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自分がもっと成長するために必要な経験とは

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こんにちは。
私の悩みは自分が次に進むべきこと(積むべき経験)がわからなくなっていることです。

仕事に関してはある役職に就かせていただいていて後輩の指導などを
通して自分自身も成長することができ、慕ってもらっているな
と思います。

ただ、後輩たちが育ってきて役職の椅子の数が限られている中で
自分はいつまでもここに居座っていていいのかなと
気持ちの面で立ち止まっています。

私が頑張ってこれたのは頑張るしかない状況(相次ぐ先輩の退職、
人間関係の問題解決など)だったので自分がこのままであることで
後輩のやる気を削いでしまっているのではと思います。

実際に最近退職者が相次ぎ、先が見えないからという理由だったそうです。

自分自身も会社で色々なアイデアを提案してみたり
色々動いていはいますが虚無感に襲われることがあるのです。

プライベートでは趣味も続けていて最近運動も始めたり
ボランティアもして自分を高めるように頑張っているつもりです。

自分自身の人間性を磨くにはまだまだ別の経験が必要だと思うのですが
それが何かわからず宙を見つめる日々です。
何かを大きく変える必要があるのでしょうか。
アドバイスお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「よりよい私」と「今の私」

もっと成長してどうなりたいのでしょう 自分を高めてどうなるのでしょう
人間性を磨いてなんになるのでしょう 積むべき経験を積んでどうなるのでしょう

もっと上に、より良く、より大きく

それでどうなるのでしょう、最後はどうなっていくのでしょう。

答えは簡単です。どうあがいても死にます。何一つ持っていけません。積み上げたと思っていたものは全部虚像です。

たとえるならば途方もなく大きな岩を生涯かけて一生懸命押しているようなものです。押してる本人は一生懸命押して頑張っているからちょっとは満足するような気になっている。しかし実際には何一つ進んでいないのです。

それでは「ああ人生とはこんなものだったのだなあ」と虚しく死んでいきます。

ではどうするか。宗教には2種類あります。よりよい自分を信じる宗教と、今の自分を信じる宗教です。

ほとんどすべての宗教は前者です。よりよい自分をよしとして、それを目指し努力する。つまりそれは今の自分はダメということです。そのままでは満たされないのです。

ではよりよい自分とは何か。私としてはそれは虚像です。人間の身の事実に目をつぶっているだけです。人間は何をしようがたいして変わりはしません。死ぬ瞬間まで腹も立てれば、ねたみ、そねみ、欲も多いと浄土真宗の宗祖親鸞聖人は人間の本質を言い当てております。

これに対し浄土真宗は今の自分をそのまま信じる教えです。一切の条件なく許され、満たされる教えです。ですから自由です。岩を押したい人は押せばいい。押したくない人は回り道してもいいし、その場で寝ててもいい。押したい人が押してみて全然進まなくたって本人が好きでやっているのだから落ち込むも何もありません。

満足するために岩を押す行為を「雑行」といいます。やってもやらなくても変わらない行為ということです。

そして岩を押す自分でなく、今の自分を信じさせていただく行が「念仏」です。「南無阿弥陀仏」のお念仏は今・私がそのままで救われる教えです。なぜなら阿弥陀仏という仏様はそのままでよいとおっしゃるからです。

「南無」とは帰依する、拠り所とするという意味です。私が帰依する阿弥陀仏はそのままの私でよいとおっしゃります。だから頑張りたかったら好きに頑張ればいい。気楽なものです。すでにして満たされているのです。

よりよい私を信じるか、今の私を信じるか。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

発菩提心

自分が世の中の誰かさんのお役に立とうという心を爆発させて噴火させることです。
仏教では菩提心を発するということで発菩提心といいます。
たとえば仏教界でも心理学でも本当の意味でちゃんとしたものが広まらなかったりするという現象がいつの時代もおこります。
マインドフルネスやアドラー心理学の普及にあたっても、そういうものが流行れば必ずそこに「自分が金儲けの為に」という人間がうじゃうじゃ関与してくるからです。
「普及の為に」と称して自分の利益の為に、いい加減なものを広めようとすると、ちゃんとしたものが広まりません。
人間は自己顕示欲や名誉欲の利欲心に負けたら終わりです。
仏教もそういう人間が仏教に関与しているためにいまだ真の意味では花が咲いていかないのです。
だから、仏教は「菩提心を発(おこ)すこと」が大切なのです。
公のために、仏教の為に、仏法の為に…、であれば、法にかないます。
お仕事であれば、仕事の為に、購買者の為に、本当の高品質の為に、社会の為に、世界の為に。
公を助けようという心が爆発するくらいにモエあがれば、会社全体、社会全体を救う力になるのです。
政治家さんたちをご覧ください。
誰かがどちらかの利権の為にやっているものでしょう。
そういうしがらみを捨てて、我欲、利欲、名声欲、欲得の心を捨てて尽くす人こそ「徳」のある人です。
まだ、どこかしら自分の為にという気持ちが優先されて、自分の我欲が色濃い特濃ソースであると、どうしてもむなしさが残るのでしょう。
たとえば名前は出しませんが、テレビの司会者さんでも好感度の高い人を挙げてみてください。
時折、垣間見られるその人の自分自分した所やガツガツしたところが強いと、毒にはなれこそみんなをほっとさせる力にはなり難いものです。
それはその毒舌が支持されるレベルであれば問題はないのですが、人によっては受け入れられない場合もあるものです。
それはその人ににじみ出る慈悲心や愛が感じ取れるかどうかではないでしょうか。
慈悲心や愛は菩提心によって爆発します。
慈悲や愛を有すべき人は聖人偉人ばかりのことではありません。
世間ではそれが足りていないからこそ、あなたがその心を奮い起こすべきなのです。
それが社会、職場、現場の苦を取り除いて、血の通った世の中を作っていくために一番大切なことなのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

