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自分の子育てに自信がない。

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有り難し有り難し 13

4月から小3になる娘がおります。
子供への躾、子育てに全く自信が持てません。

私は発達障害を診断されており、身の周りの事がなかなか上手く出来ません。
特に家事が苦手で、料理も下手、整理整頓も苦手で掃除も上手に出来ません。全くやらない訳ではありませんが、やってるつもりでも全然綺麗になりません。いつも散らかった部屋で生活しています。
主人は私の障害に非常に理解ある人で、苦手な事を無理にやらなくても良いと言ってくれますし、部屋が散らかっていても怒る事はありません。
しかし、この状況が娘に与える影響がとても心配です。
うちは散らかっているのが当たり前で、私自身が整理整頓が出来ない引け目から、娘にも整頓整頓がちゃんと出来てなくてもあまり叱りません。また、正しい片付け方を教えることが出来ません。自分自身、どうすればちゃんと片付くのかが分からないのです。片付けの本などを読んで勉強しても、自分の家には応用出来ないです。
娘にも若干発達障害の症状がありますが、私程は酷くないように見受けられます。ちゃんとした躾をすれば、娘は真っ当な人生を歩めるのに、私のせいで家事が全くダメな女の子になるんじゃないか、と心配でなりません。

家事だけでなく、私は人間関係も苦手で、適切な距離感で長くお付き合いを続けるのが非常に難しく最初はよくてもだんだんと疎遠になってしまいます。気配りも下手で、察して動く、ということが苦手で言われないと気付かない事が多いです。
私のこういう面も、娘に悪影響を及ぼすのではないか、と心配してしまいます。

これまで仕事や人間関係で生きづらい思いをしてきたため、娘はそうならないようにしてあげたいのに、私自身が正しいやり方がわからないため教えてあげられず、苦しく思います。
どうやったら、娘にきちんとした躾が出来るでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

躾よりも大切なことを伝えればよいのです

引用返信にて
Q子供への躾、子育てに全く自信が持てません。
A(^<^)みんな誰でも初めてのコト。自信持ってる人なんていません。いるとしたら自分の押し付けをよかれと思って妄信してる人。
Q私は発達障害を診断され~上手く出来ません。
A障害と診断されても障害だとは思わなくていいと思います。昔の人は診断すらされなかった。それでもやれることをやっただけで問題が無い人が沢山いた。本当は今みたく医者の基準で診断されない方がよい場合もあるのです。自分が病気だ障害だなんて思いもしなくなるのですから。ネガティブな気持ちに支配されないことです。
Q特に家事が苦手で、料理も下手、整理整頓も苦手で掃除も生活しています。
A料理はクックパッド通りにやりゃいいんですよ。私はこの前クックパッドのレシピでワイフから美味しい美味しい言われました。整理整頓?したことありません。
ものがそこんに「ぼん」とあるだけ。騒ぐ人がいなけりゃ、問題なし。
Q主人は私の障害に~怒る事はありません。
A良いご主人だね旦那が喜ぶ㊙♡サービス沢山してあげてください。
Qしかし、この状況が娘に~自分の家には応用出来ないです。
Aモノを減らせばいいのです。
Q娘にも若干発達障害の症状が~心配でなりません。
Aあなたもちゃんと結婚できて子供にも恵まれました。友達の家に遊びに行かせることです。
Q家事だけでなく、私は人間関係も~しまいます。
Aそれはあなたが選択したことと受け止めればいいのです。人付き合いなんて要りますか?私も気の合う人間でも長時間一緒にいるのは苦手です。昨日も結婚式の二次会を早めに切り上げて天下一品で独りでチャーハン定食満喫でした。ラーメンだって友達になれます。だって、こんなウマいもの作った人が好きだから。
Qこれまで仕事~躾が出来るでしょうか。
A私もあなたも躾なんてなってないままに今日まできちんと生きてこれた!という事が最高の答えじゃないでしょうか。
そんなモン無くても生きてこれた。あなたの病気を理解して下さる素晴らし人と巡り合えた。
それより感謝でしょう。
躾よりもあなたが感謝の心をお嬢さんの前で形にする事で、お嬢さんが将来、旦那さんを大事にする。あなたが旦那さんを大事にすればあなたが旦那さんからより一層愛される。
親から愛されて、伴侶から愛される事よりも幸せな躾なんてこの世にあるのでしょうか。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

確かに、愛情と感謝の気持ちを形にすることが、子育ての本質なのかもしれません。
最近、いろいろなことが重なり、子育てに対してナーバスになっておりました。
これからも愛情を持って、子供と接していきたいと思います。
どうもありがとうございました。

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