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死別 後悔、 生きる事はこんなにつらいのか?

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今年の4月初めに自宅で介護中、祖母が昼食を誤嚥して窒息し翌日亡くなりました。 
その日はお花見に行こうと約束していたのに …あまりにも突然の出来事でした。
 
私はおばあちゃん子でしたので、祖母を喪ってからというもの、すっかり気力をなくして涙にくれ、それからしばらくすると、悲しみと一緒に自責の念に激しく駆られるようになりました。(現在は心を病んで心療内科に通院しています。)

考える事はいつもそもそも論ばかり、
祖母が元気な時から、そばにいる事が一番多かった孫の私だから、
なおさら助けられた事があったのではないかと、
過去をさかのぼっては思い悩むのです。

もう変える事など出来ないのは心では分かっているのですが…。
悔しさで頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになります。
 
愛する人を亡くしてからしか、あとからでしか気づかないというのは 
人間の宿命なのでしょうか?

寿命だったと諦めるにも諦めきれません。
不慮の事故であってもその人の運命なのですか?

これからの私には、老いゆく家族との死別が待っているだろうという恐怖と、
人生の楽しみはもう減っていくだけだという絶望しか無いので
長生きするのは苦しみでしかありません。
愛する人との死別がこれほどまでにつらいなら誰よりも早く死にたいとさえ思います。
以前は死ぬ事が怖かったのに、今は逆に生きる事が怖いのです。
自分がもし死んでも、もう祖母やご先祖様と再会できるなんて事は思ってはいませんが。
今はただ、生きて後悔で苦しみたくないから記憶を消すために無になりたいのです。

如何ともし難いところですが、少しでも前向きになれるお言葉をいただけたらありがたく思います。長文失礼しました。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

伝えてもらったこと

お祖母さんを不慮の事故で亡くされたこと、お悔やみ申し上げます。

私たちは日々、数知れずの沢山の条件が絡み合ってこの世を生きています。
重なる条件が人によって違うから、違う人生を送っているのです。

お祖母さんも、不幸にしてそういう条件が重なってしまった。
これは、誰にも予測出来ませんし、どうしようもなかったことです。

自分や他を責めても、そこからは何も生まれません。
まして、私がなんとか出来たかもしれないと、自分を責めていたのでは、お祖母さまもあなたが心配で仕方ないでしょう。

あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

いつも見ていたお祖母さんの姿、聞き慣れたお祖母さんの言葉を、あなたが自分の人生にどう役に立てるかです。

人がこの世を生きるということは、人の姿を見ると同時に、周りにも自分の姿を見せるということです。
人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

日蓮聖人のお言葉に「先ず臨終のことを習うて、後に諸事を習うべし」というものがあります。
他の人も、そしていつかは自分も、必ず別れの時が来るからこそ、それを解った上で、今という時を悔いのないように精一杯生きなさいという事だと私は思っています。

あなたが一番お祖母さんに一番近かったと思うなら、お祖母さんの残してくれた教えを、他の誰が後の人たちに伝えられますか?

お祖母ちゃんに「色んな姿を見せてきて良かった」「色んなものを残してきて良かった」「この世を生きて良かった」と思わせてあげられるのは、あなたしかいないじゃないですか。

あなたがお祖母ちゃんの人生を、取るものは取り、捨てるものは捨てしながら、自分なりのものにして、後に続く人たちに、あなたの姿として伝えてあげて下さい。

お祖母ちゃん、きっと喜ばれると思いますよ。

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大丈夫です。

カフカさま

おばあさまを亡くされたことは、とても悲しいことだと思います。
そしてあなたは、その悲しみとともに今生きていらっしゃいます。

その悲しみは、消えるものです。後悔なんてする必要ありません。生命としての働きが無くなる条件が揃い、亡くなったというだけです。その時の悲しみ(過去のものを)を引っ張り出し今悲しいかのように、繰り返しているのです。おばあさまの命はあなたの体の一部となり今も生きています。より近くにいるのではないですか。おばあさま無くしてあなたは存在しない。

