回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お金がなくて心配なら、タイやスリランカ、ミャンマーなどの仏教国に行って出家すると良いでしょう。
真剣に修行さえしていれば、一銭のお金もなくても、托鉢や布施によって午前中だけですが食事も食べられます。
お金の心配なんて一生必要ありませんよ。
何に使うお金が心配なのか解りませんが、一般社会では生活の為に必ずお金は必要です。
ただ、お金は確かに必要なものなのですが、「ないと困る」と思うから、必要以上に必要になってしまうのす。
同じ金額でも、「もうこれしかない」と思えば、本当に必要なところにさえ使うことを躊躇してしまいます。
ですが、「まだこれだけある」と思えば、本当に必要なところ以外にも有意義な使い方が出来るものです。
お金の余裕が気持ちの余裕を生むのではなく、気持ちの余裕がお金「にも」余裕を生むのです。
世の中には、湯水の如くお金を使っている人たちも一部にはいますが、湯水のように使えるお金には湯水くらいの価値しかありません。
お金は天下の回りもの。
暮らしを良くしようと思うからいくらあっても足りないと思ってしまう。
良い暮らしが出来ていると思えば、余った分は有意義に使えるものです。
気持ちを豊かに持てば、有意義に使うためのお金は、有意義に使う分だけ相応に回ってきます。
そこに欲が絡むから、欲の分だけ減ってしまうのです。
お金に欲を持つとお金に縛られてしまいますよ。
妄想・雑念なら「心配しすぎ」かも。
お金の心配を「しすぎる」というのがどのレベルか不明ですが、生活に困ったり借金に首がまわらなかったり税金等の滞納があるのなら、心配するのが普通でしょう。
生活に充分余裕があるのに心配してしまうというなら、心配「しすぎ」かもしれません。
また、お金のことを考えなくてもよい時間にもお金のことを心配して感情が不安定になるなら、それも心配「しすぎ」かもしれません。
まずは、今考えても仕方ないことは今考えない、というのが良いのではないでしょうか。
思考が堂々巡りになって新たな答えが出ない場合は、具体的な情報の追加や、状況変化をしないと、いくら考えても仕方ないかもしれません。
つまり、妄想・雑念になったら「心配しすぎ」ということです。
考えれば考えるほど新たなアイデアが浮かぶ場合(パズルを解いている最中みたいに)は、どんどん考えればよい。
考えても堂々巡りなら、考えても仕方ないと自分に言い聞かせましょう。
必要最低限で満足する生活
今の日本は、お金がなくては生活できないという厳しい環境であることは間違えありません。
そして、お年寄りや、体が不自由な方であっても病院にすら満足に行けないという現実もあります。
そんな中で、お金のことを考えないというのは難しく感じています。
昔であれば、自給自足に近い形で、畑で採れた野菜を食べ、物々交換などして、食べるものには困らず、生活できたのでしょう。今でも、田舎の生活の中には、自分で食べる分ぐらいは野菜を育て生活している人もいます。贅沢をしなければ、そうして生活できるのでしょう。
モノにあふれた生活はどんどんと人間の欲望をかりたてていきます。部屋には必要なものだけを置き、刺激の少ない静かな生活を心がけてはどうでしょうかほしいモノが手にはいると、その時は充足感で満たされますが、その後また別のモノがほしくなります。欲望にはきりがありません。お金も同じ、必要な分だけあれば良しとするしかないと思います。あればあるだけほしくなるのが、人間の欲望ですから。
この際・・・
お金を人生に置き換え、とことん考え抜いては如何でしょうか?
お金の裏にはその人の人生が隠されているかと思います。 何故お金が必要なのか? 子供の教育・老後の生活・住宅の取得など・・・
ご自身の人生で本当に必要なお金が見えてくれば、お金に振り回される事もなくなるのではないかと思います。