どう生きるべきなのか
初めて質問させていただきます。
私が小学生の頃、学級がほとんど機能せず授業もままならないという状況だったことが一年間ありました。
いじめはなかったのですが、クラスの中に先生に反抗し授業中に抜け出したりお菓子を食べたりと何かと問題を起こす生徒が居て、先生もそちらの生徒にあたってしまうため授業ができなかったのです。
その頃から私は自分で自分の髪を抜くようになっていました。
当時は自分でもわかっていなかったのですが、今考えてみると、そんな状態にあったクラスの中にいて我慢をしていた自分が嫌で訳が分からなくなっていたのかと思います。
そして数年経った今でもそれは治らず、何回か髪を剃っては生えてくる髪を抜き、剃っては抜き、の繰り返しです。
自分が甘いことはわかっています。家族に迷惑をかけていることもわかっています。ですが、成績も中途半端、性格もどんくさい私はなにをやっても上手くいかず、そんな自分が嫌で悩んでいると無意識に抜いてしまいます。
自分が生きる意味も存在価値もないような気がしているのですが、自分から命を投げ出すようなことはできません。
生きたいのに生きれなかった人もいるんだと思うと、その方達に申し訳なくてそんなことできないからです。
私は将来やりたいことが沢山あるのですが、その職業で食べていけるのかと考えるとなかなか難しいこともあり、一つに絞ることができていません。将来が真っ白です。
この不安を持ったまま生きることが最近辛くなってきています。
どのような思いを持って生きていけば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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吐き出してみようか
Annaさん、はじめまして。
成績なんか気にしなくて良いんですよ。
自分が鈍くさいって思ってるかも知れないけど、だれと何を比べてるの?
人に見せないだけで、みんな案外鈍くさいところ持ってるものだよ。
上手くいかなきゃダメかな?
少しくらい寄り道してもいいじゃないですか。
ホントはクラスが嫌でイライラしてたんじゃないんじゃないかな?
鈍くさい自分のせいで髪をいじってたんじゃないんでしょ?
確かめたかったんだよね。
ここにいるって・・・
生きてるって・・・
その時だけは自分に帰れるんだよね。
寂しかったね。
いやーっ!って言いたかったのに、言えなかった・・・
いっぱい言いたいことあったけど、大変だったのを知ってるから、思ってることは全部言えないし、ホントは辛い顔見たくないけど、無意識のうちに髪やっちゃって・・・
どうしようもないんだよね。
迷惑をかけたくないから、自分で生きていけるようになりたい。
でもね・・・
聞き分けの良い、いい子になんかならなくて良いんだよ。
私が頑張らなきゃなんて思わなくていい。
あなたはちっとも甘くないよ。
精一杯悩んで頑張ってるじゃない。
あなたに今出来ることを、今出来るだけやってればいいんだよ。
不安になんか思わなくていい。
先のこと考えるより、今のあなたの方が大事だよ。
素直になれないかも知れないけど、一度「わーーーっ!」って叫いてみようか。
思いっきり泣いてみようか。
ぜーんぶ吐き出してみようか。
きっと胸に詰まってるものすーっと消えてくはずだよ。
大丈夫。
その人は、あなたが思うよりきっと、あなたのこと解ってくれてるはずだから・・・
ごめんね。
的外れだったかな・・・?
髪の毛だけ?
爪は大丈夫かな?