そして、あなたはいま生かされています。不幸しかないと頭で考えれば、それだけの人生。現実をよく見てください。どこに不幸が見えるのでしょうか。幸せに生きることはできますよ。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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きちんと悲しむ時期を過ごす

大好きだったお祖母ちゃんを亡くされてお悲しみでしょう。私にもお祖母ちゃんがいました(当たり前かもしれませんが)。やさしいお祖母ちゃんが亡くなって、悲嘆にくれておられる姿が浮かんでくるようです。

さて、グリー・ケアの本を読んでいますと、悲しいときに深く悲しむことが必要であるされます。悲しむべきときに十分悲しまないと、いつまでも悲しみを引きずることになるようです。だから、悲しいときには悲しんでください。

その後の話ですが、一人ではなかなか悲しみから立ち上がることは困難かもしれません。お住まいの宮崎県にあるかどうか分かりませんが、遺族の会にお入りになることはお勧めできると思います。

私は滋賀県のガン患者遺族の会のことしかわかりませんが、遺族の方々が集まってお話しされています。この会をつくった会長さん(ご主人をガンで亡くされた方)が指導性の高い方で、グリーフ・ケアをよく学んでおられる信頼のおける方です。臨床心理を専門とする大学教員の方、会員で臨床心理士の資格を取得された方も数人おられ、個々の出席者についてケース会議を開いて、処遇を検討されています。なるほど、立ち直れる人が大勢おいでになるはずだと思いました。

ごく常識的に考えても、独りで悲しむより、同じ悲しみのなかにある仲間と語らいあった方が悲しみを超えていく力を得やすいはずです。一人より二人、二人より三人思います。

また、作文などお祖母さまの思い出を文章化してみるのもよいと思います。私が大好きな絵本『わすれられないおくりもの』は、イギリスの当時二十代だった女性が、大好きだったお祖母ちゃんを亡くした悲しみをもとにして作った絵本です。ぜひこの絵本を読んでみてください。なかなか絵本までは描けませんが、自分一人のためにわすれられない思い出を文章にしてつづってみては如何でしょう。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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不慮の事故ではなく老化

老化とともに、飲み込む力が弱くなり、誤嚥リスクは高まります。
もしも人間ではなく動物なら、とっくに亡くなっていたでしょう。
人間に生まれ、介護してくれる方がいたから、高齢でも生きていられたのです。
誤嚥は、高齢者であれば仕方がないことなのです。
身体のどこから老化が進むかは個人差があり、最後の死因は人それぞれですが、必ず人は老いて、病み、死にゆくのです。
悲しみは、怒りの煩悩です。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。
心で毒をつくりだすくらいなら、「私のせいじゃない、老化だから仕方ない」と思ったほうが良いのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

 邦元 さま
大変あたたかいお言葉ありがとうございました。
そうですよね。祖母がいるから私が生かされている。
読んでいくうちに、祖母が近くに感じられるような気になりました。

でもそれと同時に、意思疎通が出来ないどうしようもない寂しさに
また涙がこぼれました。

でも、この涙は近頃頻繁に流していた後悔の涙とは違います。
祖母を偲んで流れた涙だと思います。
この気持ちをできるだけ忘れないように、日にち薬が
効いてくるのを待ちたいと思います。

感謝いたします。

  藤岡俊彦 さま  

お役に立つ情報を教えて下さりありがとうございました。

先日、私もグリーフ・ケアの本を読んだ時、死別後の気持ちの移りゆく過程について知りました。
普通なら順調に段階を踏んで立ち直っていくものだそうですが
中には後戻りしたり10年ぐらい掛かったり、人それぞれだなんだそうです。

私の場合はきっと、今人一倍後悔しているせいで、自分で立ち直りを遅らせているんだと思います。

遺族の会については、隣県にはあるかもしれません。
(鹿児島県の善福寺の住職様の書かれている本で知りました。)
でもここのサイトでご相談して、沢山の方々に目を通していただけるだけでも
私はいくらか救われていると思います。

