過信
どうしたら、自分の過信を取り払えますか?
現在ではなく、少し未来を想像…というよりは妄想しすぎて情けなくなります。
現在、目の前のことより少し未来。
若い頃何でもできていた自分をまだおい続けているようです。
今の私はなんの取り柄もありません。
ただ、周りの目を気にして嫌われないよう、目立たないよう…
本当は人付き合いも面倒なのに。
自分は大丈夫、大丈夫、そう思い混みすぎるから失敗した時の影響がかなりキツイです。
過信せず、今の私とどうしたら向き合えますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご縁のおかげ様
過信と自信…難しい問題ですね。自信がないのもしんどい面がありますが、あり過ぎるとおっしゃる通り失敗した時の反動が大きいですよね。
どうすればよいか…一つ一つ目の前の事象をよく見つめることですかね。そうすると「若い頃何でもできていた」というのが「たまたま」であったことに気づかされるでしょう。
私は私の力でなんでもできる、ある程度のことは思い通りになる、と思っていますがそうではないのですよね。
今目の前のペン一本を掴むという単純な動作すらも、私の思い通りになるものではなく
「心臓が動いている」
「自由に動くうでがある」
「ペンの位置を認識する目がある」
「私が取る行為を邪魔する人がいない」
「取る瞬間に地震などの災害がおきない」
など、数え上げるときりがないだけの「ある」というご縁と「ない」というご縁がその動作を支えていると気づきます。
私は「こうしたい」「こうしよう」と思うことは自由ですが、その思いを実際に実現できるかどうかはご縁次第の「おかげ様」なのです。
明石家さんまさんもおっしゃります。
「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。自分のこと過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」
素敵な言葉ですね。
「できる」と「できた」は違います。今日「できた」こと、は今日のご縁のおかげさま。
持つべき自信は「私はできる」というものでなく、どうなっても「私を支えるご縁がある」という自信かもしれません。
失敗することもあります。成功することもあります。それは私の力でなく、そういうご縁だったのです。全部ご縁からのいただきもの。だから大丈夫なのです。
質問者からのお礼
吉武文法 様
「たまたま」という言葉に何故かものすごく納得しました。スッとしました。
その日、一日のご縁に感謝することから始めてみようと思います。
お言葉本当にありがとうございました。