無理して何かをしないということ
いつからか、無理はせず傍観的な立場で何も悩まずただその日を平穏にすごし、楽しみのみを得ればそれでいいと考えるようになりました。
だけど仕事はしっかりやりたい。怠けようと思っていないですが特にえらくなりたいとも思わないのです。
苦しみに向かい合うのではく、楽しみの価値を高めるという言い方になるのでしょうか?
うまく伝えられず申し訳ないですが、仏教で似たような心境の言葉はないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教語ではなく、老荘思想の言葉ですが
おそらく「無為自然」と言う言葉が、あなたのイメージに近いかなあと思います。
但し、この言葉はイチローさんが言われる「無理はせず傍観的な立場で何も悩まずただその日を平穏にすごし」とはちょっと違います。物事の道理をわきまえた行いを積み重ねてきた結果として、おのずから天地自然にかなった生き方になるということだと思います。
このアドレスをご参照下さい。http://textview.jp/post/culture/8081
仏教語としては、「自然法爾(しねんほうに)」という言葉があります。
親鸞聖人が晩年説かれた教えとして知られるので浄土真宗さんの方で用いられることが多いと思いますが、自分の力であれこれと処置したり、取りはからったりしないことで、自己のはからいを捨てて、阿弥陀如来にすべてをお任せるという意味です。
少欲知足
こんにちは。
「少欲知足」(しょうよくちそく=欲を少なく、足ることを知る)ということばがあります。
もっともっとという気持ちを捨てて、現状に満足するという事です。
あなたの考えとぴったりという訳ではありませんが、近いですし、この様に生きればさらに気持ちが楽に生きていく事ができると思います。
質問中「楽しみのみを得る」とありますが、楽しみを得ようとする苦しみが生じますので、「現在置かれている状況の中で楽しみを見つける」のが良いと思います。「楽しみの価値を高める」という方向性で良いと思います。
また、「傍観的な立場で」とありますが、厭世観(えんせいかん=悲観主義)に走りすぎぬよう。
心豊かに、楽しい生き方ができるといいですね。