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瞑想用アプリ

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いずれは阿字観の手ほどきを受けるつもりで、今は数息観で瞑想を行っています。

スマホに瞑想のアプリがあって、ちょっと気分転換したい時に便利なのですが、困ったことに、本格的な瞑想の間にアプリのナレーションや音楽が雑念として入ってきてしまうのです。

もともと、あまり雑念には悩まされなかったので残念です。
ご本尊様の前で薄眼を開けて瞑想するといくらか和らぎます。

瞑想用の音楽のCDやアプリも試し聴きしましたが、必要ないように思います。瞑想アプリは結構快適な気分になるのですが、避けたほうがいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気分転換にはアリ。本格的には指導者のもとで

Quentinさん、はじめまして。

瞑想用アプリ使ったことはありませんが、便利な時代になりましたね。
一口に瞑想アプリといっても様々な瞑想法があり、またお坊さんが監修したものやそうでないもの様々なものがあるかと存じます。
どのアプリを使われているかは存じませんが、結論から言えば、気分転換にはアリだと思います。ですが、本格的な瞑想はしかるべき指導者の指導のもとに行うようにしていただければ幸いです。

特に阿字観は真言宗に伝わる瞑想法ですが独学はオススメしません。
仏教全般にそうですが、特に真言宗、密教では面授(師匠、先生について学ぶ)ことが大切にされています。お近くのお寺でやっています阿字観体験会や瞑想体験会や座禅会を探してみてください。

余談ですが、阿字観からのアプローチからすれば雑念を取り除こうと集中するのは少し本質から離れます。
また数息観をお坊さんや先生から習われたのであれば、特にアプリを使われる必要もありません。
本来瞑想に道具は必要ありません。座具やご本尊のお軸などは例外ですが、アプリは必要ないものです。

もちろん、気分転換程度、瞑想というより楽な服装でゆったり座り、心を落ち着けリラックスするという程度であればアプリを使っていただいて構いません。慌ただしい日常を過ごす中、ひと時でもゆっくり座り心を落ち着けリラックスしていただくのは有意義です。

参考になれば幸いです。

合掌(^人^)

「追記」
お礼拝読いたしました。
いつ終わらせるかを躊躇するような瞑想は非常に危険です。
瞑想の種類に関わらず、瞑想において瞑想の終わらせ方(出定)は非常に大切です。

また仰るように、運営団体が不透明な場合や、昨今のちょっとした瞑想ブームにつけ込んで瞑想会の皮を被った霊感商法も実在しますのでご注意ください。
良き師に巡り会い、正しい瞑想法を身につけ実践し、より多くの時間を心穏やか過ごせることをお祈りいたします。

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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【追記あり】アプリは「リラクゼーション用」と割り切る

ご質問、拝読いたしました。

まずは、ご自身が深い瞑想状態に入り易い環境の中で瞑想をお続けになるのが良いかと思います。

瞑想は、左脳の働きをOFFにする訓練なので、アプリのナレーションや音楽がその妨げになってしまうのかもしれませんね。

瞑想の訓練が進めば、ナレーションなどを無視して(聞き流して)瞑想状態を持続できるようになる可能性はありますが、

現段階では、お持ちのアプリは瞑想用ではなく、単なるリラクゼーション用と割り切ってしまったほうが良いかもしれませんね。

【追記】

すみません、伝わりにくい書き方だったかもしれません。

ご自身が瞑想しやすいのであれば、音楽は不要という意です。
もちろん自分も、宗派の正式な所作に則り坐禅をするときは、音楽は使用しません。

前記の文章は、
「瞑想状態に入る技術が向上すれば、周りに多少の雑音があろうが、それに煩わされることなく瞑想状態に入ることができる」との意味ですので、音楽を使っての瞑想を推奨する意図はありません。

