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父のお骨

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有り難し有り難し 16

小学2年に生き別れ、1度も会うことなく数年前に亡くなった父。

一緒に暮らしていた女性と家族がお葬式の後、お骨を父の兄弟に返してきて、現在は本家の納骨堂におさめられていたのですが、そちらの事情で近々お骨が処分されるとのこと。

父方の親戚と交流はないのですが、お参りには年に何回も行ってたので、お骨がなくなることは淋しいです

できることなら処分される前に、小さな小さなカケラでいいので、こっそりお骨を頂いてきたいのですが、常識倫理に背くことでしょうか!?

無人の納骨堂で自由にお参りができます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

手続きと、そもそもご遺骨とは。

常識倫理ももちろんですが、確実に窃盗になります。あなた自身の淋しさを解消するためだけに、「こっそり盗めばバレない」という気持ちでお参りされているとしたら、仏さまとなられたお父様は、どんなに悲しまれるでしょう。

まず、先方のご家族、ご親族に対してきちんとお気持ちや事情をお話しして、預かっている納骨堂の権利者の同意を得てから「分骨」をされてください。

「分骨」自体の是非も、私たちの浄土真宗ではむしろ分骨をお勧めしているくらいですが、他の宗派のお考えや、基本的にご遺骨を管理されている先方のご家族のお考えによっては、分骨を憚られる場合もあるかと思いますが、あなたの気持ちを申し出る手続きを必ず経て下さい。

また、一定期間を経た上での「処分」という言葉は悲しく聞こえますが、正確には「合葬(がっそう)」という手続きがとられると思います。お寺でも公営の納骨堂でも、決して粗末な処分はしませんし、それによってご遺骨となられた故人が傷つけられると考えるのは、誤りだと思います。

では、故人の尊厳が傷つけられないのなら、結局今回の一件は何が問題なのでしょうか。
冒頭に書いた指摘を、耳が痛いかもしれませんが、省みていただきたいと思います。

父を思う子の気持ちは、大切にすべきです。しかし、その思いは単に「私の周りに居てほしい、淋しさの感情を満たしてほしい」ということであったなら、おそらくあなたは無事に分骨されても、ご遺骨が手元に来た時点で何とも思わなくなるのではないですか。「その程度」の気持ちであったのなら、むやみやたらに弄られるお父様のご遺骨が、まさに粗末に扱われているようです。

父を思う私の気持ちの奥底には、一体何があるのか。単に淋しいだけなのか。死別から数年の時間で、淋しさをこえたあなたとお父様との「であい」を聞かせて欲しいです。

今のままでは、ご遺骨に執着しているお姿だけが想像されます。そうではない、あなたのご遺骨を通したお父様への思いを聞かせて下さい。

それらを自問自答されて、宜しければまたご質問を待っています。

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北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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きちんと本家の許可をもらって分骨してもらいましょう。

三日月の雫さん、こんにちは。

父親のお骨を供養のために頂きたい気持ちはわかります。
でもお骨の所有者は本家であるので、内緒で持っていくことは、たとえ自分の父親であっても、良くありません。相手が後で知った時に、いろいろなトラブルになる可能性もあります。

本家に行って自分も父を供養したい胸をお伝えし、分骨をお願いしてもらってください。ただ別けてだとお骨をゾンザイに扱われる不信もあるかも知れないので、○○のお寺で自分の父親としての供養をしてもらうという理由をつけた方が、相手も理解が得られやすいかも知れません。最後はどこかに納めなければならないので、供養できなくなったからまた本家へでは受け入れてくれません。私のような永代納骨供養をしているお寺を受け手にしてもらえば良いのです。ご縁がなければ私のお寺でもかまいません。

 そして本家の方で拒否された場合はあきらめてください。でも供養はお骨がなければできないわけではありません。お骨のかわりにお位牌を作って供養されると良いと思います。お骨に魂があるわけではありません。あなたの父親に対する供養の心に父親の魂は生き続けるのです。その気持ちが第一だということを忘れないでください。

合掌

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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。

病弱な父の波瀾万丈な人生!何処にいても安心して暮らせなかったと聞いていたので、最後は私の側に居れたら淋しくないかな…などと思いましたが、考えが甘かったですね。

私は音信不通だった父が、亡くなってからではありますが、近くに帰ってきてくれただけで十分で、いつでも気がねなく会いに行けるだけで満足です。お骨が亡くなっても今までと変わらず、ご先祖様に感謝する為にもお参りを続けていこうと思います。

染川智勇様
最後の5行が心にしみました。

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