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話を聞いてくれるだけで十分です。もう生きたくない。

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18日の今日、大学の卒業式を迎えます。
本当はわくわくして眠れないはずですが、現実は悲しくて不安で絶望をひとり心の奥に抱えて眠れません。どうか乱文になりますが、お付き合い願えればと思います。

実は内定を取り消すことになりました。取り消すという表現が適切なのかも判断がつきません。

というのも生まれつき重い持病があり、運動をすることができません。夏場は10分も外を歩けず、浴槽も5分しかつかれません。病院には通っていますが年々酷くなる一方でなんとか付き合っています。

ですが2月に外を歩く研修をしてもらうという通告を受け、単純にその研修だけを考慮してもらうつもりで会社側に相談したところ、つい一昨日、事実上内定取り消しの告知をされました。会社からは「あなたの体の安全を確保できる保証もなくその配慮が100%できる業務もない」と言われました。

内定を頂いたのは7月ごろ。その時に言えばよかったと分かっています。でも就活がどれほど苦か、それを考えると内定を取り消されてしまうんじゃないかという不安で言い出せませんでした。

去年1年間、自分の中の自分と闘って掴みとった未来を自分の手で潰すのが、本当に、本当に苦しいです。意図的に隠してた訳じゃないし会社に指定されたように健康診断書も出しました。ですが私の持病は健康診断書には表記されません。そのことを誰よりも私自身が知っているはずなのに、正直に生きてきたつもりなのに、ひとりになると必ず泣いて、踏み切りの警報音が心地いいと感じるくらい苦しいです。

就職のために引っ越しをし、その費用に約60万円かかり、業者も頼まなかったので何から何まで手伝ってくれた両親には謝罪の言葉しか出ません。両親にはもう全て話してあり「お前は悪くない。再スタートだよ。」と言ってくれましたが、自分があからさまに迷惑をかけているとしか思えず、就活をもう一度すること以上に両親に顔を合わせるのが辛いです。

こんな体なら生んでほしくなかったとは言いません。でも言葉を変えるなら、こんな体なら自分の手でも終わらせてしまいたい。もう嫌です。ずっと苦しんできたのに。体育の授業もみんなの楽しんでる姿を見ることしか出来ず、ただの旅行、運動、散歩すら楽しめない。

誰でもいいです。どんな言葉でもいいです。何かお願いします。稚拙な文章ですみません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自らを追い込む必要はないですよ

人目を気にしすぎるあまり、「〇〇ねばならない」「〇〇であるべき」という思考が強い方のように感じました。
就職については、確かに残念だったと思います。
しかし、今の世の中の風潮からなのか、なんだか”就職しなければならない”という気持ちになりやすいのだと思います。

就職しなくても仕事はできます。一日中家にいても仕事はたくさんあります。一番困るのはお金の話、そこだけどうにかなればいいのですよね。アルバイトでもいいじゃないですか。

人は、本当に自由な生き物です。好き嫌い、損得、善悪、そうした感情、価値観以前にもっと大きな力によって存在しています。好き嫌い、損得、善悪といったものは、人が勝手に作り上げた絵空事、あるように思えてただの妄想です。そこにとらわれてはなりません。

就職してなくてもいいのです。どんな生き方をしてもいいのです。人に迷惑をかけるようなワガママな生き方でなければ、はつらつと爽やかに生きる力を持っているはずです。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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履歴書にはやはり持病について書くべきでしたね。その上で採用してもらわないとトラブルの元になります。
でも気を取り直して、今年も就活を頑張ってください。
今年はちゃんと履歴書に書いて。
仕事内容も事務的な仕事を希望しましょう。

今はベビーブーム世代が大量に現役を引退しているので、就職し易い世代と言われています。見つけるのは大変かもしれませんが、きっと仕事はあると思います。あきらめないでください。

それにしても、確かに履歴書には不備がありましたが、そうだとしても、この時期になって内定を取り消すような、人を物としか見ていないような会社には行かなくてよかったかもしれませんよ。

仏教では、病は先生と言います。
病によって多くのことを学び、多くの周りの支えに気づき、生きている奇跡が有り難く思えるのです。それに、病の人の気持ちが心から分かるのです。寄り添ってあげられるのです。
それ故に、病にならない人は不幸だと仏教では言うのですね。
もっとも今はまだそう思えないでしょうが。

人生はまだこれからです。あなたにできることを見つけて頑張ってくださいね。
応援してます。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

こんばんは。お礼が遅くなって申し訳ありません。

邦元和尚、聖章和尚(この表現が間違ってたらすみません…)、感情そのままに書いた文を読み、ご回答頂けたこと深く感謝します。

仏教における病の言い回しや人間が作った妄想など、毎日毎日読ませていただき、とても励みになりました。

正直まだ受け止めきれていません。朝起きても食事をとっても外の天気を見ても寝ようとしても、苦しい想いはつのります。泣かない日はここ1週間ありませんでした。人生を諦めたい気持ちもまだあります。

でもそれだけ、幸せに生きたいと願っている本心があることに気付き、不思議と指2本ぐらいで崖から崩れ落ちるのを耐えています。

だからあと半年頑張りたいと思います。貯金や奨学金のことを考えると半年が勝負なので。

1ヶ月、1週間、下手したら明日、この世にはいないかもしれない。でもその前にまたここに来ようかなと思います。迷惑かもしれませんが。

こんなにも素敵な和尚様たちが、諦めて絶望の淵にいる私に声をかけて下さったのですから。頑張ります。この気持ちがこの文面で伝わるかは定かですが、本当に本当にありがとうございました。

もしご迷惑でなければいい報告を持って、お寺を見学できたらなと思っています。

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