それに、今かかっている心療内科にも臨床心理士さんが
週に何日かいらっしゃっていて、
希望すれば相談も可能という事でしたので、
 藤岡 さまのご助言の通り、あまり自分独りで考えこまずに
 何かアクションを起こしていこうと思います。

日記はずっとつけています。
祖母が亡くなってからは、ほぼ思ったこと(後悔と自責の念ばかり)を
書き留めたり、祖母の出てきた夢の日記にみたいになってしまっていますが。
確かに書いた後は心がまとまります。
書く という事は良いことだったのですね。
でも、これからは楽しかった思い出などを書かなくてはいけないですね。

※『わすれられないおくりもの』
ぜひ、読ませていただきます。

これほどまでに気にかけていただき 感謝いたします。

小原観慈 さま  
お言葉 ありがたく頂戴いたしました。

>あなたが、先ずしなければいけないことは、いつも傍で見させて頂いたお祖母
さんの人生を、あなたがどのように受け止めて参考にさせて頂くかということです。

そうですね。仰るとおりだと思います。 
祖母は 祖父(夫)、実の親はもちろんの事、義理の親、兄弟、水子さんのお供
養のため、命日だけではなく、できるだけお寺や納骨堂にお参りに行く信仰心が
深い人でした。
私は小さい頃からそんなばあちゃんの横でよくお仏壇に手を合わせたものです。
それから近所の方たちのところにも日頃から頻繁に行き来し、
お互い助け合いいつも仲良くしていて朗らかで優しい人でした。
家族とも喧嘩一つしませんでしたし。でも時にはきちんと叱ってくれました。

なのに、90歳を過ぎてから どうしてうちの祖母にかぎって このような悲惨な亡くなり方をしな
くてはならなかったのか と正直 信じていた神仏様までも憎みました。

…ですが今は、人間皆いつか死ぬ。
亡くなり方にひどいも何も無いのだと言い聞かせております。
これは今までの人生の積み重ねによるどうしようもない運命だったんですよね。

先週、百か日を過ぎました。

これから私は、極力恥じない、悔やまない生き方をできる人間になるように
前を向かなくてはいけない。
 それこそ祖母に教えられた事のように思いました。

>人は必ず、出会った数だけ別れを経験しなければなりません。
 だからこそ、自分がどう生きるかが大切なのです。

本当に辛いけれどそういうものなのですね。
厳しいお言葉ありがとうございます。
後悔の念は残された者の一種のわがままだというのも重々承知しております。

私の余生、私と縁ある人達の余生、後どれくらいあるかわかりませんが
とにかく今を生きます。
乱文失礼しました。

願誉浄史 さま お言葉 ありがたく受け止めました。

> 悲しみは、怒りの煩悩です。
> 怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になる、毒です。

そうなんですね。今まで気がつきませんでした。

私は、入院前の祖母の体調不良にいち早く手を打てなかった。
それから知識も少ないまま介護をして、誤嚥のリスクにも気を配らなかった。
食事がこんなにも命がけだったなんて考えにも及ばず…。
(薬の副作用も原因にあるようでした)

