友人と喧嘩になりました
発端はそれまではLINEなどでやりとりをしていたのですが、急に音信普通になったことです。
せめてあちらから一報欲しかったのですが、敢えて連絡をよこさなかったのは何か理由があるのだろうと、暫くそのままにしました。
遊ぶ約束の日が近づいてきたため、あちらからの連絡がないもののこちらから連絡を入れてみて、ついでに「できれば一報欲しかった」と添えました。一度は謝罪の言葉と約束通り遊びたいと返信がありました。実はこれだけ連絡がないのだからもう予定は流れるだろうと思ったのですが…。
その後また連絡が必要なことがあったのですが、言葉の齟齬か、お互いで内容が違っていました。連絡が遅れるということを以前からされていたため、せめてもう少し早く連絡をくれれば…などと私がボヤいてしまい、「それは謝ってるじゃん!」とキレられてしまいました。正直、これは謝っているにカウントされるのか?とも思いました。
すべて「もう言ったつもりでいた」「やんわりとそういった」「そうだと思いこんでいた」など、私にとってはすべて曖昧な言葉で返され、確定してほしいというと私にそういう細かい言葉の違いを要求しないでと返されます。挙句、今まで約束した件もすべて「もうそういう気分じゃないでしょ」とキャンセルを匂わせ始め、かなり楽しみにして計画を練っていたのにとても悲しくなりました。ああ、私ってその程度の存在だったんだなと。
それに、予定聞いてきて欲しかったと言われましたが、連絡取れなかったのはそちらでは…?と言うと「謝ったじゃん!」の堂々巡りです。
私は友人とはとても気が合うと思っていましたが、まるで人が変わったかのようでこんな人だったのかと正直ショックです。今はまた何も返ってきません。
あの楽しい日はもう返ってこないのでしょうか。悔しいのと怒りと悲しみがグルグルして辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
SNS ツイッター ラインの被害者たち
まず、上記のツールでコミュンケーションすることをやめるべきですね。
人は文字を見ると、その文字と会話します。
その返信された文字に、それ以上の思いをデコるのです。
相手はそんなつもりで言っていないにもかかわらず、悪く受け止めたりすることってあるでしょう。それはあなた自身のネガティブ・デコレーションなのです。ネガデコです、ネガデコ。
それは全部、自分が添えた自分の思いなのだと早く気づいて、直接会話、直接対話をして、お互いこういうメールのやり取りは誤解度を増すので、これからは大事な話は、メール以外でやり取りするべき事を約束するべきなのです。
ラインやメールで感化をする人というのは、その人との相性が悪いのではなく、メールのやり取りの相性が悪いのです。
「まぁ、あなたなら分かるとは思うけど」
と私が送ったとします。
これをネガティブに捉えて心の中で入らぬデコレーション=思い過し=考え過ぎをする人は、皮肉や悪口と捉えてしまうのです。
もう一度ラインのメールを読み返してください。
誰もアナタを責めてはいないはず。
既読スルーであっても、たまたま彼女の都合が悪かっただけかもしれません。
自分のネガティブな妄想で自分を傷つけるのはもうよしましょうね。
文字の感情は誤解がいっぱい。
LINEは現代社会では当たり前の連絡手段かもしれませんが、数年前までそんなものはありませんでした。
実はなくても何も困らないツールなのですが、便利ですからあればそれなりに使ってしまいます。
しかし、LINEに限らず文字でののコミュニケーションは誤解がいっぱい。
人は思いを文字にしますが、文字は思いをそのまま表してはくれません。
「バカ」と文字で打ったとします。
さてこれはどういう意味でしょうか?
馬鹿にされているのか?
叱られているのか?
からかわれているのか?
愛情表現なのか?
前後の文面から判断してくれるだろう・・・。
でも、その真意は、打った人だけがわかること。
受け取った人間にはそこまでわかりません。
たった一文字、「は」が「が」になるだけで、正反対の意味になってしまいます。
表面から受け取れる意味だけ考えても、一文字間違えると誤解が生じてしまいます。
ですから、SNSで喧嘩することなど当たり前だと思っていなければなりません。
会って直接顔を見ると表情だけで気持ちは通じるものです。
それが出来ないのであれば、大事な話は電話で話す。
気持ちを伝えたいなら顔を見て、声を聴いて。
声のトーン、表情、仕草、それがいかに重要か。
きっとお互いに文字の裏を読み合って、誤解が誤解を生んでいるのでしょう。
こじれてしまったことは取り戻せるかどうかわかりませんが、
一度会って、自分の口で、表情で、仕草で、誤解を解いてはどうですか?
冷静に話せばきっとわかってくれるはずです。
相手にも、きっと思い当たるところがあるはずですよ。
五感で感じる友達関係
SNSを利用して、友達とやり取りする時に一番陥りやすいのは、こうした妄想合戦です。
お互いに「責任」という目に見えないものの所在をああだこうだと言い合って、お互いに怒りと悔しさと悲しさと様々な感情で苦しむのです。
文字から相手の思いを「想像する」←ここが間違い。
文字は文字←気持ちは妄想しない。分からなかったら電話で確認←声を聞く
電話ではうまく伝えられない内容はあってから顔を見て話す。
目で相手の顔を見て声を直接耳で聞き、同じ食べ物を食べ、時に、手を取り合う
そんな関係が友達との仲を深めるのではないですか。
SNSは約束の日を決めるための道具程度にしておきませんか。
相手の気持ちを想像する道具だとしたら、嘘しか伝えられません。
本物の友達リアルの友達を大切に。
謝ったら許すのが仏教的
結局、あなたは相手を積極的に許そうとはしていなかったのでは?
仏教の戒律では、謝ってる相手を許さず怒り続けてはダメなのです。
あなたは、怒りたいという気持ちが出てしまい、それが相手を逆ギレさせたのでは。
つまり、あなたはウザイしつこい学級委員長、下手すればモラハラかストーカーの気質があるのです。
仏教では、どんなに自分が正しくても怒ったら自分がバカ、なのです。
相手にとってはあなたはたくさんの友人のうちの一人にすぎなかったのかもしれませんが、あなたは相手の友情に期待しすぎたのです。
自分が正しい、という態度が相手に伝わって嫌がられる場合があるので、注意が必要なのです。
相手には、怠けの煩悩があり、手抜きもミスもあります。
一方、あなたには、それを許せないプライドの煩悩があって、怒りの煩悩につながった。
怒りはじめると今度は、相手を攻撃する快感・欲の煩悩にシフトして引けなくなった。
煩悩と煩悩のケンカ両成敗です。
悩み苦しみの原因は自分の煩悩なので、煩悩に気付くことが大事です。
他人のミスや手抜きを許せる余裕を心がけてみてはどうでしょうか。