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瞑想用アプリ

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有り難し有り難し 33

いずれは阿字観の手ほどきを受けるつもりで、今は数息観で瞑想を行っています。

スマホに瞑想のアプリがあって、ちょっと気分転換したい時に便利なのですが、困ったことに、本格的な瞑想の間にアプリのナレーションや音楽が雑念として入ってきてしまうのです。

もともと、あまり雑念には悩まされなかったので残念です。
ご本尊様の前で薄眼を開けて瞑想するといくらか和らぎます。

瞑想用の音楽のCDやアプリも試し聴きしましたが、必要ないように思います。瞑想アプリは結構快適な気分になるのですが、避けたほうがいいのでしょうか。

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気分転換にはアリ。本格的には指導者のもとで

Quentinさん、はじめまして。

瞑想用アプリ使ったことはありませんが、便利な時代になりましたね。
一口に瞑想アプリといっても様々な瞑想法があり、またお坊さんが監修したものやそうでないもの様々なものがあるかと存じます。
どのアプリを使われているかは存じませんが、結論から言えば、気分転換にはアリだと思います。ですが、本格的な瞑想はしかるべき指導者の指導のもとに行うようにしていただければ幸いです。

特に阿字観は真言宗に伝わる瞑想法ですが独学はオススメしません。
仏教全般にそうですが、特に真言宗、密教では面授(師匠、先生について学ぶ)ことが大切にされています。お近くのお寺でやっています阿字観体験会や瞑想体験会や座禅会を探してみてください。

余談ですが、阿字観からのアプローチからすれば雑念を取り除こうと集中するのは少し本質から離れます。
また数息観をお坊さんや先生から習われたのであれば、特にアプリを使われる必要もありません。
本来瞑想に道具は必要ありません。座具やご本尊のお軸などは例外ですが、アプリは必要ないものです。

もちろん、気分転換程度、瞑想というより楽な服装でゆったり座り、心を落ち着けリラックスするという程度であればアプリを使っていただいて構いません。慌ただしい日常を過ごす中、ひと時でもゆっくり座り心を落ち着けリラックスしていただくのは有意義です。

参考になれば幸いです。

合掌(^人^)

「追記」
お礼拝読いたしました。
いつ終わらせるかを躊躇するような瞑想は非常に危険です。
瞑想の種類に関わらず、瞑想において瞑想の終わらせ方(出定)は非常に大切です。

また仰るように、運営団体が不透明な場合や、昨今のちょっとした瞑想ブームにつけ込んで瞑想会の皮を被った霊感商法も実在しますのでご注意ください。
良き師に巡り会い、正しい瞑想法を身につけ実践し、より多くの時間を心穏やか過ごせることをお祈りいたします。

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有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸いです。 私自身、いわゆる「お寺の息子」として生まれましたが、小さなお寺ということや両親の教育方針もあり、感謝すること、仏様、お大師様に手を合わせることの大切さは教えられてきましたが、後継者としてのプレッシャー等は全くありませんでした。 実際、当初は仏門に入る心づもりなどなく、仏教とは関係のない分野の理系大学に進学し、在学中に起業。 仲間とIT系の会社を立ち上げたり、飲食業や人材派遣などの運営企画に携わる傍、ディスコやクラブのDJやバーのマスター、占い師(手相、姓名判断、九星気学、宿曜)としても仕事しておりました。 が、その中で思うことが度々あり僧侶を志し、お大師様とご本尊様のご加護のもとご縁に導かれ仏門に進みました。 今もいつもお大師様とご本尊浪切不動明王様方にはお導き頂き、助けて頂いております。 (趣味程度ですが、暦の研究や宿曜経の読解、気学をメインに占いは現在も嗜んでおります) 「目に見える世界」「目に見えない世界」を共に大切にして釈尊の末弟、宗祖弘法大師空海の末弟として、真言僧侶の立場、金剛乗仏教・密教の観点からお答えさせていただきます。 皆様からの相談を通じて、また他の僧侶の皆様のご回答を通じて多くを学べればと思います。 皆様との御法縁に感謝して精進してまいります。 煩悩即菩提 即事而真 当相即道 また自坊(地蔵山金剛寺)では護摩祈祷会や阿字観体験会(阿息観による密教瞑想体験)も開催しております。 また自治体や地元社会福祉協議会様や企業、団体様より依頼を受けて法話(講話)や瞑想指導を不定期で行っております よろしくお願いいたします。 南無大師遍照金剛 合掌
可否が時期によります 先ずはご相談ください

『お詫び』  

投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。

代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。

『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。

大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。

道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。

その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかQuentin様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。

願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道

合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

沙門 亮鷹様、
ご回答ありがとうございます。
数息観でも独学は避けた方がいいのですね。基本50回呼吸して、余裕があれば100回呼吸して、そのあとはしばらく静かに座っていました。この間が非常に心地よく、いつ終わらせるかを躊躇していました。
阿字観の教室を開いているお寺があるので、行ってみます。
以前、ヴィパッサナーを勧められたことがありましたが、その時点では断って、今回瞑想について色々と調べましたところ、やはりなんとなく違和感を持ちました。お釈迦様が実践なさった瞑想方法としては魅力的ですが、運営団体がやや不透明です。
お師匠様の教えを受けて、正しい瞑想法を身に付けようと思います。

妙香様、
ご回答ありがとうございます。
私自身、アプリなんかで、とタカをくくっていましたが、やってみるとかなりスッキリして、家族と口論になった直後でも、ほとんど怒りを忘れてしまいます。
寝たまんまヨガというアプリがあり、これはヨガのリラクゼーションなのですが、実に効きます。寝落ちする人が多いようですが、私もその一人です。
本格的な瞑想はお教室に通うまではお休みして、アプリでリラックスでもいいでしょう。
ただ、座禅を組んで静かに呼吸しながらしばらく座っているだけでもいけないのでしょうか。
世間では瞑想ブームだそうで、彼らはどのような方法で瞑想のやり方を学ぶのでしょう。

妙香様、
重ね重ねありがとうございます。
以前熱心にポーズをとったヨガをやっていたことがあり、眠たくなるということはありませんでした。そこでも一日5分でもいいから瞑想をするようにと勧められましたが、ただ座っているだけの感覚しかなく、阿字観(YouTubeで観ました)や数息観のように呼吸をコントロールすることを知ってからは、瞑想状態に入りやすくなりました。禅病とは初めて知りましたが、そのあたりが指導を受ける重要性なのでしょうね。
指導を受けていても禅病にはなる人はなるのでしょうね。
寝落ちしてしまうヨガは屍のポーズで行うので、余計にリラックスして眠ってしまいます。
雑念については、アプリから流れる音声が記憶されてしまうのか、吸ってー、吐いてー、と聞こえてきます。

沙門 亮鷹様、
重ね重ねありがとうございます。
そうですか。危険なやり方をしていたのですね。
確かに、瞑想を始めて以来、自分でも人間が急激に変わってしまったようになりました。嫌がらせや悪意ある行動などがあまり気にならなくなりました。ある意味では大変効果があったわけですが、しばらくは気分転換のアプリでもやっています。
すでに阿字観教室の予約もしましたし(県内ではかなり大きなお寺です)。
カルトには気をつけますが、カルトもビックリの信徒となりたいと思います。

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