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死別 後悔、 生きる事はこんなにつらいのか?

今年の4月初めに自宅で介護中、祖母が昼食を誤嚥して窒息し翌日亡くなりました。 
その日はお花見に行こうと約束していたのに …あまりにも突然の出来事でした。
 
私はおばあちゃん子でしたので、祖母を喪ってからというもの、すっかり気力をなくして涙にくれ、それからしばらくすると、悲しみと一緒に自責の念に激しく駆られるようになりました。(現在は心を病んで心療内科に通院しています。)

考える事はいつもそもそも論ばかり、
祖母が元気な時から、そばにいる事が一番多かった孫の私だから、
なおさら助けられた事があったのではないかと、
過去をさかのぼっては思い悩むのです。

もう変える事など出来ないのは心では分かっているのですが…。
悔しさで頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになります。
 
愛する人を亡くしてからしか、あとからでしか気づかないというのは 
人間の宿命なのでしょうか?

寿命だったと諦めるにも諦めきれません。
不慮の事故であってもその人の運命なのですか?

これからの私には、老いゆく家族との死別が待っているだろうという恐怖と、
人生の楽しみはもう減っていくだけだという絶望しか無いので
長生きするのは苦しみでしかありません。
愛する人との死別がこれほどまでにつらいなら誰よりも早く死にたいとさえ思います。
以前は死ぬ事が怖かったのに、今は逆に生きる事が怖いのです。
自分がもし死んでも、もう祖母やご先祖様と再会できるなんて事は思ってはいませんが。
今はただ、生きて後悔で苦しみたくないから記憶を消すために無になりたいのです。

如何ともし難いところですが、少しでも前向きになれるお言葉をいただけたらありがたく思います。長文失礼しました。

有り難し 63
回答 4

質問投稿日: 2015年7月16日 15:43

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

伝えてもらったこと

お祖母さんを不慮の事故で亡くされたこと、お悔やみ申し上げます。

私たちは日々、数知れずの沢山の条件が絡み合ってこの世を生きています。
重なる条件が人によって違うから、違う人生を送っているのです。

お祖母さんも、不幸にしてそういう条件が重なってしまった。
これは、誰にも予測出来ませんし、どうしようもなかったことです。

自分や他を責めても、そこからは何も生まれません。
まして、私がなんとか出来たかもしれないと、自分を責めていたのでは、お祖母さまもあなたが心配で仕方ないでしょう。

あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

いつも見ていたお祖母さんの姿、聞き慣れたお祖母さんの言葉を、あなたが自分の人生にどう役に立てるかです。

人がこの世を生きるということは、人の姿を見ると同時に、周りにも自分の姿を見せるということです。
人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

日蓮聖人のお言葉に「先ず臨終のことを習うて、後に諸事を習うべし」というものがあります。
他の人も、そしていつかは自分も、必ず別れの時が来るからこそ、それを解った上で、今という時を悔いのないように精一杯生きなさいという事だと私は思っています。

あなたが一番お祖母さんに一番近かったと思うなら、お祖母さんの残してくれた教えを、他の誰が後の人たちに伝えられますか?

お祖母ちゃんに「色んな姿を見せてきて良かった」「色んなものを残してきて良かった」「この世を生きて良かった」と思わせてあげられるのは、あなたしかいないじゃないですか。

あなたがお祖母ちゃんの人生を、取るものは取り、捨てるものは捨てしながら、自分なりのものにして、後に続く人たちに、あなたの姿として伝えてあげて下さい。

お祖母ちゃん、きっと喜ばれると思いますよ。

3年1ヶ月前
回答僧

円通寺

邦元

大丈夫です。

カフカさま

おばあさまを亡くされたことは、とても悲しいことだと思います。
そしてあなたは、その悲しみとともに今生きていらっしゃいます。

その悲しみは、消えるものです。後悔なんてする必要ありません。生命としての働きが無くなる条件が揃い、亡くなったというだけです。その時の悲しみ(過去のものを)を引っ張り出し今悲しいかのように、繰り返しているのです。おばあさまの命はあなたの体の一部となり今も生きています。より近くにいるのではないですか。おばあさま無くしてあなたは存在しない。

そして、あなたはいま生かされています。不幸しかないと頭で考えれば、それだけの人生。現実をよく見てください。どこに不幸が見えるのでしょうか。幸せに生きることはできますよ。

3年1ヶ月前

きちんと悲しむ時期を過ごす

大好きだったお祖母ちゃんを亡くされてお悲しみでしょう。私にもお祖母ちゃんがいました(当たり前かもしれませんが)。やさしいお祖母ちゃんが亡くなって、悲嘆にくれておられる姿が浮かんでくるようです。

さて、グリー・ケアの本を読んでいますと、悲しいときに深く悲しむことが必要であるされます。悲しむべきときに十分悲しまないと、いつまでも悲しみを引きずることになるようです。だから、悲しいときには悲しんでください。

その後の話ですが、一人ではなかなか悲しみから立ち上がることは困難かもしれません。お住まいの宮崎県にあるかどうか分かりませんが、遺族の会にお入りになることはお勧めできると思います。

私は滋賀県のガン患者遺族の会のことしかわかりませんが、遺族の方々が集まってお話しされています。この会をつくった会長さん(ご主人をガンで亡くされた方)が指導性の高い方で、グリーフ・ケアをよく学んでおられる信頼のおける方です。臨床心理を専門とする大学教員の方、会員で臨床心理士の資格を取得された方も数人おられ、個々の出席者についてケース会議を開いて、処遇を検討されています。なるほど、立ち直れる人が大勢おいでになるはずだと思いました。

