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お寺変えるべきか悩んでます…

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昨年長男である旦那が正式に墓守に。

去年墓経時に棚経もお願いしても連絡なし棚経も来てもらえず。
今年も盆前墓経時に棚経をお願いしてて、連絡なしで7月末にポストに名刺だけあって夜に連絡をしたら「棚経に行ったけど不在だった」と。
連絡もなく来て不在と言われても共働きで常に家に居るわけじゃないし、日時を指定してもらってその日は電話を切りました。

棚経は午前中との約束だったので、義母も9時前には我が家に。10時過ぎ確認も兼ねてお寺に電話。
「住職が他所回ってるから午前中は無理、午後に行く」と。
11時半過ぎに電話がかかってきて「午後は施餓鬼があるから棚経は無理。お寺来たら一緒に棚経のお経あげてあげてもいいけど?」

去年はお願いしても無視、
今年は連絡もなく勝手に来てその後約束した日時は来れず、上からの物言い。

何のための約束か⁈と旦那も義母もブチ切れ。

実は仏壇開きもやってもらえるまで2年かったという経緯が。

元は旦那の祖母が檀家、義父と曽祖母の位牌を義母が管理をしてました。(祖父は祖母が勝手に集合墓地に遺骨を巻いてしまいこの時は位牌なし)

当時、義母の再婚があり長男である旦那はまだ未成年。墓守は無理で、出来る歳になるまではお寺に位牌を預ける形をとりました。

5年前に祖母が他界。その際叔父が別宗派で葬儀、納骨もしないまま2年。叔父の方から祖母の位牌と遺骨をそっちでどうにかして欲しいと連絡があり、これをきっかけに成人した結婚もしたと旦那も墓守を決意。菩提寺になるお寺で祖母の戒名と祖父の相談、位牌の引取りをお願いしました。

はじめはお寺も対応が早く、
叔父から位牌遺骨引取り→その日のうちにお寺へ行く事ができて、4人の位牌も早くに受け取る事ができたのですが…

その後からはぐだぐた。

お寺へ行ったのが秋の終わり。
これから寒くなるから納骨は春先、その時に仏壇開きも、との事。

春になりでも連絡はなく、こちらから連絡。納骨当日はその日別の方の納骨があってそのついで?な扱い。

仏壇開きも仏壇等を揃えた状態でお願いしてましたが、納骨以降仏壇開きの連絡なし。墓前法要の度に直接話しても「また連絡する」の繰り返しで、我が家が引っ越す話をしてやっと返事がもらえて漸く…な流れ。

こんなに適当なら同じ日蓮宗の別のお寺さんに変えた方がいいのか?と思ってしまうのですが…。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏さまのお力をお取次ぎしてもらえないようでは、

どのような事情があったにせよ、
そのお寺・お坊さんは職務怠慢としか言えません。

どうぞ他のちゃんとしたお寺にお取り次ぎしてもらいましょう。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

そんな寺からは離れてください

一言でいうと、そんな寺からは離れてください。これで解決です。後はよければお読みください。

私が日系カナダ人の宗教(具体的には西本願寺とキリスト教)について調べているのが縁で、あるご婦人(定年退職なさった英語の先生)とインターネット上のお友達になりました。その方も同じようなことで悩んだ末、同じ宗旨のお寺に所属をかえてしまわれました。元の寺の人に、そうしたいというと、どうぞどうぞ、ということであっさりOKだったそうです。「檀家なんていくらでもいる」という連中なんてこんなものですから、迷うことありません。

手順としては、
1.今度は失敗しないように、評判のよいお寺をさきに探しておく。
2.今のお寺に、やめたいといい、納得してもらう。いざ、となったら今までの経緯を話して何としてもやめる。しかし、そこまでのことは必要ないはずです。
3.今のお寺ときちんと切れたうえで、よいと思っておられるお寺にお願いに伺う。
ということかと思います。どこの世界にも通じる当たり前のことだですが念のため。

これも蛇足ですから、よければ読んでください。京都市内のある真宗大谷派のお寺が、今後のお寺の未来について、コンサルタント会社に相談したそうです。その会社は先行事例をもっていました。それによると、A寺(先行事例のお寺)ではこれから毎年六軒ずつ檀家さんが減る。一〇年で六〇軒減る見当になる、ということらしいです。そんな時代が来ることが分かっていながら、檀家をないがしろにする寺なんか構うことはありません。

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おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

お寺もサービス業。

ゆきんこ様。

お寺も忙しいのでしょうが、あまりにも対応がよくないですね…。

私は、お寺も広義のサービス業だと思っています(怒られるかな)。
お寺に足を運んでくれた人たちに、どれだけ楽しい思いをしていただけるか。
悩みをかかえてお寺を訪ねてくれた人たちに、どれだけ笑顔で帰っていただけるかを、
常に考えています。

