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大切に可愛がられて死ぬ人が羨ましいです。

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毎日がつまらなく、いい事はないけど嫌なことはしっかり起こるし、愛される事も大切にされる事も無いし、評価もなく罵倒はきっちり。
仕事しても苦手な仕事ばかり来るし、ミスすれば人の何倍もいつまでも怒られる、まわりはみんな敵だらけか、期待されないかのどちらか。
最近何の苦労もなく大切にされ、誰からも可愛い可愛いとちやほやされてイージーモードな人生の人が若くして亡くなりますが、やっぱり可愛いとか勇気貰ったとか結局誰からも嫌われずに嫌な思いは一切なく幸せなまま惜しまれつつ死ぬのが羨ましいです。
わたしもすぐにでも死にたいです。
すぐ死ねる人は可愛がられて可愛いからあの世からもすぐにお呼びがかかって、
毒親にねじ曲げられて罵詈雑言の中、誰からも救われず愛されず必要ともされずに生きると、あの世でも要らないから無駄にダラダラ生かされるのですか?
1度自殺しようとしたのですが、かなりの高層階から飛び降りたとしても無駄に悪運強くて丈夫だから死ぬのは無理で、半身不随とかで無駄に迷惑かけて生きそうだなと思って辞めました。
凍った冬道で、DQN車が猛スピードで回転しながらこっちに飛んで来たのですが、立木が邪魔をしてDQN車もわたしも無事で腹立たしかったです。
本当に確実にコロッと死にたいです。
多分ガンになったら、治療なんて無駄なことはしません。
わたしが生きていても、誰も嬉しくもないし、何も出来ないし、迷惑だろうし、むしろ死んでくれた方が喜ばれると思うのですが。
すぐ死ぬ人はやはり好かれる人の特権なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

敵は私の外にいるのか、私の心の中にいるのか

はるかさんはとても文章力がありますね。回答へのコメントでは辛辣な言葉を使われたりし、言われた方はキツイなと感じますが、迎合することなくハッキリとモノをおっしゃる姿勢は気持ちいいくらいです。以前からたびたび拝読していましたが回答のご縁には至っておりませんでした。今回はどうぞよろしくお願いします。

さて、もう2年以上でしょうか。そのスタンスで生活なり、ここでの質問を続けてきて状況は改善したでしょうか?もうお気づきの点もあるのではないでしょうか?

私が思うに、どこかに私を可愛がってくれる人、愛してくれる人がいて、私の前だけに現れないのではないのです。
はるかさんを批判したり、罵倒したりする人たち…はるかさんが敵と見なす人たちこそ、はるかさんを可愛がったり、愛したり…そうして関係を結んでいく人たちなのです。目の前の人とこそ出会っていかなければならないのです。ならばその姿勢のままでその方々から愛をいただけるのでしょうか。

私たち人間と言うのは完全な存在ではありません。言うまでもなく私たち僧侶も人間です。
ですから「ああしなさい」「こうしなさい」「そのようにしないほうがいい」等、まあ色々申します。しかし言われた側は「うるさい」「わかっている」「できたら苦労しない」など反発したくなるものです。

ですから、まあアドバイスはそれなりに聞いておいていただいて、出会っていただきたいのは仏様なのです。仏様こそはるかさんを完全に愛し、完全に可愛がり、慈しみます。

「ああしろ、こうしろ」「あれダメ、これダメ」とは言いません。

そのように完全に「ありのまま」で許される世界があるからこそ、生活の中で多少無理してでも人は頑張っていけます。他人に合わせるのはしんどいです。疲れます。でも私たちは不完全な存在ですから、そういう不完全な関係しか生きられないのです。

だからこそ、批判のしあい、足の引っ張り合いではなく、するべきは手を取り合って支えあう事です。このままいくら手をふりほどいていただいてもけっこうですが、ご自身がお辛いだけではないでしょうか。

仏様に会ってください。仏様はどこにいるか?南無阿弥陀仏とお念仏申すところに現れます。念仏しても何も変わりませんが、変わらない私をそれでよい、そのままおいでとおっしゃります。
機会があればお寺に遊びに来てください。お話を聞くことしかできませんが。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

このたびはわたしなどの回答をする羽目になり、大変ご愁傷さまでございます。
苛立つ気持と悲しみが文面から溢れるのを見る度、心が痛みます。
苦しむ者は苦しい状況を喜ぶべきなのに、こいつは一体何を言っているんだろう?
可愛がられたいなんて、こいつはなんておこがましいことを言うのか、自分を全く分かってないからいっそ仏罰が下るのがいい。
いつまで資格のない身分不相応な夢を垂れ流すんだろう。これが本当のキチガイとか統合失調症なんだろう。
これで今年の悪運全部使ったな。

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