後を追いをしないように
どうしたらいいでしょうか。
もちろん、頭で自殺はいけないことというのは分かっています。
主人に自死で先立たれました。正直追いかけたい衝動が奥にあります。
なんで?って聞きたいです。何をみてもどこに行っても、主人が居ないことを思い知らされます。
私がその状況を作り、防げなかったことの後悔が尽きません。また会いたいし、話したい。
今は49日まで、彼を弔うことに専念しようと過ごしています。
毎日私を心配して、親から電話があります。
日にあまりにも何度もあるので、態度は邪険にもなりますが、こんなツラい想いを、年老いてきた両親にさせるは忍びないです。
身体が辛くて、半年前に仕事も辞めました。何もしないのも良くないし、まして、
生きていくには、働かなくてはいけないことも頭では理解しているのですが、心がついていきません。
何のために生きてるんだろう。
それに、今、仕事しても、責任負って何かする自信もありません。
それでも動かなきゃと動けるときは動くようにしています。
自死の家族の会にも参加してみました。何年も苦しんでる方々が多くいました。
泣きながら話しててもお互いに様な環境は有り難かったですが、時間の経過で、癒されるものでもないこともわかりました。
元々の頚椎の問題もあるのか、睡眠不足と大泣きすると、目眩が酷くなり、動くのも嫌になります。
引きこもらないように、通ってた整骨院や、香典返しや、月命日に納骨前ですが、準備にと思ってお墓参りしてきました。
彼のために、と思うとまだ動けていますが、ふとした瞬間、ここで事故にあったら、とか、この睡眠薬全部飲んだら、とよぎることがあります。心が壊れるなら、壊れちゃえ、と。
親に私と同じ想いはさせたくない、迷惑かけたくない、とは思いますが、私の場合理由が分かるし、両親まだいるし、弟に孫もいるからまだマシだよね、とも思っている自分もいます。
動けるときは動けますが、ダメなときはずっとボーっとしています。
ずっと泣いてることはなくなりましたが、その分一気に堰をきったように泣いたり、胸が締めつけられます。
どこかで、糸が切れそうな自分が怖いです。
変なことがよぎったときに、思い留まる術、アドバイスあれば教えてください。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心も身体も休めてくださいね
拝読させて頂きました。本当におつらい思い悲しい思いをなさっておられることかと思います。
先ずはご主人様が仏様のお導きを正しくお受け頂きます様にと真心込めてお念仏おとなえさせていただきます。
南無阿弥陀仏
必ずご主人様は仏様のお導きにより仏様のもとに生まれ変わり心から安心なさいます。
あなたは先ずはご自分のお心や身体を休めてくださいね。心身共に疲れ果てていてはものごとに向き合うことも考える力も失ってしまいます。
しっかりとお疲れを癒して頂き、そしてご主人様をご供養なさってくださいね。
あなたはいつの日にか必ずやご主人様に再会なさいます。あなたの生命が全うされる時に仏様がお迎えなさってくださり、仏様のもとに生まれ変わりご主人様と再会の喜びを分かち合います。
どうかそれまでは心を込めてご主人様をご供養なさり、ご主人様にそれまでの間いつもあなたをお見守りくださいます様お願いなさってください。そしてあなたが必ずや仏様のお導きをお受け頂きます様にと心からお念仏おとなえなさって頂き、仏様にお願いなさってくださいね。
あなたの生命はあなたのご家族の皆さんにも大切です。皆さんとの大切なご縁の中で生きていらっしゃるのです。
人はどの様な方も必ずや生命が全うされる時が参ります。あなたも私も明日は自分の生命がどうなるかわかりません。
その様な不安の中でも私達は様々なつながりの中で生きている、様々なサポートを受けて生かされているのです。
親しい方が亡くなることは本当につらいことです。なかなか受け入れることはできません。
それでも私達はたくさんの方々に支えられて生かされております。
先日の自死遺族の分かち合いの集いにて教えられたことがあります。「時が悲しみを解決してくれる癒してくれるのではありません、人と人とのつながりが気づかせてくれて癒してくれるのです。」そうお言葉を頂きました。
あなたにもたくさんの方々の支えがあるでしょう、そしてあなたも独りではありません。
もしもあなたがお気持ちをお話頂けるならば私も参加しております築地本願寺様にて毎月第四木曜日の午前十時半から開かれます自死遺族の分かち合いの会『いのちの集い』にご参加くださいね。http://www.bouzsanga.org/share.html
あなたを心よりお待ち申し上げます。
質問者からのお礼
東様、
いつもありがとうございます。そして弱音を聴いて頂いてありがとうございます。
こうやって、ハスノハやいのちの集いでのご縁で、自分に予防線を張っているのかもしれません。
ご縁を感謝致します。
主人の遺品の整理は出来ないのですが、自分の断捨離をしています。気が咎めていたのですが、いつか命が全うされる時の準備と思えば、それもいいかもしれませんね。
きっと主人は見守ってくれるとは思いますが、返事してくれないんです。なんで?と聞きたくて、イタコやユタについて調べたりしちゃいます。納骨も49日の法要で一緒に予定してますが、寂しくて仕方ありません。私の手元の分骨分をあと1年残させてもらおうか、でもお骨なくてもいるし、逆にあってもいないし、私に何かあったら、彼が落ち着かなくなる、とぐるぐるしてました。彼の死に向き合うとまだ潰れそうになります。でも、時でない癒しもあるのですね。発見。ありがとうございます。今、向き合うには、心と身体がついていっていないのですね。必死に、向き合おうとして、追い込んでいたかもしれません。まずは身体、心を追い込まないよう気をつけてみます。
頭動いていない中、書き込みましたので、乱文にて失礼します。取り急ぎ、御礼まで。