笑わなければいけません
今日は友達が亡くなってから2度目の誕生日です。フェイスブック等から今日は◯◯さんの誕生日です!というメッセージが届きます。それを見る度に涙が止まりません。
ただ、接客をするバイトがあるので、笑わなければいけません。人がいないので休むこともできません。
笑顔の練習をして、笑えても何でこんなに笑えるんだろうと思ってしまいます。
どう頑張れば良いのでしょか。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の体に習うこと
人は思いを大切にし過ぎるところがあります。
思いや心こそが自分だと思い込んでいるのではないでしょうか。お友達や家族を亡くし、そのことを思い出すと悲しくなる。それはそうでしょう。しかし、24時間そうかといえば、そうでない時間もあるのでしょう。
仏教では、眼、耳、鼻、舌、体の働きに習うことをします。目は向かうところの様子をただ映し出します、1秒前や1秒後の様子ではなく、今の様子のみを映すのです。残り物もありません。引きずることもない。そこには過去はないのです。
耳も同じです。音もその時限り、言葉も同じ。香りや、味、体で感じることもみんな同じです。
思いも本当は同じです。思い出した時だけ、放っておくと消えたことにも気づかないほど綺麗さとパリ跡形もなく消えるのです。
仕事をしているときは、その事だけをしていたら笑顔にもなれます^ ^
お通夜やお葬式でも、常に泣いている遺族はいません。そのときその時の様子で時には笑顔になり、思い出話で大笑いすることもあります。人はそのようになっているのです。
今、目の前の様子をしっかり生きていれば、お仕事も全うできますよ。笑顔も自然とできます^ ^
ちあきなおみさんの「喝采」
こんにちは。
お友達のご逝去にお悔やみを申し上げます。
私も亡くなった友人の携帯電話のアドレス帳やラインの履歴など消せずにいます。「もしかしたら連絡が来るんじゃないか」なんて思ってしまいます。
古い唄なので、ご存じないかもしれませんが、歌手の「ちあきなおみ」さんの「喝采」という曲があります。(モノマネタレントのコロッケさんがよくマネしてます)
この曲は、大切な人が亡くなったのに、私はここで恋の歌を歌っている、という歌です。
これは実話に基づいて作詩されたもののようです。
今のあなたの状況によく似ているな、と思い紹介しました。
どんなに悲しくても仕事は切り替えて笑顔でいくしかありません。その代わりひとりの時にたくさん泣きましょう。
無理なされずに
だん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
Facebookで亡くなられた方のアカウントがそのまま残っているのを見ますと、誠につらいものがございますよね・・
亡き方を偲ぶということでは、アカウントを残すというのも理解はできますが・・
誕生日の通知とかはつらいものがありますよね・・
できれば、追悼アカウントとすることで、通知を来なくすることができるようです。Facebookのヘルプセンターの中で、追悼設定についても説明がされています。利用者が亡くなったことをFacebook側に知らせると追悼アカウントにしてもらえるようです。
追悼アカウントのことは、余裕があればにて、どうかまずはご友人を偲び、手を合わせ、今日も貴方の生きたかった一日を大切に過ごしますと、気持ちを少し調えて頂けましたらと存じます。
無理することはありませんよ。ロボットじゃないんですから。感情ある人間、時には、笑顔になれないことだってありますよ。失礼にならない程度で構わないですよ。
亡きご友人に合掌申し上げます。
川口英俊 合掌