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自分の性格

回答数回答 3
有り難し有り難し 33

とにかく自分の性格が物事に対して、白か黒かはっきりしないと気が済まない性格で困ってます。

特に仕事だと、その辺りが熱くなってしまい敬語は使うものの上司に対しても、楯突いてしまい、いっつも悪役、、、

許せない、納得いかないことでも、時にはグレー色のままでいなきゃいけないのに、どうしてもそれが苦手です。

グレー色でいられたら、上司にもっと好かれるのに、、、と思いつつ、グレー色でいなきゃ上司に好かれるくらいなら、嫌われたって上等‼って思ってる自分もいたりします。

やっぱり世間は、適当、グレー色の性格の方が受けがいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

決めつけない。押し付けない。

本来は、仏教的にあるがままをあるがままに見なさいと言いたいところですが、あなたの求める質問の答えにはならないかもしれません。

だから別の角度で…

上司とぶつかれるくらい白黒はっきり言える人も世の中には必要かもしれませんよ。

でも、あなたは、グレーの人を見ると釈然としないということでしょう。

グレーという意味にマッチするかどうか解りませんが、あなたの言う意味のグレーとは、答えをTPOに応じて翻すというような意味でしょうか・・・。

答えを翻す人の真意はわかりませんが、そんな風見鶏的な人は一見人受けが良いように見えますが、人に心から信用してもらえるかというと、かなりの疑問が残ります。

私の考えから言うと、人受けがいいのは、一見グレー思考の人のように見えるかもしれませんが、本当は自分の信念をしっかりと持ちながらも上手く周りをかわせる人。
ということになるでしょうか?

上手くかわせるというのは、「相手を決めつけない」「自分の答えを押し付けない」という意味です。

自分の今の知識、経験、状況、精神状態などによって、見るものの白黒は違ってきます。
世間的に常識だろうと思っていることでも、それはあくまでも自分が常識だと思っていることであって、それを常識だと思っていない人がいるからこそ違う結果があちこちに存在するのです。

「常識は万人共通ではない」ということを、先ず知っておくべきです。

その上で、「自分はこう思う」を、ちゃんと自分の中に置いておいて、他人の意見と照らし合わせて、「こうだ」と決めつけない、もし自分が間違っていると気付けば、たちどころに修正して謝罪もいとわない。

こんな人が、押し付けない、決めつけない人なのだろうと思います。

一見テキトーに見えることでも、相手には深い思慮があることだって数多くあります。
それが自然に出来る人は、柔軟な考え方が身についている人でしょう。

張りすぎいない。緩めすぎない。
お釈迦様が中道を悟られた時のように、中間に身を置いて、自分をニュートラルに見られる姿勢こそ、私たちには必要な姿勢かもしれません。

テキトーを漢字で書けば適当。
いい加減という意味ではなくて適に当たる。
本当は、最適なという意味に使う言葉なんですよ。

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白クマよりも 黒クマ よりも パンダを愛すべし

パンダはどっちでもありません。
黒一色で白が無ければパンダになりません。
白一色で黒が無ければパンダになりません。
全部を一色に統一しようという考えに縛られているだけなのです。
ですが でも だけど しかし の 反発目線をいったん休めて、
なるほど たしかに そうですね 肯定目線 を もって あなたが絶対に白がいいと思っても、黒の良さ、利点、優れた点を探すようにしてみてください。
あなたが絶対に黒がいいと思った時も 白の良さ 利点 優れた点を探すようにしてください。
うどんにはうどんの良さ。蕎麦には蕎麦の良さ。
うどんと、蕎麦、どっちにしましょう?
パンという中道に似た選択があってもいいのではないでしょうか。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「そのまんま生活」を送りましょう

何事もはっきりさせたいとのこと。しかしその考え方は、ときに苦しみを生みます。私たちが生きている世界は、白or黒、0or100、善or悪、などの二択ではないということ。そうした見方をしているということは、全て自分の我見を通しているということになります。

仕事でも我を押し付けているということです。
そのような生き方の中では、思い通りにならない時に苛立ちがでてくるでしょう。

他人受けがいいとかそういう見方ではなく、善悪、白黒、グレー、さえも付け加えない、「そのまんま」という生き方があるということを知ってください。

子育てをしていたとしたらなおの事、そうした「そのまんま思考」ができないと苦しむ事になるとおもいますよ。

仕事をしていても、白黒どちらでもいいこと、その人のセンス次第ということがたくさんありますよね。それはそれです。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

もう少し楽に過ごしてみます。

ありがとうございました。

パンダかぁ〰。

わかりやすい例え、ありがとうございました。

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