体がきつくても、嫌がらずにすべて私の言うとおりに
薬を飲んで、デイサービスにも行ってくれた祖母。

だから、なおさら私を信じてくれた
祖母にすごく申し訳なかったんです。

今自分を責める事は、このようなすべて至らなかった
自分に対する怒りの心です。
そしてそれらは確かに深い悲しみからきています。

でも、必ず生きているものには老病死がある。

根本的なことを失念していたような気がします。
それに気づかせてくださってありがとうございました。

肩の荷が少しおりました。

「生きるのが辛い」問答一覧

休めない五月を生きるために

いつもお世話になっております ここ数年、副業が複数ありフリーランスに近い働き方です 五月の労働時間は、週50時間を超えそうです 仕事上の成果も、おかげさまでそれなりに実を結んでいます 今までの経験を活かし、新人や若手を育てる役目も担える立場にもいます 相手や自分の未熟さを受け入れた上で、焦らずにじっくりと正しく成長に繋がる選択をする、相当の忍耐や心の広さも周りの重鎮・長老的な立場の方から教わり、なおかつシニア層の心身のケアをお返しして長期雇用継続を支えているような毎日です 毎日が自己実現のための勉強や経験、プラスの成果・収穫に富んでおり、有り難く充実しています 副業先からは「もう少し来てほしい」と請願されています そしてまた子育てもあります 腹を割って話す、本気で向き合う時間と労力の必要な時期です 子のいないところで、伴侶とも話し合いをし、お互いの方針への理解を深めようと思っています 親の背中からの子の言動に、頭を抱えてしまうこともしばしばです 悪い芽は早く摘む「今のままでは自立が遅れ本人にとっても親にとっても良くない」と感じた時は、折に触れて伴侶にもちかけたり、子にも心の内を打ち明けています 一時期干渉をし過ぎたこともありましたが、なかなか距離のとり方は難しくも、子どもの反発は成長のあらわれだともわかり、それほど自己嫌悪=凹まなくなりました 家の事は特に課題が多く、正直氣の休まる時間はもっと必要です 忙しさに追われるとますます余裕がなくなるため、週3〜お寺に伺い読経や御詠歌の稽古で心身を落ち着け、行事にも出仕しています 治療家からの助言 若手専門家 「自分のからだと相談」「今は(定期的なメンテナンスで)安定しつつある」 指導員級専門家 「体調が崩れる原因は頑張り過ぎ、とにかく無理をしないこと」「なるべく温存するぐらいで、ちょうど良い」 自分自身、心と体の健康バランスを保つために 「空白の時間をつくる」「何もしなくてよい時間」疲れを回復させる時間が必要だと思いつつ 有り難いことに仕事が入ってきます 過信をせず 仕事の調整が必要だと判断し 余力を持ちながら 5月を乗り越えたいです 仕事を受け貯金もし 学校への目標達成へ 走り続ける目先の得より 自分を大切に ちゃんとエネルギーを 残しつつ皐月も勤しむよう お坊さんからの慈悲のお諭しをいただけますか

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学校に行くのがつらい、生きるのがつらい

こんばんは。見て下さりありがとうございます。 最近生きる気力がありません。 おそらく原因は数ヶ月前、仲がいいとおもっていた友人に裏切られたことです。 信じていたのにと、どうしようもなく勝手に思ってしまいます。他人に過度に期待を寄せすぎたのかもしれません。 自分にも非や自業自得な部分もあり、相性が合わないのは仕方ないことだと思うので、お互いのために距離を置いたりすること自体は普通だと思うのですが、最近その友人と友人のグループから嫌がらせのようなものを受けていて、私は写真を撮られること自体が嫌なのに勝手に写真を撮られて挙句の果てにはTwitter(鍵垢)に載せられたり、いろんなところで悪口を言われたりしていて、今まで信用していただけにとても悲しくてつらいです。 4月になってからクラス替えをしてその子たちとはクラスが別々になったのですが、廊下などですれ違う時にくすくすと笑われたり、わざと聞こえるように気持ち悪い、死ねなどと悪口を言われたりします。 私が気にしすぎなところもあるとおもいますが、気持ち的にかなりしんどいです。 言葉にするのが難しいのですが、宿題をしようかなと思った時に親に宿題やれと言われるとやる気が無くなるのと同じような感覚で、なにしようとおもったらいつも誰の声が聞こえる訳でもないのに誰かにそういったことを言われてる気がして、怖くなったりすべてに怯えてしまってなにもできなくなってしまいます。 頑張って生きようと思っても、誰かに生きるなだとか、あの子たちにしんでしまえと言われている気がして、苦しくて生きるのがつらいです。 私はこれからまともに生きていける気がしません。 どうしたら、今より楽な考え方で生きていけると思いますか。 お坊さんのお考えをお聞きしたいです。

