老いについて
最近よく考えてしまうこと。
スーパーで買い物中にカートで通路をふさいでいたり、混雑している 街中で人の流れを止めているお年寄りをなんと多く見掛けることか。
その事自体は なんて事はない、私達下の世代が少しずつ思い遣りを持って見守ればいいことなんだけれど、自分が そう遠くない将来に老いた側になった時、きっと若い世代に疎まれ、邪魔にされてまで長生きなんてしたくないな と思ってしまいます。
医療が進歩し、介護ケアが充実してくる中、
若い頃の様に肉を消化しづらくなったら野菜を食べ、歯が悪くなったら柔らかいものを食べ、足腰が弱って来たら段々と大人しくなって病気になったらなるべく苦しく無いようにお医者様に助けてもらいながら自分の寿命を迎える。
という考え方は間違っていますか?
長生き長生きといたずらに寿命を伸ばしながら只生きているだけのご長寿老人になんてなりたくありません。
お年寄りが若い世代を圧迫している様に感じてしまうから自分はそうなる前に死んでしまいたいな、と思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
老いても尊敬される人になる
ままま様
そうですね、自分が老人になったときのこと想像するようになりますね。(同世代です)迷惑かけてまで長生きしたくないとは思いますけど、寿命は自分でどうにもできません。
長生き長生きと望むこともせず、あなたの言うように年相応に枯れていくのが自然だと思います。でも望まなくても長生きしてしまうかもしれないし、望まなくても助けられてしまうかもしれません。
老いて人の手を借りなくてはならなくなったとき。そうなったときが人間としての見せ場ではないでしょうか。老いたときに人としての尊厳が保てる自分であるか。また、人から尊敬される人であるかということです。
老いたら外見的には衰えます。目も悪くなり耳も悪くなり足も悪くなる。でも性格まで悪くならないように、心がけたいですね。人生の先輩として尊敬されるように人格を磨いていきましょう。そうなれば、喜んでお世話をしてもらえるでしょう。世話をさせてあげるのも善い行いです。お世話をしてもらい、感謝できる老人になりましょう、お互いに。仙如
道しるべとしての仏教を
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃるお気持ちよくわかります。自分の姿もそうなっていくことを痛切に感じるのは確かですね。負担にならないようにと思うのもあながち間違いではありませんよね。
人の寿命が現代科学・医学の進歩により急速に伸びたこと、それによる予期せぬ弊害も多数あることは事実です。
改めて私たちは自分達が生きていくこと・幸せに生きることを見直さなければなりません。
現実には長生きするだけが幸せではありません。
私達はこの世の中で共に助け合いながら生きています。お互いの存在を感謝して尊重しあって生きるからこそ幸せにいることができます。
同時に自分も頂いた命を大切に使わせて頂くこと、そしてありのまま老いていく姿や死んでいく姿を後輩の方々親しい方々に見せることもとても大切な生き方であると思います。
価値観が揺らぎ混迷の中に私達は生きていますが、だからこそ「生老病死」の在り様を素直に受け入れていき、今生かされていることを感謝し、生きることに真摯にむきあっていくことが大切かと思います。
こらからのあなたの生きる道しるべとして仏教がお役に立つようにと心より仏様にお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
衰えてゆく身体と一緒に精神まで衰えさせてはダメですね。
この先何年生き続けるのかは判りませんがせめて憎らしい厚かましい老人にはならない様に気を付けようと思います。
ありがとうございました