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生きる意味が見いだせない場合

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

私の父について相談させていただきます。

私の父は6月で70歳になります。
先日心臓のバイパス手術をしました。
持病の糖尿病が悪化したり、目が緑内障になり見えなくなりつつ
あります。

現在術後のリハビリをしていますが、生きる気力をなくして
しまいました。
「家族に迷惑をかける」と。

車いすの状況ですが、リハビリ次第では今までどおりでおりとは
いきませんが、多少歩けるようになると思います。
目が悪くなったことが一番ショックなようです・・・。

ヘビースモーカーですが、この状況ですが、いやいや禁煙外来に
通っていますが、禁煙外来の先生と話しをしていても、だんだん
背中を見せて、全く先生のほうをみようとしません。

唯一の楽しみであったタバコはダメ、食べることが大好きであった
食事も病気のため制限があり、散歩も目が悪くて一人ではいけず、
もちろん、新聞も読めず、テレビも音だけしかわかない状況です。

担当医には状況を伝え、また、入院中ともあり、状況は共有できて
いますが、まだ様子をみましょうとのことでした。

仕事がない日はほぼ入院している父のそばにいますが、
最近は一人になりたいようで「帰れ」と言われてしまいます。

生きる気力がなくなってしまいました。
そばにいてくれるだけで家族は幸せなのですが。

アドバイスをいただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きる意味は生きている事実から促されてくる

お父様は大変お辛い状況ですね、りらっくま様もさぞご心配の事とお察しいたします。

誰よりもお父様ご自身が現状を受け止めきれていないのでしょう。手術からはまだ日が浅いでしょうか?今はまだ現実を嚙み締めている最中かもしれません。周りも辛いでしょうが、グッとこらえて辛抱強く寄り添おうとする姿勢が求められているのかもしれません。

さて、「生きる意味が見いだせない場合」とのことですが、我々は意味がわからないと何かをできないわけではありません。
例えばテレビを見る場合、私たちはテレビとは一体何なのか、どのようにその画面に映像が映し出され瞬時になめらかに映像が移り変わっていくのか、その仕組みや構造を論理的に理解していなくともテレビを見ることができます。そしてそのテレビを見て楽しいと感じることはテレビから受ける「はたらき」ですが、その「はたらき」を私たちはテレビの意味(仕組みや構造)を理解することでなく、「テレビを見る」ことによって受けています。

つまり、「生きる意味」をわかって生きているのではなく、「生きているという事実」から「生きる意味」という「はたらき」を私たちは感得していくのです。

この時、ある人に「テレビを見る」という行為を促すためには「テレビを見て楽しいと感じている」、つまり「テレビのはたらきを受けている」人の声が大きな役割を果たします。
「ほ~、そんなにいいのか、どれどれ」と実際に見てその人もまたテレビの「はたらき」の恩恵にあずかります。

ですので、今は周りの人が生かされている事実から受けているはたらきをお父様に伝え続けることが大きいのではないでしょうか。
「そばにいてくれるだけで家族は幸せ」と伝えることもその一つでしょう。「今日は外でこんなことがあって大変だったけど、お父さんの顔を見たらほっとしたわ」というのもその一つでしょう。

周りの人がいかにお父様を立たせようとも、お父様ご自身がその座より立つという意志を持たなければ「生きる意味」という「はたらき」には気づけないのかもしれません。

今は周りの人が願いをかけ続けるしかないのでしょう。

もし仏教に興味がおありでしたら、近頃は「法話CD」も多種多様なものが出ていると思います。そうしたものもお父様が「よし!」と立ち上がろうとする意志を促すきっかけにはなるかもしれません。

その時を共に待ちましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

法覚寺 吉武文法 様

お返事ありがとうございます。

そうですね。
本人が立ち上がるまで、周りの家族は待つしかありませんね。

頭では待つしかないとわかっているんです。
しかし、目の前の父を見ると
何かできないのかと考えてしまいます。

落ち込んでほとんど話さなくなり、人と話しをしても、
背中を向けてしまう父。
こんな姿を見るのははじめてです。

今までどおりにはならないこと、いつかは
父も受け入れてくれるのでしょうか。
それも待つしかないんですね。

父のことを考えながら、一方で自分のことを考えていることに
気が付きました。
何かしないと私が不安なんだと。

自分の中で気持ちの整理ができていません。
でもいただいたコメントを何度も読んで、自分の気持ちを
整理したいと思います。

ありがとうございます。

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