パチンコ依存から抜け出したいです。
数年前からパチンコ依存症になり、一時はパチンコから脱却できそうだったのですが、冬場は主人が毎年雪の降らない地域へ出張してしまい、留守になります。そうすると、自分の時間ができ、パチンコへ行きたいという欲求が出て、ついつい行ってしまうのです。そして、自分の預金から何万も出して、一日に5万も使って負けて帰る日もあります。お金儲けができるギャンブルではないのはわかっていますし、自分が依存しているのもわかっています。ちょうど今日は母の70の誕生日で、その節目に辞めようと思い、今日は母の買い物に付き合ったり、家の仕事をしたりして過ごしました。ですが、行きたいという気持ちがやはり心にあるのです。今日はそれを我慢することができました。平日は同居している親に嘘をついてパチンコに行ったこともあります。でもそれはもうしたくないのです。
心にどす黒い欲求が現れたら、私は心をどこに持っていけばいいのでしょうか?
離れて出稼ぎ状態で仕事している主人にも申し訳ないので、本当に辞めたいです。
人間の欲は、自分が願えば消し去ることができますでしょうか?
決意は固いです。ご助言いただけるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わたしもそれに近かったです。
そうですか、パチンコ依存ですか。わかっているのにやめられないのは、つらいものがあります。恥ずかしい話ですが、わたしも20年くらい前に依存と言ってよい状態になりました。なぜやめられたのか。当時は浪人生でお金が底をついて親に泣きついて終わりました。酷い話です。
パチンコの魅惑性?については、確固たる証明?みたいなものがあるそうです。
サルを使った実験が昔あったそうです。
装置を三つ用意します。
一つは、スイッチを一回押すと、確実にエサが一つ出てくる装置。
一つは、スイッチを何回押しても、エサがまったく出てこない装置。
一つは、スイッチを押すと、エサが出て来たり出てこなかったりする装置。
この三つの装置をサルに与えたところ、上二つに夢中になるサルはいなかったけれど、いちばん下の装置は、へばりついて、ずっと、ずっと、ずっと、スイッチを押し続けるサルがいたそうです。
この話は高校生の時に先生から聞きました。
「パチンコから抜けられないのは、サルで確かめられているんだよ!」的な。
説明を聞いて「アホだなあ!」と思ったわたし自身がハマった。わたしは本当に相当にアホです。
抜けた後で、いろいろな話を聞いたり、考えたり、本を読んだりしました。
日本ではパチンコは法律的には「ギャンブル」ではないにもかかわらず日本のギャンブル依存症の9割以上がパチンコ・パチスロによるものであることを知りました。対症療法的な対策のみで抜本的な対策が為されないのはなぜなのか?当たる・当たらないの店側の操作?などについては、
溝口敦『パチンコ 「30兆円の闇」』(小学館文庫)
に詳しいです。
また、ギャンブル依存症のすごさ、こわさ、プラス、どうしたらやめられるだろう? ということについては、
帚木蓬生『やめられない ギャンブル地獄からの生還』(集英社)
が詳しいです。冒頭の依存症の例が怖くて震えました。
依存症だと考えれば、自分の「鉄の意志」というのは、何の役にも立たないので、あてにしてはならないそうです。また、「他に楽しいことがあればやめられる」のがすべての依存症の特徴だそうです。夢中になれるものの存在。そんなことはわかっているんですが。自助グループなども、おすすめだそうです。
なるべくお一人でがんばらないでください。ひょっとすると、いちばん近い人に打ち明けるのも大事かもしれません。
結果的にパチンコ客として家を建てた人なんて誰もいない
「悪魔と天使は同じ格好でやってくる。」
どうやってその正体を見抜くのですか?
競馬のCMがさわやかすぎて気持ち悪いと思ったことはありませんか。あれの本質は何ですか?
金貸しのCMがどんどんさわやかになっているのは何故ですか?金を借りた人たちの末路はどうなっている人が多いですか?