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行動への強迫観念?と推しへの不安

私は、自分のちょっとした行動が不幸をもたらすんじゃないかという不安にずっと取り憑かれています。 「不幸をもたらす」の対象は、自分だけでなく自分の大切な人だったりしてかなり苦しいです。 その行動一つ一つは大したことなく、「洗い物をしなかった」みたいな少し悪いこともありますが、大抵「ジュースの缶を左手で持った」みたいな本当にしょうもないことです。 どんな行動に対してそう思うのか、ということに決まりがある訳じゃなく、急に「こうしないと悪いことが起きてしまう」みたいに思います。 別に昨日はジュースを飲む時に缶をどっちの手で持ってもよかったけど、今日は左じゃダメって缶を持つ瞬間に思って、持ち替えたり、或いは間に合わなくてそのまま左手で持っちゃったり、という感じです。 ところで私は競馬が好きで、推しの騎手を応援するという楽しみ方をしています。 ですが先日、ある騎手の方がレース中の事故で命を落としました。 今まで怪我は見たことがありましたが、死亡というのは私の見ている中央競馬では長い間なかったことで、なんだかんだ帰ってきてくれると思っていただけに、とてもショックでした。私の推しではありませんが、推しの相棒とも言える馬の調教によく携わっていた方で、お子さんも産まれたばかりだったそうです。 そして改めて騎手という仕事の危険性を実感しすごく不安になりました。それでも競馬は楽しいし、見るのをやめるというのは亡くなった騎手の方にも、これからも頑張り続けるであろう自分の推しにも失礼だと思うので見続けますが……。 そして、その不安がそうさせるんだと思うんですが、上に挙げたような自分の行動が推しやその周囲のことを傷つけないか不安です。 回避できたらまだいいですが、行動を途中で止められず回避できないことも多いです。さっきもそうでした。 車は急に止まれないって言いますが、そんな感じだと思います。たとえばジュースを左手で持ったらいけない、って思ってもその時左手がジュースを持つ体勢に入ってたらそのまま持ってしまいます。 頭の中で「〇〇したらダメ!」ってなるのが、回避できるか否か微妙なタイミングだったりする時があるのも大きいです。 うまく説明できなくてすみません。 自分でも馬鹿だと思いますが、日常が少ししんどいです。

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日々を過ごすための気の持ち方

30代の男性サラリーマンです。未就学の子供が二人いるのですが、幸い私の仕事がほぼリモートワークで家事や育児もかなりこなすことができています。子供たちは勿論大事なのですが、例えばお風呂に入ろうだとかやらないといけないことを声掛けしても無視したり逃げたりと、正直うんざり気味でかわいくないなと思うことが最近増えてしまっています。内心一秒でも早く成長して好きなことを見つけ、早く家を出て欲しいです。 夜は夫婦日替わりで子供を寝かしつけ、20時には自由時間になるのですがやりたいことも何も無く、少しスマホをいじって21時には就寝してしまいます。昼のうちは夜になったらあれをやろうとか考えるのですが、いざ子供が寝ると何もやる気が起きず、眠くなるまで虚無のような時間を過ごしてしまうのがここ数年の悩みです。 妻は夜遅くまでネット上の繋がり等で好きな時間を過ごしており、それも妙に居心地が悪いのも私が早く寝るようになった原因な気がします。 最近、子供への苛立ちや妻との距離感、やりたいことも皆無な日々を過ごすにつれ、早く歳をとってさっさと死にたいという無気力な諦めのような気持ちが強まっています。 そんな自分の感情に向き合うのも疲れてきて、最近はイライラしたり子供に怒鳴りそうになったらあえて感情を抑えて無表情でやりすごす術を身に着けたので少し楽になってきましたが、より一層諦観が満ちて悪循環に陥っている感じです。 仕事に打ち込めればいいのでしょうが、生来無気力な人間なので労働自体が好きではなくそれも難しいです。育児のままならなさと比べれば仕事のストレスは極めて些細で心身の負担にならず、家族を養うのにも十分な収入をいただけていることはことは唯一の救いです。 振り返ると幼少期より怪しい宗教に借金にとろくでもない両親のもとで育たことで、期待せず自分の意志を殺して生きるのが身に染み付いているのかと思います。 長々と書いてしまいましたが、私のような不平不満ばかりの無気力な人間はこの先何十年もどう生きていけば良いのでしょうか。自分が恵まれた環境にいることは重々理解しており、甘えるなというのが回答かもしれません。自分の気持ちを前向きに切り替えて頑張るしかなく、きっとこんなところで人頼みにするようなことではありませんが、家族や周囲の人にこんな甘えた相談もできず、何かアドバイスがもらえないかと思い相談いたしました。

