信じられない
私は友達が出来ても仲良くなる頃にはその子のことが嫌いになってしまいます。友達全員の事を嫌いになるのではなく学校で移動や休み時間などずっと一緒にいる子を嫌いになってしまいます。
また、嫌いにならなかった子でも心の奥底から信頼することはできなく、この子に本心を言ったら周りに言いふらされるとか馬鹿にされたりすると思ってしまいます。
また、親も信頼することができなく本心を言えなくて、親からどうしてもっと私たちに相談しないのと言われてしまいます。私の親はお喋りで何でも人に話してしまうのではないかといつも思ってしまいます。
どうして人を信じることができないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心の奥底から信じることが出来ないのは普通のこと
金魚鉢さんのご質問を読ませていただきました。親も含めて誰も信じることが出来なくなったことはつらいですね。過去に裏切られたとか、だまされたというようなことがあったのでしょうか。その人を知れば知るほど嫌いになって行くというのも悲しいですね。最初はいい人だと思って近づいても、そのうちいろいろな面が見えてきて嫌いになるということでしょうか。
人間は、本来自己中心的なものです。簡単に言えば、自分のことしか考えないとか、自分のプラスになることしかしないというようなことです。社会に出てみて、一人で生きているのではないと知り、いろいろな社会性を身に付けていくものです。
そういう意味では金魚鉢さんはまだ経験が足りないのかも知れません。あるいは「信じる」という言葉にこだわり過ぎているのかも知れません。実は信じるという言葉は、どこかで疑いを持った時に使う言葉なのです。あなたを信じていますとか、優勝してくれると信じていますという場合も、ほんの少し疑いの心を持っているのです。
通学するとき、この道を行けば学校に行けると信じていますとは言いません。この道を行けば学校に行けることを知っていますと言います。信じるという言葉自体に100%信じるという意味はないのです。ですからあなたが心の奥底から信じることが出来ないというのは、普通のことです。誰もそうなのですから心配いりません。
ご縁を深めあいながら
拝読させて頂きました。お友達を仲良くなるにつれて嫌いになってしまうということはどうなのでしょうか。あなたの中でそのお友達が自分の思う通りの方ではないからイヤになってしまうのですかね。
生きていく中では自分も周りの人たちも自分の思い描く通りではありません。
それぞれ生まれも育ちも生き方も価値観も違うものです。
あなた自身もこれから様々な方々に巡り会い様々な経験を積んでいかれて生き方や価値観も変わっていかれす。
今ご自分の頭の中だけで考えられる範囲だけで好き嫌いを判断してしまうのはとてももったいないことだと私は思います。
愛別離苦や怨憎会苦は世の常です。
それを踏まえてご自分の見識を広げて頂き、人とのお付き合いをもう少しおおらかになさって頂きたいと思います。
嫌いだなと思う人の姿もふとした時ところで全く違って評価できたり信頼に足る人にも感じることもたくさんありますからね。
やみくもに人を信じることはありませんが人の良い部分を見つけて信頼なさっていって頂きたいなと思います。
あなたがこれからの人生でたくさんの方々とご縁を結びながら関係を深め合い共に信頼しあいながら仲良く成長しあって頂きます様にと心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。信じるということにとらわれず、自分の視野をひろくしていきたいと思います。