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心が耐えられなくなります

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有り難し有り難し 16

今日いつも相談してる先生に相談しましたが、お坊さんにも相談したくて相談しますね。心の病気なので優しいコメントでお願いします。

  ばばさんは、デーに水曜日いったのと、いつもの友人がいなかったのと、ずっと座っていたのが辛かったのか
  「どんなとこかデーに行って見い」とケアマネさんと母が決めて行かせてるって
  愚痴と嫌味のいいどうしでした。
  私も朝から病院行ってつかれてるのに
  ボケてて気遣う様子は今日はない様子です。

  昨日は「年よりはいらんねんな」とそんな憎まれ口を言ってました。
  私は胸が痛むほど辛かったといってもわかってもらえませんでした。

  祖母は自分がしんどいと全部私にぐちを言ってくるので
  これからはまじめに聞かないで自分の部屋でしばらく深呼吸でもしてなさいっていわれました。

 父は私のいやなとこみつけて怒ってるし、私は腕が腫れたり傷がいたかったりしたこと母にいってるみたいで祖母のこともあるし母が全部してるわけではなく父も私も助けているのでその余裕がないのか
、母が爆発して「私が死んできていいねんな」と私にどなってました。
母は自分が全部背負ってると思っているみたいです。

 みんな私に言うから私の心が耐えられなくなってきて相談してて泣いていました。「私の方が死にたくなりますね。」

 こんな状態でいいときがくるといわれているけど本当かなと思いますね。

 きっとわかってくれて祖母の世話をしてるのわかってる人がくるよと
 励まされました。
いつもの穏やかで優しい祖母にもどってほしいです。
神様やご先祖様も私のこと見て応援してくれてるよと言われましたが
本当にそうなんでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの中の神様仏様ご先祖様❝性❞を引き出す✨

やさしい言葉がご希望という事にゃので可愛くお伝えしますニャ。😺
人間の中にはカミさんが宿っておるのですニャ。
カミさんとは非エゴな働きでゴンス。
カミさんとは、心の中の善玉菌ズラ。
人間は育った環境中で必ずどっか師らで心がポカポカあったまる、やさしい、善玉菌をもらっちょる。
ところが、嫌なことがあったりすっと、その頂いた善玉菌のありかを忘れちまうもんなンだべよ。
私は人から優しくされたことがない、なんて人もおるけんどそれも本当はそうじゃねぇだ。
今日まで生きてきたってことは何かの命を食べてきただ。
だからそのお命さんから、最高の✨あたたかさを頂いとるわけだべ。
そういうお命様の恵み、恩恵、授かりをもらってねぇなんて人間はこのヨにはおらんちよ。
だから、このココロん中にはどっかしらに善玉菌がたっぷり眠っとるんじゃよ。
だからその善玉菌のありかにアクセスせい、とこういう教えをもらったら素直に自分の中の善玉菌が眠っチョるところに心の中のあったかセンサーを発動させるんだっぺよ。
そうすっと、ああ、こどものころにあんなあったけぇもんを食わせてもらったけなぁとか、ああ、あの子の笑顔はとてもやさしい気持ちになれたなぁとか、あんにゃろうは嫌な奴だったけど、まぁお互い未熟だったからお互いさまだぁね、とか、そのばあ様の事も何となく許せるような気持ちが出てきたべ。
それがアンタのシューキョーシンっちゅー引き出しを開いた✨っちゅーことになるんズラ。
その扉、引き出しさえ開けば、全自動で優しい心がポンポン出てくるようになるんだっぺよ。
😺
あるところで猫が死んじまったズラよ。
その飼い主さんがヨ?そのネコに優しい言葉をかけながら死なせてやったらよ、その優しい言葉をかけてた人は、その優しい言葉で自分も救われちまっただよ。ココ大事なとこだから言ってる意味わかるまで読むコッチャ。↑
つまり、あんさんの善玉菌をどんどんコトバにしたり、音にしたり、表情にしたり、行動でポンポンだすっつうことニャ。悪口や暗い言葉をポンポン出せば、その言葉で心が暗くなるもんだ。質問書いてた時も悲しくなったべ?
元気無くしてるばあさまも、かあちゃんもそろそろ死んじまう猫だと思って優しい声や言葉をかけてみるこった。その優しい善玉菌でアンタも、父たん母ちゃん、婆ちゃんもぽっくりどころか、ほっこりすることまちがいねぇっぺよ♡

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

いいお言葉ありがとうございました。祖母には励ましてねぎらいの言葉をかけていますが今は届かないみたいですね。父と母に優しい言葉をかけるときもありますが、父は何もいいません。
母の変わりに祖母の世話をしに入院してるときいったら、「ごくろうさん」と言われたぐらいでほとんど私がいてて助かるわということを聞いたことがありませんね。今帰ってきて、母とは車で少し話し合えました。

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