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性格が正反対の娘との付き合い方

回答数回答 3
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 長女は中学生です。
 幼い頃から「なんでこんなことするの?」と私の感覚にはない事(いたずら等)をするため、第一子という事も併せて他の子達よりも言い聞かせる機会が多かったと思います。
 マイペースすぎる特性が多少あるという指摘を専門家から受けて、私も神経質になっていたのかもしれません。
 私自身、1人で子ども達の面倒を見なければいけないので、基本的に短気な性格という事も合わせてピリピリしていました。
 娘は身の回りを汚くしていても平気だったり、色んなことがおおざっぱで、一度失敗した事をなかなか覚えようとしません。
 私が色々し過ぎたかと反省して、近頃ではヒントを与えつつ本人に任せています。
 最近では年頃になり、元々温厚な子ではありますが、少し反発的な態度もとるようになりました。
 「反発してもいいから、しっかり自分の行動に責任持って、自立できるようにしなさい」などと説き伏せてしまうと、気持ちが萎えてしまうようでこれは逆効果なのかな?と親として迷う毎日です。
 このままだと娘が委縮しないかと思いつつ、やはりきちんと生活していこうとしない姿勢にもどかしさを覚えています。
 それが娘にも伝わっているようで、普段は私の顔色を大変気にしています。
 私自身が足元がふらついている状況で、思春期の娘と向き合って大丈夫なんだろうかと心配だらけです。
 気を長くして付き合えばいい、もっと見守ればいい・・・それは重々承知です。
 しかし、娘の事が心配で心配で。
 心配過ぎて、もやもやして娘の事嫌いになってしまいそうです。
 (ちなみに、他の子ども達とはここまでの関係ではありません。
 きっと、言い聞かせられている長女の姿を見て成長しているからだと思います。)
 乱文になってしまい、申し訳ありません。
 よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

尊厳を引き出す

まず、あなたがその子の母親であるという意識を3分捨ててください。
「わたし」という条件をそのお子さんに一切かかわらせないのです。
親と子の関係はどうしても「わたしの子」「私が育てた子」「わたしが生んだ子」という所有意識にも似た日本の古めかしい意識がつきものです。
子供の尊厳を認められない親は子供に何十億とつぎ込んでもペケです。
子供は他人様の子供を育てるように、自分のもの化してはいけないのです。
自分の思い通りになってほしいナァとは親であれば誰でも思ってしまうものですが、誰が何と言おうが、DNA的にはあなたとお子さんとは親子関係であろうが、どんなに長い時間一緒に過ごそうが、お子さんはお子さんの命であって、アナタとは別存在、別の生命体だということを、あらためて思い直してみましょう。
どこかしら「わたしの」という気持ちが強くなっているのではないでしょうか。
私も親からそういう接し方をされて嫌な気持ちになったことが多々あります。
この子にとってよかれよかれと思う親の気持ちがあるにしても少しでも親の上から目線がそこにあるならば、それは残念ながら、愛であるように見せかけた、限りなく愛に近いのですが、エゴ濃度の濃い愛です。サラサラな愛ではなく、ドロドロネバネバなのです。
それぞれが、それぞれ個個の存在であるという事を認められて真実の愛情になるのです。
もちろん、お子さんが愛を欲する時は提供してあげるべきです。
ですが、それは押しつけであってはなりません。
お子さんにはトンボのような薄い羽根があると思ってください。
その羽を強くつかむと羽がよれよれになってしまいます。
大きく羽ばたけるようにするのが愛であって、羽を切ることや、飛べなくすることは「この子の為に」と思っても余計なお世話なのです。
「私と正反対」といわれますが、「わたしと」という基準が強くなっていませんか。
子供から親の顔色を伺われるという事はすでにあなたがエゴの押しつけばかりだったという事です。
そこをまず「お母さん、今まであなたによかれと思ってやってきたんだけど。それは間違っていたことが沢山あった。あなたはあなたの好きなようにしていいんだよ。」と、あやまってあげてください。
それができたら返信をお願い致します。
いや、子供に親が謝るなんてプライドが許せないというような方であれば、私は救いようがありません。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

娘さんがかわいそう

たとえ、あなたのお子さんでも、あなたのものではないのです。立派な一人の人間です。それなのに小さい頃からガミガミとあなたの価値観を押し付けてきたからこそ、娘さんは自分に自信が持てないし、親の顔色を見るようになってしまったのでしょう。

あなたのタイミングであなたの思ったようにやらないことは、人としてダメなことですか?何のレッテルも貼らずありのままの娘さんを見るのですよ。今まで素直でまっさらだった純粋で天真爛漫なお子さんの姿に、価値観を植え付けてしまったことで身動きが取りにくくなってしまったのでしょう。

娘さんを抱きしめ謝りましょう。今まで大人の都合を押し付けてきてしまったことを。何のレッテルも貼らず、娘さんの言い分、思いをとことん聞いてあげてください。さえぎることなく、吸取紙のように聞いてあげてください。受け止めてあげてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

 幼い頃は、下の兄弟の命を脅かしかねないことをし、自分の命も危険にさらすことを繰り返し、何度も伝える日々でした。
 人に迷惑をかけてもニコニコしている娘がどうしても心配でした。
 娘の言動や行動でにらみつけられていると気づいたことは一回や二回じゃありません。
 ここで、私は嫌われても言おう!叱ろう!と決心して育ててきました。
 これから先は彼女の人生ですよね。
 娘には嫌われても立派な大人になってくれたらいいな、と思って過ごしてきましたが、周囲からはそのような最低な親に見えていたと思うとちょっときついですね。
 心得て進んでいきます。

度々、御言葉をいただようでありがとうございます。
子どもには必ず、意見を聞いています。
子どもの意に反していたら、必要により話し合いも謝罪もします。
自分の所有と思っていれば、もっと引きずり回したと思います。
しかし、そうはできませんでした。
私と違う性格…と言うのは、表現上分かりやすくするためでした。矯正したりなどは思いません。私自身、欠けた所を日々悩みながら未だに過ごしていますので。
私自身、実親と上手に人間関係を築けなかったので、大切にしたい、子どもに不自由ない大人に育ってほしいという伝え方が微妙でおりました。
もう少し、慎重に歩みを進めようと思います。

ありがとうございます。

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