霊は、どんな感じに見えるのでしょうか?
霊が見えるお坊さんに質問します。
人によって見え方は様々だと思いますが、霊は、どんな感じに見えますか?
また、見える方は、幼い頃からもう見えていたのでしょうか?
何かのきっかけで、見えるようになったのでしょうか?
私は、おじいさんのお葬式の夜に、疲れて家に帰って、自分の部屋でうたた寝してると、何かが肩に触れたような気がして、はっと目を覚ましました。そこで、天井を見上げると、人玉のような物を見ました。まぶしかったです。私は、この時初めて、これが霊なんだと確信しました。愛するおじいさんが、お別れの挨拶に私の部屋まで来てくれたのかと思い、ちょっとうれしかったです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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霊だと思いたいというカタチで観える
人間は「もの」を見る時、自分が知っている何かと「むすびつける働き」がある。
それが霊を生みだす。
そのものを「それ」として観させようとする。
肉眼で見るものは実物。
その直後に想起するのは思い。
思いを霊と呼んでいませんか。
それでも、いい思い出ならばそれは霊と呼んだままで別に誰も困りません。
いまも、そこに来ているんじゃないでしょうか。(^<^)
霊とは自身の中の、亡き人に対する心象作用のことです。
思いが強ければ強いほど、心の中でより真実味を以って作用します。
自分を知ることをお勧めします。
自分を知れば霊が何であるかおのずから分かります。
私はそこに居られることは感じるときはありますが
蓮実さんお祖父様のお通夜にてお別れが出来て良かったですね。私は直接目に見えるかたちでは霊の方々を見たことはないですが、音や気配にていらっしゃっているなと思うときはございます。ただ友人を通して霊の方と話したことはあり、その友人が連れてこられた往生を願う霊の方(友人話しによれば30代の女性でした)を供養しその方はお礼言われながら天に昇られ消えていったと一緒に供養を受けたその友人から聴きましたとの体験等はございます。もっともその友人もその後は霊の方々を見たくない話しかけられたくないとのことで目をふさぎ、耳をふさぎましてほとんど霊感は無くなりましたが。確かに霊感が強くても実生活では特別にこれといって得なことは無いと思います。ただ見えなくても聞こえなくても確かに救いを求める霊の方々は居られますから少しでも苦しみから解放されますよう供養は日々させていただいております。ご葬儀は亡くなられた方が安心して仏さまの世界に旅立たれることを願い、送る人の哀しみをを癒やしそのお別れを通して命を改めてお考えいただくものですので、故人とご遺族のお別れがあなたのようにしっかり出来たなら嬉しい限りです。お祖父様は今もあなたを見守られておられます。
質問者からのお礼
憲章 様
私の質問にとても丁寧に回答して下さいまして、本当にありがとうございました。
憲章様は、友人を通して霊の方と話された事があるのですね。私は、おじいさんが亡くなった夜にあれこそが、おじいさんの霊だと確認したので、2年前に亡くなったお父さんのお葬式の時にも、もしかして霊となって姿を見せてくれるかなと少し期待をしてしまいましたが、お父さんの時は、見なかったです。それを霊感の強い知り合いに話すと、「霊という物は、肉眼で見る物ではないよ、肌で感じる物なんだよ」と言われました。愛するおじいさんやお父さんの霊なら見てみたいなという思いはありますが、霊感が強くて見え過ぎても、また余計な物まで見えて苦労する事があるかもしれませんしね。存在する次元が違うので、直接話せないし、本当に気持ちが伝わっているのか不安になりますが、私が生きてる間は、精一杯供養してあげようと思います。
丹下 覚元 様
私の質問に丁寧に回答して下さって、本当にありがとうございました。
霊とは自身の中の、亡き人に対する心象作用の事なのですね。
もう存在する次元が違うので、直接話したり、姿を見る事は出来ないですが、愛するおじいさんもお父さんも、ずっとそばで見守ってくれてると信じたいです。