変える必要はないでしょうが…何を求めているかですね。

runa7さんのような上司を持つと頼もしいですね。

真面目にコツコツと仕事に打ち込んで歩んでこられたんでしょうね。

多分、何事にも、
スランプの時期、マンネリの時期、過渡期などがあるんだと思います。
また、
年齢からくる不安みたいなものもあるかと思います。

本当に大きく変えたいなら、

辞めることですね。

ギャンブルみたいに自分を荒波の真っ只中へ!

ということは考えておられないのだと思います。
でも、先が見えない不安、虚無感に襲われる…

まずは後輩のことは考えずに、
辞めないでどこまで自分が楽しめて、今の仕事に生きがいを見出せるか!
ですね。
うまくいかなくても、腐らず、耐える。

大手が取り入れ出している、マインドフルネスという、心を落ち着かせ整える瞑想みたいなものも取り組むと変化があるかもしれません。

ある程度上まで行った人は、

さらに上司に可愛がってもらい、うまくとりつくるか

自分自身を、見つめ直し、自分の中の成長を心がけるか

だと思います。

案外、離れた年上の上司か、辞めた先輩に相談してみると、同じ悩みからのヒントがもらえたり、
解決方法が見えたりするかもしれません。

また
仏教書などを読んで、新しい考え方や視点などを身につけるのもいいかもしれません。

具体的にアドバイスができませんが、
動くこと、我慢することの中に、続けていけば変化が出てくると思います。

顔晴ってください(^O^)

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おきもち

人生の秘密を、たくさんの出会いと、お釈迦さまの教えと、南無阿弥陀仏のお念仏を通して、知ることができました。 在家の身から、一念発起し僧侶に。 傍ら、介護の仕事に7年間従事し、その後整体の技術も身につける。 ときには、本山布教師として人前で成幸のお話をし、 ときには、温熱器を使って仏法整体師として施術をし、 心と身体をほぐす僧侶として活動中。

自分というものをもっと知る

runa7様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自分がもっと成長するために必要な経験・・」

拙生自身に置き換えて、拙生にも必要な経験について少し考えてみました。

そうですね・・自分の考えについて、色々な人と話して、自分というものをもっと知るということかもしれませんね。

どうしても自分だけで物事を考えてしまうと、独善的になるというか、自己満足になるというか、他の人の意見やアドバイスが大切なのは、そのあたりの偏りを治すためにも必要だと思います。

あまり役職や立場にこだわらず、自分の考えを述べて、そして、それに対して皆はどう考えてくれているのか、それをしっかりと会議やミーティングの中で聞き出すことに意識して取り組むことで、企画・アイデアに磨きをかけると共に、自分の提案から、チームの提案としていくことによって、皆との連帯感や達成感、充実感を醸成していけるようにすると良いのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

吉武様
貴重なご意見ありがとうございます。ありがたく拝読致しました。
人間は何をしようが対して変わらないというお言葉に大変気持ちが楽になりました。
自分をよりよくしようと思っていても良いも悪いも人間が勝手に決めていることですものね。
南無阿弥陀はそのままの自分で良いという意味だったのですね。
もう少し気楽に感謝を忘れず生きてみたいと思います。ありがとうございました!

亀山様
貴重なご意見ありがとうございます。
私の簡単な文章から背景をしっかり理解しようとしていただき温かいお言葉に感動しました。
確かに年齢からくる不安はあります。自分の中の理想像が行き止まりになってしまって
いるのだと思います。
私としては自分の中の成長を今の仕事・職場に還元したいという思いがあったので
仕事は辞めずに人生の先輩に相談したり色々な書物を読んだり行動しながら
感謝の気持ちを忘れずに顔晴ってみます。ありがとうございました!

丹下様
大変貴重なお話ありがとうございました。
自分の我欲が色濃い特濃ソースであると、どうしてもむなしさが残るのでしょう。
というお言葉が自分自身そのものだと思いました。
自分自身が人間性を高めるために頑張っているのが社会のためだけであれば
虚しさを感じることはなくなるということですね。
菩薩心を持って慈悲や愛を爆発させます。ありがとうございました!

川口様
ご意見ありがとうございます。
自分だけで物事を考えると独善的、自己満足になるという言葉に共感しました。
普段私が気をつけなければと思っていることですが、つい周りに相談する前に
正しさを振りかざして結論付けてしまうところがありました。
ご指導いただいたように考えを述べるだけでなくそれについてみんながどう思っているのか
聞き出しを大切にして頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました!

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