主人が自殺しました
別居中の主人が自殺しました。
2年半前に、アルコール依存性として強制入院。その後半年自覚なく、飲み続けていました。
目が離せない状態が半年以上続き、3度目の救急車で、依存性であることを自覚し、毎日の飲酒を週一、二回にまで制御するようになりました。衰えていた身体の機能も随分回復し、一年ほど前から、バイトを開始できるほどに。
ただ人間関係やプライドなどか、数ヶ月もせず辞めてしまい、その事実も隠し、嘘に嘘を重ねる生活。
私自身も身体を壊し、騙し騙し続けていた仕事も昨年秋で退職。リハビリの生活の中、奮起してくれるかと思いきや、家でダラダラし、2人で顔を付け合わせるとイライラしている主人と離婚話も付いて回り、2ヶ月前についに追い出しました。
別居して1ヶ月、バイト始めたと話があり、改めて離婚は考え直して欲しいと話がありました。
今迄、許すとすぐ辞めてしまったこともあり、甘く出来ないと色良くない返事を。その後就職の相談もあり。
心の中で前を向いてくれたと喜び応援していました。
今年に入って、仕事帰りに痩せてしまった彼と数回食事をし、来週には友人の開店記念にお呼ばれし、2人で行く約束をしました。
そんな彼が、実家で夜お酒を飲み暴れ、明け方には首を吊って発見されました。
義母の話しでは、この2ヶ月朝まで飲んでいたことが数回。仕事の前の日は飲まないものの、それ以外の日は飲んでたよう。実家は皆お酒好きで、すぐに飲める状態でした。
暴れたのは、2回目でその日は2時に先に寝たそうです。
遺書はなく、明確な理由はわかりません。
収まったと思ったアルコール依存性が出た為か、様々なことを悲観したのか、発作的なものかわかりません。
ただ、身近にいれば、お酒は止められたし、そんなことをさせたりしなかったと後悔してやみません。
夫として頼りなかったにせよ、大切な人でした。
ミッションスクールで育った私は自殺がとても重い罪と聞かされ育ちました。
彼の家は仏教で、成仏できると信じたい。義母は世間体を考え、亡くなった理由を親戚にもお寺さんにも隠しています。お通夜も告別式もせず、会葬のみ行いその際にはお寺さんに来て頂きました。49日は近親者で行う予定です。49日までに次が決まるとか。私はどのように彼に償い、彼の魂が安らかななるように弔えばいいのでしょうか。どうか教えてください。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大丈夫です。ご成仏なさいます
拝読させて頂きました。あなたは今ご主人様がお亡くなりになれてて大変悲しい思いをなさっておられるのでしょう。そして様々後悔の念も抱いておられるのかと思います。あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
ご主人様が仏様に正しく導かれて、仏様のもとに生まれ変わって心から安らかになられます様にとお念仏させて頂き仏様にお願いさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
あなたもどうかご主人様が仏様のもとに生まれ心から安心して頂きます様にとお念仏おとなえし仏様にお願いなさってくださいね。
南無阿弥陀仏
必ずや仏様はあなたや私の願いをお聞き届けなさりご主人様を正しくお導きなさってくださいます。そして49日には仏様の極楽浄土に生まれ変わって心清らかに安心なさることでしょう。そしてご先祖様や親しかった方々に巡り合われることでしょう。そしてこれれから何の苦しむこともなくご成仏なさることでしょう。
あなたとご主人様とのご縁、ご家族の皆さんとご主人様のご縁はこれからも永遠に続いて参ります。
ご主人様はこれからもあなたもご家族の皆さんをも安らかに見守って下さいます。どうかご安心なさってくださいね。
そしていつの日にかあなたがその生命を全うする時が参ります。その時はあなたは仏様に導かれて仏様のもとに生まれてご主人様や親しかった方々に再会なさいます。その時にご主人様との再会の喜びを分かち合うこととなります。
それまではご主人様にあなたやご家族の皆さんを見守って下さいます様にとお願いなさり、これからも合間にご主人様を思い心を込めてご供養なさってくださいね。
いつもあなたの心の中に身近にご主人様は穏やかにいてくださいますから。
死は誰にも訪れるものです。様々な理由や因果関係により人の死は必ず訪れるものです。ご主人様は病によりその身を追い込まれしまったと思います。
キリスト教的には自殺は重い罪と言われることはあります。が、しかしご主人様は重い罪を犯てはいません。大変つらい病の影響で暴れてしまうことがあったとしてもそれがご主人様の罪ではありません。どうかご理解なさりご安心なさってください。そして必ず必ずご主人様はご成仏なさいます。仏様をどうか信じてください。