イメージの正当化をはかって、人をギャンブル地獄に突き落としているようにしか感じません。
自分を守るのは自分しかいません。
立派な人はギャンブルをしません。
そういう無言のメッセージをあなたが受け取るのですよ。
パチンコをやること自体がお金と自分と幸せと家族と時間と冷静な考えをどぶに捨てている行為であることを見抜きましょう。
私は学生時代、親友がパチにハマっていたのですが、よくよく考えてみれば、
・パチンコで幸せになった人はいない
・パチンコで家を建てた人はいない
・トータルで負けている人の割合が半数以上
・何故店がどんどん金が集まるのか
・機械で設定を変更できること自体フェアなギャンブルではない。
・↑じゃんけんで負けたなら確率はフェア。機械はジャンケンで勝てる比率よりもはるかに低い。
…などを考えればアホらしいと思いませんか。
それでパチンコをやめました。
最近も近所のパチンコ屋が
「祝〇〇周年」とか花を盛大に出してさらに土地を広げて駐車場も増やしている様子を見て、無言のメッセージを受けとりました。
私はその時、かつての学生時代の気持ちに帰りこんなメッセージが聞こえてきました。
「おう。バカどもよありがとな。オメーラのおかげでまた儲かったし、駐車場も広がったし、店舗もゴージャスになったよ。それにしてもホントにバカでいてくれてありがとうな。これからもバカでいてくれよ!沢山金持ってこい!全部巻き上げてやるからな!♡もちろん勝たせてやるよ、10回に1回くらいはな。トータルで店がもらうけどな。そういう理屈が分からねえバカだから、おれはお前が大好きだぞ。」
そう考えている内に私は過去の自分が憤りと共に愚かしくなりました。
おかげで今もパチンコをやろうとはこれっぽちも思いません。北斗の拳はやってみたいですが。(笑)
今後、自分を危うき世界に進めないためには、バカにされないことです。
絶対に奪われてなるものか!というものを前面に出すことです。
そこを切り崩してくる者と関わり合いを持つべきではありません。
強い決意とゆだねる力
ykaori2626さま
ご自分の依存症にきちんと向き合いやめたいという固い決意をお持ちなのですね。
あなたの依存症の根本にはパチンコとは別の欲求があるはずです。それがカタチを変えてパチンコという表現となっているはずです。根本的にはそこに向かい合う必要があります。パチンコに向かわせる何か大きなストレスや原因があるはずです。
欲から離れたいと願うことは大切ですが、それだけで欲を消し去ることはできません。押さえつけると、その欲は力を増して暴走する性質があるのです。「やめる」という強い意思を持つと同時に「ゆだねる」ことが大切です。
こちらに相談されたということは仏教に縁がおありなのでしょうか。目に見えない神仏に対してダメな自分をゆだねる、おまかせするという力の抜き方です。ご縁のある、または好きな神仏があれば、観音様とかお不動様とか・・・そういう存在にお願いして見守ってもらうというあり方も必要かと思います。
そして、具体的には依存症の場合は「絶対やめる!」が逆に欲望を暴走させる可能性があるので,まず「今日1日、パチンコをやらなかった」ということを積み重ねることを考えてください。そして、1日を終えたらやらずに見守ってくれた存在に感謝します。翌日になったらまた「今日1日パチンコをやらないで過ごします」と思い見守ってくれるようにお願いします。
そうやって落ち着いて1日1日を積み重ね言ってください。悲しいことに人間はとても弱いのです。そういう弱さを認めて受け入れながら日々ご自分と向かい合ってください。
こころの落ちつきをとりもどし強さも育まれることをお祈りさせていただきます。神仏のご加護がありますように・・・。仙如
質問者からのお礼
私の父は、お寺の総代をやっており、とてもまじめで信仰心の強い父です。母も毎日仏壇にお供えをかかしません。そんな二人の間から、私のような不真面目な娘がいるとは、思ってもみないでしょう。悲しむと思います、私がギャンブル依存しているとは。私はお寺巡りや神社、お稲荷さんが大好きで、子供のころからそういう場で遊んでいたせいかとても身近に感じます。旅行に行けば必ず近くの有名なお寺を見学させてもらっています。神仏を信じていながら、どうして沼に落ちたのか・・・わかりません。長年うつ病を患っているのですが、そういうのも関係しているのでしょうか。今は趣味もないのですが、パワーストーンに少し興味が出て、石にお願い事をしています。何となく心が救われている気がします。我慢するだけではなく、自分にご褒美を与えるのも大事なのですね。自分にご褒美は、贅沢だと思っていました。 こちらは雪です。晴れた日に近くに信心している神社がありますので、お参りに行ってきます。そして、仏壇に手を合わし、ご先祖様の力をお借りして、この依存から抜け出したいと思います。本当に素敵な回答をありがとうございました。今日も一日、生きていることに感謝し、間違った道を修正したいと思います。