どっちも女の子にとってはとっても大切。
大事にしないとね・・・
小学生に戻ることは二度とないです
あなたは、今を生きているのではなく、考えの世界にいるように感じます。何が原因かを考え、小学生の頃のことだど思った。
「成績も中途半端、性格もどんくさい私はなにをやっても上手くいかず...」↑これも、全てあなたが誰かと比べて決めつけた現実から離れた考えです。
まず、誰かと比べることをやめましょう。なんの意味もないです。自分より出来てる人と比べたら、世界中ダメな人ばかりになるでしょう。今のあなたでいいのです。そのまま。それが事実です。良いも悪いもないのです。
もう一つ、過去の話を持ち出すのは、やめにしましょう。小学生の頃の嫌な思いをされたのかもしれません。しかし、今それを扱っても何の意味もないです。あなたは、今をしっかりと生きているのです。それが現実。満たされているはずです。心、考えで動くと、満たされていることに気づかず、他に何か幸せがある。と幸せを探し求めます。
盲目になってしまうのです。
あなたの目は全く真実をそのままに映し出しているはずです。
既読スルー (出あったことに そのまま手を付けない)
人間、当時もみんな自分をやっていただけです。
人間って不思議ですね。
集団生活集団行動をているようでも、ぶっちゃけ、みんな自分自身の事しかやっていないものなのです。
遠足へ行っても、同じ勉強をしていても、視点が違う。
同じものを食べたってある人には口に合わないで、食べられない。
猫がカワイイと思えても、人によっては身の毛もよだつほど嫌いな人もいる。
チャイムが鳴った後の行動もみんな違う。
みんな、自分をやっているんです。
自分が自分を生きる。
これが人生の本質です。
ですが、これはワガママ、やりたい放題やって良いということではありません。
集団生活においてはルールがありますから、みんなの和を乱すことはよくありませんね。
今度同じ様な場面に出くわしたら、私はこの人たちに影響されずに自分を生きようと強く念じてみてください。
そこに自分が介入したところで苦しくなるだけだとしたら、ラインのように既読スルーしてください。
望ましくないことは既読スルー。深く相手にしないことです。
これは、自分の内なる思いに対しても既読スルーは大切です。
出てくる思いをいちいち全部拾い上げなくても良いのです。
この回答でも、あまり気に入らないなー、という答えも既読スルーで構いません。
自分に重たいものをため込まない。それがあなたのストレスを無くす道です。
前見て走れ
Annaさん始めまして、四国の讃岐と申します。
質問を読ませていただきました。
髪を抜く行為はストレスからくるそうですが、まさしくストレスがだいぶ溜まっていますね。
将来の不安が大きいのでしょうか。
やりたいことが沢山あることは素晴らしいと思います。その一つ一つが本来なら輝く未来になる所が、生活できるのかという所でつまずいてしまっている。
もったいないと思います。
仕事と生活は切っても切れない大事な問題ですが、食べていけるのかで悩むということは選択を失敗したくないという心の表れだと思います。
若い時は、失敗してもやり直す時間もあります。
一番やりたいことに挑戦する勇気を持ってください。結果は後からでないとわかりません。
今は前を向いて進むだけでいいと思いますよ。
将来のある一面だけを見て尻込みするのは損な気がします。
無責に煽るようですが、将来を悲観して髪の毛をむしるよりよっぽど健全ではないでしょうか。
ストレスに負けるな、あなたの人生はあなたしか歩むことはできないのだから。
髪をぬく癖、私もありました。
私も、高校生くらいのとき、髪のセンター分け目あたりの髪をぬく癖がありました。
むしりとるのではなく、一本ずつぷちっとぬく。
髪がぶちっと切れずに、根元(毛根?)ごと抜けたときが快感で、うまく抜けたらあまり痛くないんです。
その頃から、自分の髪の毛が薄いのではないか、将来ハゲるのではないかと心配し、髪を気にするようになりました。
不思議なことに、心配していると余計に髪を抜いてしまったり、洗髪時や枕についてる抜け毛にもナーバスになったりしてしまいました。
しかし、大学生くらいのとき、気がつくとその癖がなくなってました。
抜け毛を気にしていたときの方が抜け毛がひどかった気もします。
なぜ、大学になって癖がなくなったのか、はっきりした理由はわかりませんが、環境が変わり、高校時代より充実した生活だった気はします。
ですから、あまり心配せずに、いつか環境が変わったら自然に解決できるかもしれないと期待は捨てないでください。