「仏教離れ」という言葉が出てきてしまった今、
仏教を伝えていくべき僧侶が、そのような態度をとってしまうということは、
自殺行為だと思います。

信頼できるお寺にお墓を買って、移動してしまった方がよいです。
その方が、そのお寺のためにもなります。
「なぜ、うちは檀家が離れていってしまうのだろう」と、
考えるきっかけになるかもしれないのですから。

檀家制度に甘えず、常に前を向いて進歩していくこと。
一般の企業では当たり前のことですが、お寺もそのような意識が必要になります。

ご親族の了承がとれれば、宗派を変えてしまってもよいとすら思います。
もちろん日蓮宗にも、よいお寺はたくさんあると思いますが。

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おきもち

浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリーマン生活ののちに、この羅漢寺にお世話になり、2014年に住職として晋山いたしました。 現在は、「ここより」というサイトの編集長を務めています。 まだまだ悩める道の途中ですが、少しでも皆さまの力となれるよう、がんばります。

悪意はないかと コミュニケーションの行き違い

どちらが悪いという事をいうものではありません。
ただ、お盆のお坊さんの棚経という酷務を少しだけ理解してさしあげてください。
住職は短いお盆期間に檀家さん一軒一軒を廻らなければならないので、伺う日は決まっても、時間の確定はできないものです。
また「当日お墓経時での口約束」はご遠慮いただきたいものです。
すでに予定が組まれているからなのです。
ましてやアナログ業界で法務中は法衣姿のお坊さん。
予定を記載するスケジュール帖を毎回持って行く人はまず少ないです。(お寺のはデカい)
暗黙の了解として、数か月前の事前来山(電話)予約がお檀家さんの基本です。
別に上から目線でも何でもなかったと思います。
むしろ時代が便利化するにつれ「こっちが言う事だけ一方的に言えばいい」的なメール的姿勢の伝え方が法務中のお寺さんに失礼にあたったのかもしれません。あなたも出先で仕事を廻っている最中に急に「この後うち来てもらっていいですか?」と言われても、この後仕事があるのに、いきなり言われても困るという事もあるのではないでしょうか。
単に会話、対話の姿勢を問われているのかもしれません。
私は愛知や秋田で毎年一日60件回っていました。
毎回その都度、行く前に「今から伺います」なんてやっていられるような余裕は正直ありません。「勝手に来た」これは悲しいです。
棚経時に「何時に来てほしい・まだですか?」みたいなお宅さんは正直、他のお寺さんでも「こまった家庭」と思われていました。
お寺さんも、事情をお伝えする機会がないのかもしれませんが、これは毎年の事です。
他の檀家さんもあなたと同じように思っているのでしょうか?
「お互い、別に悪気はなかった・情報伝達不足・捉え違いであった」だけかもしれません。
相手がお寺さんでなくても相手の状況を理解する、察する、真意を伺う気持ちをもつことは大切です。
自分目線、自分の都合を主張しすぎると仏教でも宗教でも無くなります。
お盆=ウランバーナとは「物事を逆さまに枉げてみる」という意味で、これがお盆の由来ですから、機縁にして頂きたいと思います。
相手の善意を悪意に受け止めず、コミュニケーションが不完全であったのであれば相手を悪しざまに言わず、真意を確かめてみることも大切です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

棚経は毎年日時が決まってるのでは?

棚経は、毎年日時が決まってるのでは?あなたの家の地区を回るのは何月何日と、決まっていませんか?
もしそうなら、お寺側からは連絡が来ない可能性があります。
去年も実は棚経に来てたのに、その日をあなたが知らずに留守だった、という可能性はないですか?
お寺側からしてみれば、毎年決まっている棚経の日になんで留守にしてるの?という感じかも。来てくれと言っておいて留守、となると、お寺側も腹をたててるかもしれないし。

で、棚経は、順番に回ってると話が長いおばあちゃんにつかまったりするので、時間のズレは仕方ない面もあります。
お寺はお店のように「お客様」扱いはしてくれません。
そういう扱いを期待すると腹が立ちます。
自分のお参りして欲しいときだけお寺に連絡するのではなく、お寺の年中行事や総会に出席するなどして、お寺の年間の行事予定を確認しておく必要はあるでしょう。
住職にすでに予定が入っている日に来てくれと依頼したって無理だし。
お客とお店みたいな感覚ではなく、宗教法人を運営する会員の一人という意識で普段からお寺に関わっていれば、避けられたトラブルかもしれません。
で、苦情については、檀家総代さんに相談してみてはどうでしょうか。
お寺はお店ではなく、あなたも含めたみんな運営する宗教法人です。
そこを理解しておかないと、他のお寺に行ってもまた腹をたてることになります。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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