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仕事を変えてでも地元に帰るか悩んでいます

何度かこちらでお世話になっております。 前回は実りあるご回答頂き、誠に感謝いたします。 あれから根っこの問題について。 地元に帰る事について改めて考えました。 身内の事情も考えて、心機一転と安易な気持ちでと事前に下調べもせずに移り住んだ事は軽はずみであったと思います。 身内とも相談しました。 「私の事はよいから自分を優先して私たちの故郷へ帰りなさい」と言いますが、現に経済的支援や通院などの必要性が出ているので口でそう言われてもと思ったりもしてしまいます。 身内と共に帰るとなれば、私が養っていかなければならないのですが、それも悩みの一つです。 地元に帰っても長年続けてきた仕事は出来そうになく、全く違う分野の仕事になりそうです。 年収も減るのでその心配もあります。 同じ仕事を出来ない理由は特殊な施設で働いていて、数少ない求人が出ていても労働条件が基本悪いです。(有給を年間5日以上使えない、年間公休日について、時間外労働など)今の業界は職員の自己犠牲の上に成り立っている部分があります。 なので、同じ施設の求人が出ていても、ある程度選り好みをしなければ元の木阿弥ですので慎重になってます。(人不足は人間関係の悪化、雰囲気に影響する) この前履歴書を書いていたのですが、職歴が2枚目になってしまいました。 今の仕事内容はとても好きで、手足が自然に動くほど慣れ親しんだものです。一番の悩みは今の仕事の人間関係、大半の人の人柄です。 今の地に長い事居たら自分主義の適切でない利用者への対応など、価値観が自分に染まっていくのでは?と漠然とした不安もあります。そうならないよう自分を強く持ち続ける事の大切さも理解しています。 どうしても帰りたいのなら違う仕事でも挑戦してみるべきでしょうか? 自身の拙い社会人歴を振り返ってですが、、 地元(および近郊都市)でおそらく余程の万年人不足のところを選ばなければ、今より人間関係においては改善される可能性は高いのかなと思っています。 お導き頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

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人のために生きること

人のために生きることってダメなことですか? 親が離婚し母子になってから、母に自慢に思ってもらえる娘であることを目的として勉学進路職業を決めて生きていました。他にも彼氏や友達、自分の手の届く範囲の人のために何かをすること、相手に嫌われないことを第1に生きてきました。 誰かのために生きていると、当然ながらその誰かはいつか居なくなることもあります。彼氏と別れる、友達と疎遠になるなど。その度、異常なほど心を病み、代わりを見つけたくなってしまいます。大人になるにつれ、それはどんどん加速し、あまりの落ち込みに仕事に行けなくなる、常に不安で涙がでる。そんな症状がでるようになりました。 先日、人生の目的の大部分を占めていた母が、見ず知らずの男性との再婚を希望したこと、それにより自分はその知らない男性の家には帰れず、実家を失うに等しい状態になったことに、頭が真っ白になりました。 突然、目的を失ったような感覚です。 彼氏や友達との別れ、母との距離に落ち込んでいると、必ずと言っていいほど、 人のために生きてるからダメなんだよ。自分のために生きないと。そのようなニュアンスのことを多くの人に言われます。 恐らく私は他人に依存している、そのような意味合いで言われているのだと思います。 確かに、生きる意味になってる人を失った時、周りから見たら恐ろしいほどに傷つき、目的を失うことで無気力になるのもわかっていますし、これを何度も繰り返すことは自分の心に良くないことも分かっています。 それから人のために生きることはダメなんだと思い、代わりを探すのをやめてみました。すると、ふわふわしてなんとも言えぬ不安に襲われ暴れそうになってしまいます。 生きる目的になる人を探さないと、心が安定しません。いけないことでしょうか?いけないのだとしたら、自分のために生きるってどういう状態を言うのですか?教えてください。

