お坊さんの仕草やしきたりについて
こんにちは。
他愛もない質問なのですが、ずっと気になっていましたので思いきって質問します。
先日、京都の大谷本廟まで祖父の納骨をしに行ったのですが、広間のようなところで読経する際に、お坊さんが決まった足(右足か左足か失念しましたが…)で段差を上り下りしていました。
決まった足から踏み出す、など決まりごとがあるのでしょうか?
また何か重要な意味があるのでしょうか?
その他にも、なにか独特の仕草やしきたりがあるようでしたら、後学のために教えていただきたいです。
単なる好奇心から生まれた他愛もない質問で申し訳ないですが、お答えいただけると幸いです。
何卒宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
進左退右
大谷本廟へのご納骨誠にご苦労様でございました。
儀式中の所作においては決まり事というものがあるようです。恥ずかしながら私はそういうのに疎いのですが、真宗大谷派では基本的には「進左退右(しんさたいう)」として、前進は左足から、後退は右足からと聞いております。例外もあるようですが。
(なお、本願寺派さんも同じかはわかりませんが…)
おそらく由来もあるのでしょうし、動作をそろえて美しく魅せ、その場を荘厳するという意義もあるのでしょう。
学べば奥深い世界なのだろうなあ…とは思っています。関心を持っていただきありがとうございます。
決まりがあると思います
私が修行したお寺では、ご本尊様にお尻を向けないように考え、決まった方の足から入るということは言われました。左前方にご本尊がある場合、右足からとか。畳の歩き方とかもあります。茶道の世界でも、あると思います。
一種の瞑想
決まった動作には、おそらく色んな理由・背景があると思います。
物を大切にするため(畳のへりを踏まないなど)や、儀式を美しく見せるためや、感謝の気持ちを表すため、など。
経本を読む前に開くときや、読んだ後に閉じるときには、経本を両手で少し持ち上げて礼をします。
仏教への感謝と敬意を表すためだと思います。
いずれにせよ、動作が決まっている場合、間違えないように集中し、身体の隅々まで「念(気付き)」を入れながら動く必要があります。
最近ではマインドフルネスとか言われる状態です。
これは、仏教者にとってよい修行、瞑想の一種にもなるのです。
だから現代的には無駄な動作、無駄なしきたりかもしれませんが、集中して動くということ自体に意味があると思います。
質問者からのお礼
皆さまご回答ありがとうございございました。
さまざまな理由や意味などがあると知り、自分の無知を恥じると共にとても良い勉強になりました。
これからもお寺さんに関わることは多々あると思いますので、仕草ひとつひとつの意味など考えながら参拝しようと思います。
ご回答いただきました皆さまに感謝します!