娘との関係、私の心の持ち方
子どもの頃は何でもできて社交的だと思われる子どもだった、18になった娘は、16で感情に障害があることがわかりました。調べなければただのわがままな人、自己中な人なだけです。
私が愛情を持って育ててきたことは伝わっていませんでした。物を片付けることも苦手で、無くなれば私のせいだと罵り暴れます。こちらが対応を変えてきて6年間の地獄は少しましになりました。それでも、自分の思い通りにならなければ、私や他人を憎みます。
誕生日や母の日は何かしてくれます。私のことを少し思う事はあるようですが、死ね!お前が悪い、お前が産むから悪い、お前はただの雑用係だ、と言います。私の食事も好きなものがなければまず食べません。生活も好き勝手です。
うまくいかなければ私のせいにます。その時はパニクってそのあとは引きこもって寝ます。
早く家を出たいが、お金がないからと家にはいます。片付けてもすぐ汚くなる部屋です。
私は困っていますが、娘がとても大切で心配です。私はどういう考えで、自分をささえたらよいのでしょうか。
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自立するために必要なこと
母はいくつになっても母ですが、愛しい我が子はいつまでも幼いころのままとはいきませんね。
娘さんも年頃となり、親や家庭から自立したいという思いが芽生えるのは自然なことです。
「自立」と書きましたが、この言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。
私の考える「自立」とは、それまでの親子や家族関係から拡がって、社会のさまざまな人との関係を結んでいく過程であると考えます。
言うなれば、頼ったり甘えたり信じる対象を拡げていくことがその人の自立に繋がると考えます。
さて、娘さんはいま、自身の身の振りをどうしたいとお考えでしょう。
自己の障害への自覚は、母子以外の関係性から外の繋がりへ踏み出すことを躊躇させているかもしれません。また、そのような関係づくりのきっかけを掴みにくい環境にあるのかもしれません。
学業を中退したことに、周囲の風当たりはいかがでしょう。「学校行かなくてもいい」とは簡単に言えますが、例えば娘さんに無理のないかたちでの復学や修学の機会を提案することが出来ているでしょうか。
ある意味で「自暴自棄」の只中にある娘さんに対して、
ひょっとすると母子や家族関係のなかだけで解決策を講じ、いまを越えていくことを期待するのは難しいことなのかもしれません。
また、誰しも覚えがあることですが、子が自立へと向かう過程には、親や世間への反発がつきものです。様々な葛藤の感情の刃を身近な親に向けていた青春時代を記憶している人は少なくないでしょう。
ここで安易な解決策を提案することはできませんが、
ひとつには第三者の助けを得ていく道があります。即ち家族内だけで悩みを循環させないことです。あるいは、娘さんの「家を出たい」という言葉に乗って実際に一人暮らしさせてみるということも。
他方、障害を留意しても、母親への暴言、非行は母子だから許されるとは限りません。いずれは自分自身が障害とうまく付き合い感情をコントロールしていかなければならないのですから、常軌を逸した暴言に対しては、母としても(辛いでしょうが)毅然とした態度はとられるべきでしょう。
まだまだ甘えたい存在としての母と、何でも受け入れてくれる母に、娘さん自身がどう接していいのか分からないということも。
繰り返しますが、娘の「自立」と共に母も自立していくために、時に第三者を交えながらもう少し考えてみませんか。
質問者からのお礼
早々のお言葉ありがとうございます。
表現しきれていませんでしたが、春から専門学校へ行く事は決まっています。でも、それもこの家にいたら辞めるかもしれない、お前のせいだ、一人暮らしをさせろ、と言ったりして、このままでは続かないのではと心配しています。
第三者は数年前に役所や親戚には入ってもらったことはありましたが、親が悪い、ということで長く続きませんでした。その後の病院は通院が続かずだめでした。
でも今、母親としても毅然な対応、を今一度自分の支えにして頑張ってみようと思います。
それより、早々にこの気持ちを見てくださった方がいる事で、一人ではないと感じて頑張れそうです。ありがとうございます‼︎