ごく常識的に考えても、独りで悲しむより、同じ悲しみのなかにある仲間と語らいあった方が悲しみを超えていく力を得やすいはずです。一人より二人、二人より三人思います。

また、作文などお祖母さまの思い出を文章化してみるのもよいと思います。私が大好きな絵本『わすれられないおくりもの』は、イギリスの当時二十代だった女性が、大好きだったお祖母ちゃんを亡くした悲しみをもとにして作った絵本です。ぜひこの絵本を読んでみてください。なかなか絵本までは描けませんが、自分一人のためにわすれられない思い出を文章にしてつづってみては如何でしょう。

3年1ヶ月前
回答僧

願誉浄史

不慮の事故ではなく老化

老化とともに、飲み込む力が弱くなり、誤嚥リスクは高まります。
もしも人間ではなく動物なら、とっくに亡くなっていたでしょう。
人間に生まれ、介護してくれる方がいたから、高齢でも生きていられたのです。
誤嚥は、高齢者であれば仕方がないことなのです。
身体のどこから老化が進むかは個人差があり、最後の死因は人それぞれですが、必ず人は老いて、病み、死にゆくのです。
悲しみは、怒りの煩悩です。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。
心で毒をつくりだすくらいなら、「私のせいじゃない、老化だから仕方ない」と思ったほうが良いのです。

3年前

質問者からの有り難し - お礼

 邦元 さま
大変あたたかいお言葉ありがとうございました。
そうですよね。祖母がいるから私が生かされている。
読んでいくうちに、祖母が近くに感じられるような気になりました。

でもそれと同時に、意思疎通が出来ないどうしようもない寂しさに
また涙がこぼれました。

でも、この涙は近頃頻繁に流していた後悔の涙とは違います。
祖母を偲んで流れた涙だと思います。
この気持ちをできるだけ忘れないように、日にち薬が
効いてくるのを待ちたいと思います。

感謝いたします。

  藤岡俊彦 さま  

お役に立つ情報を教えて下さりありがとうございました。

先日、私もグリーフ・ケアの本を読んだ時、死別後の気持ちの移りゆく過程について知りました。
普通なら順調に段階を踏んで立ち直っていくものだそうですが
中には後戻りしたり10年ぐらい掛かったり、人それぞれだなんだそうです。

私の場合はきっと、今人一倍後悔しているせいで、自分で立ち直りを遅らせているんだと思います。

遺族の会については、隣県にはあるかもしれません。
(鹿児島県の善福寺の住職様の書かれている本で知りました。)
でもここのサイトでご相談して、沢山の方々に目を通していただけるだけでも
私はいくらか救われていると思います。

それに、今かかっている心療内科にも臨床心理士さんが
週に何日かいらっしゃっていて、
希望すれば相談も可能という事でしたので、
 藤岡 さまのご助言の通り、あまり自分独りで考えこまずに
 何かアクションを起こしていこうと思います。

日記はずっとつけています。
祖母が亡くなってからは、ほぼ思ったこと(後悔と自責の念ばかり)を
書き留めたり、祖母の出てきた夢の日記にみたいになってしまっていますが。
確かに書いた後は心がまとまります。
書く という事は良いことだったのですね。
でも、これからは楽しかった思い出などを書かなくてはいけないですね。

※『わすれられないおくりもの』
ぜひ、読ませていただきます。

これほどまでに気にかけていただき 感謝いたします。

小原観慈 さま  
お言葉 ありがたく頂戴いたしました。

>あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母
さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

そうですね。仰るとおりだと思います。 
祖母は 祖父(夫)、実の親はもちろんの事、義理の親、兄弟、水子さんのお供
養のため、命日だけではなく、できるだけお寺や納骨堂にお参りに行く信仰心が
深い人でした。
私は小さい頃からそんなばあちゃんの横でよくお仏壇に手を合わせたものです。
それから近所の方たちのところにも日頃から頻繁に行き来し、
お互い助け合いいつも仲良くしていて朗らかで優しい人でした。
家族とも喧嘩一つしませんでしたし。でも時にはきちんと叱ってくれました。

なのに、90歳を過ぎてから どうしてうちの祖母にかぎって このような悲惨な亡くなり方をしな
くてはならなかったのか と正直 信じていた神仏様までも憎みました。

…ですが今は、人間皆いつか死ぬ。
亡くなり方にひどいも何も無いのだと言い聞かせております。
これは今までの人生の積み重ねによるどうしようもない運命だったんですよね。

先週、百か日を過ぎました。

これから私は、極力恥じない、悔やまない生き方をできる人間になるように
前を向かなくてはいけない。
 それこそ祖母に教えられた事のように思いました。

>人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
 だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

本当に辛いけれどそういうものなのですね。
厳しいお言葉ありがとうございます。
後悔の念は残された者の一種のわがままだというのも重々承知しております。

私の余生、私と縁ある人達の余生、後どれくらいあるかわかりませんが
とにかく今を生きます。
乱文失礼しました。

願誉浄史 さま お言葉 ありがたく受け止めました。

> 悲しみは、怒りの煩悩です。
> 怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。

そうなんですね。今まで気がつきませんでした。

私は、入院前の祖母の体調不良にいち早く手を打てなかった。
それから知識も少ないまま介護をして、誤嚥のリスクにも気を配らなかった。
食事がこんなにも命がけだったなんて考えにも及ばず…。
(薬の副作用も原因にあるようでした)

体がきつくても、嫌がらずにすべて私の言うとおりに
薬を飲んで、デイサービスにも行ってくれた祖母。

だから、なおさら私を信じてくれた
祖母にすごく申し訳なかったんです。

今自分を責める事は、このようなすべて至らなかった
自分に対する怒りの心です。
そしてそれらは確かに深い悲しみからきています。

でも、必ず生きているものには老病死がある。

根本的なことを失念していたような気がします。
それに気づかせてくださってありがとうございました。

肩の荷が少しおりました。

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