仏様にどうかご主人様を宜しくお願いしますと真心こめてお願いなさってください。
またあなたのお話をお聞かせくださいね。あなたをいつもお待ちしております。
成仏とは誰の為の成仏であるべきなのでしょうか
私の身内や愛する人が亡くなったとしたら私はいわゆる「菩提を弔う」という行為の真意を自分が本当に納得するまで自分自身でつとめると思います。
誰かに成仏してもらったとかいう事なのでは「ない」のではないでしょうか。
そんな安易なものでしょうか。
自分と大変縁の深かった相手が自ら命を絶ってしまった。
時あるごとに思い起こされることでありましょう。
そう簡単に忘れられることではない。
見ず知らずの坊さんお経読んで供養してもらったから大丈夫という問題で私は済まないと思います。
私がお世話になったあるお坊さんは幼少の頃にお父さんが自ら命を絶ってしまったそうです。
その方のご苦労話を伺っても、心の闇は簡単に晴れるものではなかったように感じています。
では、どうすれば本当に成仏するのか。
自分の心の中でちゃんとした「決着」がつかなければ本当の成仏ではないと私は感じています。
確かに亡くなられたのはご本人の意志です。選択です。
ですが、深く関係する方々はみなちゃんと今後もこの世で生きていかなければなりません。
あなたが直接手を下したわけではありませんからあなたに非はないでしょう。
ですが、私があなたの立場であるとしたならば間接的に責任を感じてしまうものでしょう。
私は成仏とは亡くなった方の成仏と、
縁の深かった方自身、残された本人の安心という成仏と、
ご主人のお母さま、ご家族、縁ある方々の成仏とはそれぞれ違うと思います。
総じて、それぞれがそれぞれ自身で成仏することが仏教です。成仏=心が完全に決着がつく方法を見出すべきであるという事です。
その為にこそ仏教、仏道修行というものがあるのではないでしょうか。
ゆえに「仏道をならうというは自己をならうなり。」(道元禅師)
人任せ、人に任せられない、とってかわれない悩みが人生にはついて回るのです。
だからこそ、私は私自身で仏道を求め、仏道の何たるか、成仏の何たるかを学び、本当に菩提を弔うということの真意を明らかにしました。
自分の仏道は、自分が自分の負の感情に正直に真っ正面から向き合わない限り始まらないのです。
何の為にこの世に仏道修行というものがあるのでしょうか。
誰こそが成仏するためにあるのでしょうか。
本当は坊さんにお経を読んでもらって成仏するなどという安易なものではないのではないでしょうか。
あなたに本当の仏道が始まりますように。
真心から供養させてもらいましょう。それだけで大丈夫です。
ひろさん、こんにちは。
辛い思いをされていたことを心よりお見舞い申し上げます。
残念ですが夫が作ってしまった運命なのです。ひろさんがいたからといって亡くならないわけでもアル中が直るわけでもありません。
でも妻であったご縁もあります。
あなたにとって忘れられない夫でもあります。夫の実家とはどんどん疎遠になってくると思いますが、夫の実家とは別に、あなた自身で供養してあげてください。家に仏壇を置いて供養するのもいいでしょう。あらたな人生を歩むのに難しいければ、お墓のお参りや命日にお寺で供養してもらうのもいいでしょう。私のお寺のようにお骨がなくとも、お戒名で永代供養をさせてもらうお寺もあります。
まだまだ、ひろさんは若いのです。あらたなパートナーとの人生も気づけます。
夫との触れ合いで反省するところは反省して、その辛い体験を自身の心の向上の体験として、次の人生の経験にしてください。
あなたが幸せに生きることが、亡き夫への最高の供養なのです。いつでも辛くなったらご連絡ください。一緒に悲しみを乗り越えていきましょう。合掌
質問者からのお礼
早速ご回答くださりありがとうございます。涙が止まりません。
染川様、
ご回答ありがとうございます。まだ自分の幸せまで考えられませんが、主人にできる供養をしてあげたいと思います。ご位牌は彼の実家ですが、49日までということで分骨してもらいました。遺影と共にお線香をあげ偲んでいます。今後伝えたかった思いは、キチンと相手に伝えていきたいと思います。
Azuma様、
ご回答ありがとうございます。成仏できる、とおっしゃって頂き、ありがとうございます。
正しく導かれますように、とお願いすればいいのですね。49日まで心込めてお祈りしたいと思います。
丹下様、
ご回答くださりありがとうございます。その通りですね。言葉ばかり成仏、と理解なくては仕様がないですね。確かに私は一生忘れないでしょう。ただ彼自身の救いを願い、また自らの負や罪悪感の感情と見つめると、苦しくて張り裂けそうです。でも、そこから始まるということですよね。その先に何かあるのか、正直今は見いだせません。 心が完全に決着する事があるのでしょうか。押し潰されないように向かいあい努めてみたいと思います。