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友達の対応に悩んでいます

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

いつも丁寧な対応感謝申し上げます。

私の友人に、いわゆる「病んでる子」がいます。

自分の親に対して
・親に似て丈夫な子になってしまって風邪もひけなくて仕事も学校も休めない
・親に似て一重で、ニキビまみれの顔でブスで生きる価値がない
・何をしたってかわいくなれない。死んでやる

等と言っています。

携帯の電源を切って連絡が取れないようにして、「死んでやる」というメッセージを残したまま行方不明になったり(数時間後職場の方が自殺の名所でみつけたそうです)

とにかく死にたがりというか、何というか…

正直私からすれば、私は病気で7回入院したり、喘息のため学校に行けなかったり、体育の授業ができなかったり、中耳炎でプールに入れなかったり、授業に遅れてしまって泣きながら勉強した時も、夏休みに学校に通ったこともありました。

今は社会人になって、幼いころよりは丈夫になりましたが、今も喘息と中耳炎は治っていません。
病気の為、両親には治療費や入院費で迷惑をたくさんかけてしまいましたし、丈夫な友達がうらやましいです。

それを伝えても、病気になれてうらやましい。と言われてしまい…。

正直、どう接したらいいかわかりません。

母同士が同じ職場のため、縁を切ることは難しいのです。

私も、高校の時は自傷癖が治らず苦労したこともありました。
他人の目が気になって仕方がないこともありましたが
「今日すれ違った人の服の色を気にしたことがあるか」
「一番最初に会った人の靴の色を覚えているか」
と言われ、自分も他人を見ていないんだから他人もそんなに自分のことを見ていないと気付き、あまり人目を気にせず生きられるようになりました。

その話をしても、考え方を変えられていいね。と…

すごく難しいです…


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その人の問題はその人がその問題を治そうとしない限り治らない

あなたが気持ちを注ぎ過ぎればあなたも精神的に参っていしまうと思います。
それよりも、人間、自分の問題は自己責任ですから、その事を彼女自身がお気づきになられて自分で何とか変わっていこうという気持ちが怒らない限り、本当に変わることはありません。
hasunohaのサイトもお伝えされてみてはどうでしょうか。
美のカリスマはどんなおブスちゃんでも丹下のような武沙咦苦(ブサイク)でもそのパーツで最高のメイクやヘアメイクをします。
私ども僧侶は見た目は変えられませんが、心の中の有り方をより良き方向へ導くインストラクター、心のライザップです。
まず、あなたが変わることです。
あなたが、人生マエムキでヘコタレなくなると、彼女のネガティブ連呼にも「あはははh!(^<^)」じゃ、一緒においでっ♡と良い方向へ導く力が沸き、良いことを共有することが出来るようになるものです。
自分のものなんてありません。
あなたが見つけた良いものはどんどんシェアして、その人を元気づけてあげてください。
もっと、あなたも彼女にさらけ出して、あなたの事が心配でチカラになりたくてこのhasunohaにこんな感じで相談しちゃったよ、くらいの開け広げた感じを持つ事で彼女もあなたを頼りに少しづつ心を開いてくれるようになるでしょう。
ですが、人間は人間に依存しても向上はありません。
自分自身の明晰な心をよりどころとして、自分自身が救われる内容を持った教えを、自分自身んの脳内で効き目がある形で起動させることで安楽な心になれます。
自らを燈明とし、法を燈明とする。
私はもともとこの身心はポンコツ車だと思っていました。
ところがポンコツながらに最高に起動させる方法があるのです。
それが坐禅であり、仏道です。
坐禅は自分の想念から自分の心が自由になれます。
人間の世界のあらゆる苦しみの根源は自分が自分を知らないという事なのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

安穏寺 (天岑寺)
丹下 覚元 様
お礼のコメントが遅くなってしまい大変申し訳ありません。
先日、友人に会う機会がありましたのでhasunohaについて教えてきました。
正直、本当に私だけではどうしようもできないことが多かったので、覚元様のおっしゃるようにhasunohaを通して自分で相談してもらうという発想に至りませんでした。

私もhasunohaで助けられていると伝えたら、後日登録して相談してみると言っていました。
私も少し楽になれた気がします。
友達の悩みは友達の悩みであって、私の悩みではないので、私が悩んでも仕方がないですもんね。

本当にありがとうございました!
お礼のコメント、大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

安穏寺 (天岑寺)
丹下 覚元 様
お礼のコメントが遅くなってしまい大変申し訳ありません。
先日、友人に会う機会がありましたのでhasunohaについて教えてきました。
正直、本当に私だけではどうしようもできないことが多かったので、覚元様のおっしゃるようにhasunohaを通して自分で相談してもらうという発想に至りませんでした。

私もhasunohaで助けられていると伝えたら、後日登録して相談してみると言っていました。
私も少し楽になれた気がします。
友達の悩みは友達の悩みであって、私の悩みではないので、私が悩んでも仕方がないですもんね。

本当にありがとうございました!
お礼のコメント、大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

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