法話がなかった
先日義母一周忌の法要していただきました
お経後の法話はあるものと思っていましたが、さっと戻られてしまいました
実家や今まで参列した法要には法話あり、もちろん先日もあると思っていました。まさかそうなるなんて!(49日の際はというと…覚えていません💧)事前に法話を申込むべきだったのか?とも思い事務方の住職奥様にお墓参りのお線香買う際聞いてみましたが、「法話はしません」と。一言でもいいので法話いただきたかったです。曹洞宗はしないのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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言葉よりも大事なもの
そんなことはありません、曹洞宗も法話しますよ。
私個人としましては、法話は必ずしなきゃいけないものでもないと思うんです。…まあ、あったほうがなお良いですが…。
私はある老師から、「僧侶の話は、話術ではない。話道だ。」と聞かされました。そうだなとおもいました。お話の上手なお坊さんはいますし、それはそれで素晴らしいなとは思うのですが、そこに道が入ってないとお坊さんの話としては魅力に欠けるように思います。であれば、話はせずとも、一生懸命唱えたお経だけで十分だと思います。
このお坊さんがどういう考えでお話をしなかったかは定かではありませんが、言葉を使わなくても伝わるものってありますよ。それが宗教の本質的なものかもしれません。
…とはいうものの、お話大事です!私も苦手なのでがんばります!合掌
法話について
ちょこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご法話、「ちょこ」っとぐらいあっても良かったのに、という感じですかね。。
法話は絶対しないといけないというわけではありませんし、お寺さんの方針にもよりますが、できればあった方が良いかなと、個人的に存じております。
まあ、下手に難しい話よりか、静かに故人様のことを思うということを優先されたとお考えになられても。。
または、禅宗では、宗像義順様も触れられておられますように、「言語道断」、「不立文字」といった、余計な言葉や文字は極力使わないという伝統もあるにはありますが・・それを意識して、わざと「法話をしない」とされている方もいらっしゃるのかもしれませんね。
拙寺では、回忌などでは、本堂での法要と墓前での法要の二カ所お勤めし、法話は墓前でさせて頂くことが多くございます。
墓前において、大抵の場合、拙生が法話させて頂くのですが、法要が本堂と墓前で合わせて45分、そして、法話を10分~15分と、していたものの、ある時に長すぎるとクレームが・・
時期にもよりますが、墓前では、皆立っている上に、炎天下の時もありますし、嵐や極寒の時もあります。また、高齢の方も・・ましてや熱中症で倒れられてもいけませんので、内容をできるだけ凝縮した上に分かりやすくとして、5分以内と決め、最近は自前のカード(簡単な単語フリップ)も使いながら3分ぐらいで調えさせて頂いております。
そして、法話が短くなった分は、読んで頂ける配布物の充実に努めさせて頂いております。
ご法事では、仏法をお伝えできる大切な機会として、色々と工夫して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます
「え!なし?なんで?普通あるでしょ!」とその時思ってしまいました。
少し時間たち自分の枠や考えや今までの少しの経験におしはめてしまっている小さな自分に気づきがっかりし、そして法要はしていただいたのだから法話なくてもいいじゃない!と。
ですがやはり何かもやっとするところが残っていました
言葉を使わずとも…言語道断…等々教えていただき、ひっかかりがすうっと流れました
どうもありがとうございました