生きる意味
神様は本当にいるんでしょうか。
良い人が早く亡くなったり、いじめられてる人が死に追い込まれてしまったり、優しい人が詐欺にあってしまったり、この世は理不尽です。
本当に神様がいるのならなぜ神は彼らを助けてあげないのでしょうか。「優しかったり、美しい人は神様に好かれるから早く亡くなってしまう」という言葉をよく聞きます。そしてそれが一番納得します。でも、だとしたらこの世で頑張って生きる意味はないと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教ではこう考えます
仏教では、この世界に存在するすべての物事は「因縁」によって生じると考えます。
一切は、直接的要因(因)と間接的要因(縁)により生じるとされる。
また、「原因に縁って結果が起きる」という法則を、縁起と呼ぶ。(wikipediaより)
つまり、この世界に存在する様々な「因」が様々な「縁」によって結びつき、この世界にある物事が存在しているという考え方です。
たとえばハナさんにもご両親がいますね?お父さんとお母さんという、ふたつの「因」が結婚という「縁」によって結びついて、ハナさんというひとつの命が誕生するという結果がでました。
ハナさんが誕生日にケ-キを食べたとします、そのケ-キがあなたの元にやってくるまでには、小麦粉の小麦を育てた人、クリ-ムの元となる卵を産んだ鶏とそれを育てた人、それらの材料を加工してケ-キにした人、店頭で購入してあなたに届けてくれた人、そういった様々な「縁」の繋がりによって生じているのです。
そうやって考えると、なかなか凄いことだと思いませんか?
ただし、この縁には問題があります、なかなか自分の思い通りにはならないということです。
色々な縁の成り行きによっては、理不尽な仕打ちに遭って、辛い思いをすることもあるのです。
「神」様を信仰する宗教ならば、それらを「神様の思し召し」として心の中で処理するのでしょうが、仏教の場合は誰のせいでもない「因と縁」の成り行きによって生じた現象として、自分の心の持ちようによって、それらを受け入れてゆくのです。
そうやって考えると、ハナさんの仰るとおり、頑張って生きる意味はありません。
なぜなら、私たちの命も「因と縁」の成り行きによってたまたま生まれた存在だから。
命もまた「現象」でしかないのです。
でもその「縁」は途方も無い、天文学的な確率でもあります。
あなたという命がこの世界に生まれくるためには、お父さん、お母さん。お祖父ちゃんお祖母ちゃん、そのまた上のお祖父ちゃんお祖母ちゃんまで、たくさんの人達が出会った「縁」のおかげがあります。
このどれかひとつでも縁が切れていたなら、あなたは生まれていなかったんです。
その事実に感謝の気持ちが持てるのならば、きっとハナさんは自分の人生を大切に生きて下さると私は信じています。
質問者からのお礼
もう一度、深く色々考えてみたいと思いました。御返事有難う御座いました。