お使いのヨガアプリも存じております。

「雑念が入る」と書かれていらっしゃったのは、「寝落ちしてしまうこと」と同じ意味でしょうか?厳密には、このふたつは全く異なった状態ですので、区別して対処を考える必要があります。ちなみに「寝落ち」は瞑想状態ではありませんので、禅宗ではそれを避けるために、座る・歩く状態での瞑想が基本です。

また、「雑念が入る」という状態にも、分類があります。
大雑把にいうと、
1)「自分の意図した思考を続けてしまう(例:やり残した仕事のことを考えてしまう)」
2)「自分の意思しない映像やイメージが入ってきてしまう(例:断片的な映像や音を知覚する)」です。
これらは、根本的な対処方針は同じなのですが、「それに嵌っている自分」を自覚できないと、いつまでたってもその段階から先へ進めません。とくに、後者は禅病とよばれており、日常生活や生命に支障をきたすこともあります。

確かに瞑想は、自分で手軽にはじめることができます。が、様々な疑問をお持ちになって相談にいらっしゃる方もいますし、中には自己流の瞑想体験をこじらせてしまい、つらい思いをされている方もいます。

単なるリラクゼーションではなく、本格的に瞑想を行う場合は、指導者のもとで行うことを強くお勧めします。

参考になれば幸いです。

合掌

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質問者からのお礼

沙門 亮鷹様、
ご回答ありがとうございます。
数息観でも独学は避けた方がいいのですね。基本50回呼吸して、余裕があれば100回呼吸して、そのあとはしばらく静かに座っていました。この間が非常に心地よく、いつ終わらせるかを躊躇していました。
阿字観の教室を開いているお寺があるので、行ってみます。
以前、ヴィパッサナーを勧められたことがありましたが、その時点では断って、今回瞑想について色々と調べましたところ、やはりなんとなく違和感を持ちました。お釈迦様が実践なさった瞑想方法としては魅力的ですが、運営団体がやや不透明です。
お師匠様の教えを受けて、正しい瞑想法を身に付けようと思います。

妙香様、
ご回答ありがとうございます。
私自身、アプリなんかで、とタカをくくっていましたが、やってみるとかなりスッキリして、家族と口論になった直後でも、ほとんど怒りを忘れてしまいます。
寝たまんまヨガというアプリがあり、これはヨガのリラクゼーションなのですが、実に効きます。寝落ちする人が多いようですが、私もその一人です。
本格的な瞑想はお教室に通うまではお休みして、アプリでリラックスでもいいでしょう。
ただ、座禅を組んで静かに呼吸しながらしばらく座っているだけでもいけないのでしょうか。
世間では瞑想ブームだそうで、彼らはどのような方法で瞑想のやり方を学ぶのでしょう。

妙香様、
重ね重ねありがとうございます。
以前熱心にポーズをとったヨガをやっていたことがあり、眠たくなるということはありませんでした。そこでも一日5分でもいいから瞑想をするようにと勧められましたが、ただ座っているだけの感覚しかなく、阿字観(YouTubeで観ました)や数息観のように呼吸をコントロールすることを知ってからは、瞑想状態に入りやすくなりました。禅病とは初めて知りましたが、そのあたりが指導を受ける重要性なのでしょうね。
指導を受けていても禅病にはなる人はなるのでしょうね。
寝落ちしてしまうヨガは屍のポーズで行うので、余計にリラックスして眠ってしまいます。
雑念については、アプリから流れる音声が記憶されてしまうのか、吸ってー、吐いてー、と聞こえてきます。

沙門 亮鷹様、
重ね重ねありがとうございます。
そうですか。危険なやり方をしていたのですね。
確かに、瞑想を始めて以来、自分でも人間が急激に変わってしまったようになりました。嫌がらせや悪意ある行動などがあまり気にならなくなりました。ある意味では大変効果があったわけですが、しばらくは気分転換のアプリでもやっています。
すでに阿字観教室の予約もしましたし(県内ではかなり大きなお寺です)。
カルトには気をつけますが、カルトもビックリの信徒となりたいと思います。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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