。

ですがひかるさんは、別れの時の前にそのことを考える素晴らしい機会を得ました。
別れへの心の準備だけではなく、ぜひ一期一会の精神を持って頂ければと思います。

一期一会は、一回限りの出会いという意味ではありません。
「今、出会っている人と(これが今生の別れになるかもしれないから)全力で会う」ことです。
いつかくる別れに怯えるのではなく、今当たり前に過ごす相手との時間、その一時を全力で過ごすことです。
それしかないのです。
別れの悲しみは、どうしかしようとしてなるものではないのですから。

ある詩を紹介します。

「最後だとわかっていたなら」
(前略)
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

2017年1月28日 4:38
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有り難し
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日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

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回答数回答 1

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

有り難し有り難し 9
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