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お守りについて(^^♪

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有り難し有り難し 17

お守りは、一年経ったら効力がない・・人から貰った方がいい・・と聞くのですが
本当でしょうか?

私は自分が気に入った物を自分で購入して
1年とは言わず、長く大事に使いたいと思うのですが
それでは効き目はないのでしょうか?

またお守りというのは
外出する際は家の鍵と同じように持ち歩くと良いのでしょうか?

実際にお坊さんの口から聞きたいので
どうぞよろしくお願いいたします


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

色んな考え方があると思いますが

寺社仏閣のお守りやお祓いについては、色んな考え方があるとおもいますが、

個人的には、それらに御利益があるとされるのは、不安や迷いなどの心の汚れを掃除して、「幸せを迎え入れる心のスペース」をつくるきっかけになるからだと考えています。

お参りをして、お守りをいただいたり、お祓いをしていただくと何だか心がすっきり洗われた気がしませんか?

しあわせやお願いごとは、そんなすっきりした「心の清浄なスペース」にやってきます。

ですから、お守りについて一番大切なのは「お守りを見た瞬間に、ご自身の心がすっきり晴れやかになるかどうか」だと思います。

・誰かにいただいたものであれば、贈り主の想いによって、更に心が動かされるかもしれません。逆に、ご自身でお参りしてお求めになった御守りも、目にするたびに気持ちが高まるならそれだけで十分に効果があります。

・また、必ずしも、一年経ったから交換という決まりがあるわけではありません。お守りを見ても、初めてお守りを手にしたときのように、心がスッキリしなくなったら、お守りの取り替え時です。
ちなみに、一年というのは一般的な「決意の持続時間」の目安だと思いますので、お守りを再度購入するかどうかはさておき、少なくとも年に一度は寺社仏閣へお参りをして、決意を新たにするのが好ましいと思います。(もちろんお礼とご挨拶も忘れずに!)

・普段の生活の中で、お守りをどのように身につけるかは、ご自身で判断なさって良いと思います。ただ、普段からお願いごとに意識が向く時間が長いほど、そして意識が強く丁寧であるほど、それが叶いやすくなるのではないかと思います。(例えば、交通安全のお守りは運転中に目につくところへ置く方が、家の中にしまっておくよりも、効果が高いと思います)

最後に、余談ですが、お守りの効果を最大限にするためには、「お願いする」だけではなく「実践する」ことも大切です。

願掛けは、石鹸。実践は、水。
手を綺麗にしたいと思ったら、石鹸だけでは不十分なのです…!
でも、両方そろえば水だけで手を洗うよりもずっと効果がありますよ!

どうぞ、ご参考まで…!

合掌

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有り難し
おきもち

私としては、お守りには効力はありません。

ただ、例えば、友達があなたに交通安全のお守りをあげたなら、それは友達があなたに交通事故にあって欲しくない、という願いをあなたが受け取ったということです。
あなたはそのお守りを見るたびに友達の願いを思い出し、友達の為にも安全運転をする、その結果、事故に合わない、という事はあるかもしれません。

あなたが交通安全のお守りを買ったなら、そこにはあなたが交通事故にあいたくないという願いがあります。
あなたが運転中にそのお守りを見たら、その願いを思い出し、安全運転をして、その結果事故に合わない、ということもあるでしょう。

お守り自体よりも、そのお守りに込められた願いが大切だと思いますよ。

なお、効力が一年間ということもありません。

ただ、お守りもいつも同じところに飾ると見慣れてきて願いを忘れてしまうこともあるので、新たに買って気持ちも新たにする、ということもあるかとは思います。

また、お守りの種類によって、持ち歩いた方がいいもの、車に飾るもの、家に飾るもの、など使い分けるのがいいと思いますよ。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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効果は1年とされていますがそのまま持っていてもいいですよ

おはようございます。ものを大切にしたいという気持ち、良いですね。

 ご質問の通り、お守りの効力は1年とされています。紙のお札なども1年です。
 一方で、お守りの本体は「お守り袋」に入っている中身の紙です。ですので、気に入ったお守り袋があったらそれを購入し大切にし、年に一度本体(中身)を取り替えると良いと思います。今は「袋」と「本体(中身)」を別売りにしている寺社もありますので、そのような所を探して求めると良いですね。
こちらも参考に
http://hasunoha.jp/questions/10726
とはいっても、一年も持っていると袋も傷んできます。私も昨年「袋」と「本体」が別のお守りを求めましたが、結局今年新しいものにしました。新しいものを求めると気持ちも新鮮になり良いものです。
 気に入ったお守りがあれば、同じものを毎年求め続けるのも良いと思います。
 また、古いお守りは寺社に納めますが、納めなくてはいけないもの、ではないので、そのまま持っていても良いと思います。

 人からもらった方が良い、というのは初めて聞きました。もしそうだとしたら、「誰かにお願いして買ってきてもらう」という習俗がありそうなものです。それがない所をみますと、やっぱり自分で買い求めた方が良いのかもしれませんね。それに、実際に自分で寺社に足を運び手を合わせた上でお守りを求めた方が効果がありそうだとは思いませんか?
 一方で、合格祈願や安産などのお守りをいただくと、力を分けてもらった気持ちになりうれしいものですよね。

 お守りは常に身につけておいた方が良いですね。外出時は「家の鍵のように」または「携帯電話のように」持ち歩くと良いと思います。なくす方が多いので、気をつけてね。
 

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

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聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

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