約束を破りました
父が脳梗塞で倒れました。私は救急車を呼んだり、手術の同意書にサインをしました。左半身に後遺症が残りました。自分の足で立つことはかなわないと言われています。
父は「延命治療の拒否」を書面に残していました。再起不能になったときも、それまでの治療をすべてやめるようにと記されています。倒れたりしたときは「ほっておいてくれ」ということです。長女の私は「まかせておいて」と約束をしました。
ところが倒れた父を見たとき「救急車を」と母に指示したのは私です。緊急手術に同意したのも私です。
意識が戻ったとき「どうしてこうなった」「もう終わりにしてくれ」と父に言われたとき、私はなんてことをしてしまったのだろう、と思いました。
あのとき、なにもしなかったら、救急車を呼ばなかったら、手術を拒否したら、父は思いのまま一生を終えることができたのに、と思います。84歳で半身麻痺になってしまった父。
こうなってしまったのはすべて私の責任です。
リハビリをする父に対して「がんばれ」と素直に言えない私。心の中で父の死を望む、私の始末はどうしたらいいのでしょうか。
反省と後悔
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの判断は、あなたの気持ちそのものだったのですね。
誰だって、親は特別な人です。
大切な人が苦しいときに、見過ごすことなんて出来ない。
あの時の、あなたの判断は、あなたの気持ち そのものだったのですね。そんな、あなたを、誰が責めたり出来ますか。とにかく、助けたかった、そうでしょ?
「生きたい.生きてほしい」この「生きる」もまた、苦しみの一つです。お父さまが、この命を懸命に生けておられるのですから、あなたもまた、その懸命の生き方を、最期まで お支えしていきましょう。
約束を破った罪と捉えていくのではなく、最期まで支え、ともに生きていくこの命であると考えていきましょう。
お父さまは、身体の自由が奪われ、精神的にお辛いでしょうけれども、それを越える 大事な今が、あなたと共にあるんだと、いつか この今が、感謝の日に変わってくださいますよ。
だから、そう信じて、笑顔でいましょう(*^^*)
自分も同じことをしたと思う。
こんにちは、すじがね食堂さん。
私の父は85歳ですのであなたとは
同じ年頃だと思います。
心情よくわかります。
歳を重ねるごとに父母の
有難さが身に沁みますよね。
寝たきりになっても生きていてほしいと
思うのは自然な子としての感情では無いでしょうか。
今回の判断の良し悪しは後回しにして
まだまだ父さんに生きてほしいんだ!。
と伝えて一緒にリハビリを頑張って下さい。
命があれば笑える日が来ます。
それが親子でしょう。
質問者からのお礼
誰も私を責めない、涙がでます。正解がないのではなく、今がすべてなのだと深呼吸をします。もう泣かない!と決めたはずなのに、回答をいただいて、涙があふれてきました。生き続ける父をみるのが辛かったです。半身麻痺の父をみるのが辛いのだ、そういう父を認められないのだ、いくつになっても子供は子供なのだと。明日は会いに行こうと思います。リハビリの手伝いをしてこようと思います。外はすごく寒いです。けど、心はすこし温まりました。ありがとうございます。