死について
私は今年33歳になる社会人男です。
現在は今年61歳になる父と二人で借家に住んでいます。
兄弟はいません。
母は私が高校生の時に離婚しています。原因は母の借金です。
精神病を患っており、今は施設で過ごしています。
また離婚はしていますが月1回、父は母のもとを訪れて、食事をしたりしています。
私も3ヶ月に一回ほど、会っています。
そんな訳で、高校生くらいから父と二人で暮らしてきました。
父は母の借金を返しながら私のために、大学まで出してくれて、自分は家も買えませんでした。
食事も毎日お総菜などですが、買ってきてくれています。
最近は私がつくることで、少しでも楽をさせてあげたいと思っています。
昨年父と母が60歳になり、ふとテレビなどで70代で亡くなる方のお話を聞いていると後10年で70歳になってしまうのか・・・
父や母がそんなに早くいなくなってしまったら、自分は一人で寂しくて辛いのだろうなと思ってしまいました。また、祖父が昨年90歳で亡くなってしまったことも、原因の一つであると考えています。
それからは毎日、そんなことを考えてしまいます。
仕方がないことだとわかってはいるのですが、どうしても考えてしまいます。
特に兄弟もおらず、悲しみを分かち合える人がいないことも原因のひとつです。
こんなことを親に話すわけにもいかず、どうしたらよいのかわかりません。
お坊様の方々にどのように考えるのがよいのか、お話をお伺いしたいと思い、質問致しました。
長くなってしまいましたが、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一期一会
別れに立ち会う仕事をしていると
「あぁ、平均寿命はあくまで数字であって、人の生き死には分からんなぁ」とつくづく感じます。
最近は60代の方の葬儀が続きました。
30代の方もおられました。
「愛別離苦(愛する者との別れの辛さ)」は四苦八苦(逃れようのない苦)のうちの1つ。
出会いあれば別れあり。
こんなこと誰しも知っていますが、いざその時となるとほとんどの方が狼狽えてしまいます。
ですがひかるさんは、別れの時の前にそのことを考える素晴らしい機会を得ました。
別れへの心の準備だけではなく、ぜひ一期一会の精神を持って頂ければと思います。
一期一会は、一回限りの出会いという意味ではありません。
「今、出会っている人と(これが今生の別れになるかもしれないから)全力で会う」ことです。
いつかくる別れに怯えるのではなく、今当たり前に過ごす相手との時間、その一時を全力で過ごすことです。
それしかないのです。
別れの悲しみは、どうしかしようとしてなるものではないのですから。
ある詩を紹介します。
「最後だとわかっていたなら」
(前略)
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから