hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お米を粗末にすること

回答数回答 4
有り難し有り難し 19

私は結構な心配性で、夏などでしたら食中毒などがすごく心配です。
なのに今日の夜ごはんの時親がお刺身の付いたようなしゃもじで炊飯器からご飯を出してしまいました。親の時代ならそれぐらい大丈夫だったようで大丈夫大丈夫、みたいな感じでした。でもそれで家族が食中毒になんてなってほしくないし夏はまずいと思ってます。でも結構残ってる米を捨ててしまうのは食べ物を粗末にすることになってしまいますよね。いったいどうすればいいんでしょうか。その触れた部分だけ捨てるにもはっきり見てなかったのでどこからすくったのか分からないしもうあれから30分ぐらいたっているので菌が増えてるのではと考えると怖いです
自分一人では判断ができないのでご回答よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目に見えないものは妄想

私は今実際に旅先で昨日お店で持ち帰ったお米を頂いています。
店員にはいつも断られるので「犬にあげる」と言って持ち帰っています。
ある程度は大丈夫でしたがある程度はスエていました。そこは残しました。
実際に雑菌が繁殖しているかどうかは、作られている過程をある程度みれば安心するはずです。食品業界では食中毒こそ一番あってはならないので、お店の商品は十分に気を付けます。
小さい頃からある種雑菌まみれのものばかり食べているからヘッチャラな人もいます。
むしろそういう人たちをある程度みならってギリギリのところで鼻を頼りに見極めましょう。
完全に衛生・衛生にこだわりすぎると人はかえって腸が弱くなります。
逆に某食品業界で売られている腐らないものというものは完全な無菌状態ですから、そういう防腐剤、酸化防止剤漬けのものばかり食べている人は腸内環境が外敵に対して弱くなってすぐにお腹を壊します。
最近は雑菌・ニオイをCGで見えるようにした衛生グッズを買わせるための手法として勧めている商品、CMが目立ちます。あれもあくまで「自社の製品を買え」という洗脳です。
あなたが食中毒を気にしすぎるようになったのは、何によるものでしょうか?
実際にお腹を壊して食中毒になったのでしょうか? 
思いをかぶせて食べてはいけません。
目に見えないもの、実際に存在しないものは妄想です。
もしくはCMの雑菌イメージが強烈過ぎて恐怖心をあおられているのでしょう。
こうではないか、ああではないか、という思いの雑菌を交えずに、鼻を頼りに事実を頼りに食事をしましょう。(^<^)
残ったお米はこの時期はずっと保温にせずに食べない分は、お皿などで熱、水分をある程度飛ばして蒸れないようにして保存すると持ちがいいです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

食べ物は大切です

食中毒になるかどうかは分かりませんが、ご飯に少しついたぐらいですぐにどうにかなる、ということはないのではないですか。

最近世の中「除菌」という言葉が当たり前に増え始め、菌=悪いモノと決めつけてしまっているところがあります。

今回の話とは別ですが、常在菌という必要な菌までも殺してしまうことが、一つの問題になっています。菌と共存していくこともとても人間には重要で、無菌状態であるからこそ病気を招きやすくなっているということも言われています。

あまり神経質にならず、しかし、食中毒は怖いですから、なるべく新鮮な新しいモノを口にするようにしたらどうでしょう。
あとは、焼きおにぎりや、チャーハンなど火を通してから食べるなどしたら、お米は無駄にならないと思いますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

食の安全 と もったいない

ゆーり様
何年も前の報道ですが、東南アジアの旅行者で日本人だけが集団赤痢にかかった、というものがありました。昭和40年代くらいまでの日本人ならそんな事は無かったでしょうが、「食の安全・除菌・清潔・・・」が標準化した世代の日本人では免疫力が落ちているのかもしれませんね。
私達の本山本願寺や東京築地本願寺では、当然毎朝お仏飯をお供えしています。仏飯器も一般寺院より巨大なモノで、ご飯の量や器の数も多いです。法要後に全て下げるのですが、潰して焼いておやつのせんべいにしたり、粥にして参詣者に分けたりもします。そのままご飯として食する事はあまりありませんが、大切な仏さまの「お下がり」なので無駄にはしません。再び火を通し、更にアレンジすれば美味しく食べる事が出来ます。
東日本大震災の時は、築地本願寺が帰宅困難者のために休憩所と共に、この「お下がり」を非常食として配ったという話もあります。
日本人として、「もったいない」という感性は忘れてはいけないと思います。

カビでも出れば別ですが・・・、仏の供物をカビの生えるまでほっとく事も有り得ない事ですので(^^;)

{{count}}
有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしております。 過去の経験から、僧侶が聴聞の方々に一方的に話すだけの法話スタイルに疑問を感じ、悩んでる人・苦しんでいる人・勿論そうではないチョット仏教に興味がある人のお話しを聞き、対話する中でより良い方向を一緒に探す事を重要視しています。 お気軽にご相談下さい。

再加熱するか、虫などに供養(布施)する

昔の人は、ものを再利用する知恵をたくさん知っていました。
鎖国の日本では、手間(人件費)より物(資源)のほうが価値が高かったのも理由の一つでしょうけど。

食中毒は加熱すればかなり予防できます。
加熱してください。
お粥やチャーハンに。

もしくは、家に庭があるなら、庭に御飯を撒いて、虫や鳥や菌類のエサに供養(サービス、布施)してあげてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