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新しい環境への不安で潰されそう

先週知っている人も全くいない土地に引っ越してきました。一度住んだことのある市ではありますが全く馴染みのない場所で実家も同じ市ですが車でも電車でも1時間以上掛かります。 引っ越した理由はマンションの購入、そして夫が以前の場所では勤務先まで2時間ほど通勤に掛かっていたので職場に通いやすくなること。 私は前の住居がとても気に入っていて一歳の息子がいることもありママ友がいたり、子育て広場があったり、近くの商業施設などが充実していたり、、、と本当は引っ越したくなくてかなり夫とぶつかりましたが、妥協も必要だろうと結局引っ越すことになりました。 (引っ越しても、近くにスーパーがある、子育て広場もある、駅にバス一本でいけるなど過ごしやすい環境が充実しているということ) 出来るだけポジティブに前向きに考えようとインテリア探しをしたり、引っ越しても新たな楽しい場所を開拓しようと息子を連れて出掛けたりしていますが、ふとした瞬間に今まで週3回ほど通っていた以前の子育て広場の保育士さん、顔見知りのママたちに会えないことを痛感し凄く寂しくて心が潰れてしまいそうになります。 まだ今の場所では子育て広場に行ったこともないし知っている顔も1人もいなくてこれからもずっと友達出来ないかもしれないと思うと切なくて涙が出そうです。 母に相談しても心配されるだろうし、夫には引っ越す時でさえもママ友は新しい場所で作っていくもの、今のママ友と離れるのが寂しいと言ってもそんな深い関係じゃないとあんまり気持ちを分かってくれなさそうで話しにくいです。 (といいつつ昨晩気持ちを、素直に話しましたが私を責めるわけでもなく友達できるよみたいな軽い感覚で、、、) 新しい環境なんてみんな緊張の連続であることは重々承知なのですがあまりに狭い世界で生きてる気がして辛いです。 今妊娠6ヶ月で更に一歳の息子を育てていて心がいっぱいいっぱいになっています。 不安ばかりが勝ってしまう新生活でどうにか明るい気持ちを持って新生活に臨みたいです。 ポジティブになりたい、元気に過ごしたいこの気持ちは常にあるのになかなかそうは行かず辛いです。

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自分の必要性

私はASD/ADHDという発達障害の診断を受けています。その影響もあると思います 音に敏感になったり一つの事に拘ったりしています。肺炎で入院していた父親が退院して1か月になります。それなのに高齢なので退院後は自宅で安静にしているのも仕方ないと思っていました。しかし、安静にしてばかりだと歩けなくなってしまうので私は寝てばかりいないで起きて身体を動かすように言っていますが無意味になっています。私は介護施設で介護補助として働いています。動かない事でADL低下してしまった人を何人も見ています。なので罵声してしまっています。自死願望も強くあります。父親が運転していた車がトラックにぶつかる瞬間が頭から離れず叫びたく事も増えてきたので心療内科医に抗不安剤を処方されましたがあまり効果なく感じ相談に行きましたがその時は処方され一週間後だったので医師はもう少し様子見てと言ってきました。こんな風に身体も精神疾患もある私はこの世に必要なのですか?思い通りにならないと奇声を上げたりします 時間にも待つことが出来ません。何故、私は生かされているのですか?不要な人間です。自死を考えますが紹介された病院の医師との初対面で「大丈夫です、助かりますよ」と言ってくれ何度も命の危険があったのを助けてくれたことを思い顔が浮かんで来ると裏切ることになるのだと思うと自死を思い留まってしまいます。でも、私みたいな娘は親も口にはしませんがいなくなればいいと思っていると思います。早くこの世から消えたいです

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