hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

蓮の花を持っている?

回答数回答 3
有り難し有り難し 50

くだらない内容で申し訳ありませんが
少し気になったので質問させていただきます
昔小学生の頃、お寺でお坊さんと母達が話しているときに
「この子は蓮の花を持っている」と私にむけて言われたそうです
私はその時の事を覚えてないので
なんて話してたのか忘れてしまったのですが……

蓮の花を持っている、とはどんな意味なんでしょうか?
こんな質問で本当にすいません、
暇な時にでもご回答お願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

妙法蓮華

きっとあなたは蓮の華のように、過去の泥に染まらず清らかな様子で生きておられる、いずれ世界を平和や幸福に導ける力を持っているという意味でしょう。
あなたが持っている力を駆使して、どのような形でも結構ですから、誰かを助けてあげてください。
また、これをご覧になられた方も、みな、誰もが蓮の華を持っておられます。
過去の煩悩の汚泥を厭い嫌わず、菩提のエネルギーとして、大きな幸せ、安らぎの花を咲かせましょう。
ハスの華は泥より咲いて、泥の色に染まらないように、私たちも、誰もが過去の痛ましい経験を、もう、この心身には残してはいない無執着、無染着のありようなのです。
憎しみ合っている世の中も、ただ記憶を何度も掘り返して思い起こすことがあるだけです。
思いの上で生きることは、負の記憶と負の未来の幻を相手にしている事で、本当に今を生きている姿ではありません。
過去や未来の負の泥沼ばかりをずっとかき混ぜ、今を咲いていない、今を見失っていることになります。
この道理を知らない人は、蓮の華をまだ手にしていながらも自覚がない方々です。
ですが、人類だれもが余すことなく、蓮の華を持っています。
蓮華は無常、無我、涅槃のシンボルです。
過去のどんな苦しみも釈尊の説かれた「諸行無常」であるが故に、前の事を残さず、今という花を咲かせて、救われています。
それが諸行無常の本当の真意です。
そして、無我であるが故に、一切は誰のものでもなく、何ものにも所有されず、自由なのです。蓮の華も自らの身心もそれ自体が、人間の思いや願いや求めを離れているが故に無常、無我にして安らかなる姿、涅槃なのです。
それが蓮の花に添えられた、仏教徒の花言葉です。
諸行無常だから散っていく、枯れてゆくというネガティブな目線は日本の仏教者たちの最大のあやまちであったといえます。
本当の蓮の花、諸行無常とは、誰もがいつでも過去を終わらせて、救われているという救いの法則なのです。
この道理に正しく目覚められた方は、まさしく妙法蓮華を持しているのです。
その花を咲かせるのも、思いや理に堕するのも、つぼみのまま開花させないのも自分次第です。

{{count}}
有り難し
おきもち

清らかな心

蓮の花を持っている。
良い言葉ですね。

仏教では、蓮台といって、仏さまは蓮の花の台に乗っておられることが多いですよね。

ではなぜ「蓮の花」なのか?

蓮の花が池や沼などに咲いているのをよくご覧になると思います。

蓮の咲いている水面は綺麗に見えますが、池や沼の底は濁った泥がいっぱいに溜まっています。

蓮の花の根、つまり蓮根(レンコン)は、 深く濁った泥の中にしっかり根を張って力強く成長します。
そして、どんなに濁った水の中からでも、あの清らかな大輪の花を咲かせるのです。

お釈迦様は、衆生の欲に満ちたこの世を「濁った池」に喩えられました。

そして、我々に「どんなに煩悩や欲に満ちた世界でもそれに染まることなく、綺麗な花を咲かせるんだよ」と、仏になることを「蓮の花」に喩えられたのです。

きっと、そのお坊さんは、お子さんを見て、泥の中からでも綺麗な花を咲かせる蓮のように清らかなものを感じられたのでしょう。

「清らかな心を持っているね」という意味で「蓮の花を持っている」と仰ったのだと思います。

素晴らしいことです。

お子さんの綺麗な心をのびのびと育ててあげて下さいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

生まれながらに仏である

人は生まれながらに仏である。悟っていると言われています。

まさにそれが蓮の花というとこではないでしょうか。思い、考え、悩み、苦しみに染まらず、真実を見極める目をすでに持っています。そこに気づくことができるか否か。気づこうとしているのかどうか。
そこが大切です。

思いに騙されることなく、真実をしっかり見ることのできる人になってください。その時あなたの蓮の花は開くのでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