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何て答えたら、、、

回答数回答 4
有り難し有り難し 39

こんにちは。

私は、接客業をしています。
お客様は高齢の方が多いのですが、よく、足が悪いのがなかなか治らない。どうしたものか。など、言われますが、何てお答えしたら良いかうまく言葉をかけられません。
どうしたら、気持ちをやわらげられるか
軽はずみではないか、、考えますが見つかりません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

答えを求めているわけではないでしょう

とてもお優しいかたですね。
お話は、聞いて欲しくてしているだけだと思います。
あなたに痛みを無くして欲しいとか、いいアドバイスをもらいたいとかそういうことで、お話されているわけではないのです。

そうですか、大変ですね。お大事にしてくださいと、そのお気持ちを伝えるだけで、十分ですよ。
きっとそのお年寄りは救われていると思いますよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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答えるのではなく、応えていく

まるりんさん

自分の抱えたどうすることも出来ない問題を
誰かに聞いてもらいたいのではないかと思います。

答えではなく、応えてもらうことを
求めているのではないでしょうか。

こういう言葉を伝えたら
気持ちがやわらぐという方向で考えると
言葉が出てこなくなってしまうかもしれません。

頑張りましょう
大丈夫ですよ
仕方ないですよ
歳とるとみんなそうですよ等

相手に何かを伝えるのではなく

相手の感情的な言葉を
聞いて
同意して
問いかけていく

そうなんですか
今どのように
お感じになっているのですか

辛いと言ったら
辛いんですね

苦しいと言ったら
苦しいんですね

ただこれも
こういえば大丈夫ということにしてしまえば
同じことになってしまいます。

相手は答えを求めているのではなく
応えてほしいのでは
感情を受け止めてほしいのではと
頭の片隅に入れてみて下さい。

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有り難し
おきもち

お寺や神社でお守りを買ってきてあげてください

相手の苦しむ気持ちに応えてあげたいというのは、すばらしい精神ですね。
その人が求めているものは「ことば」や「こたえ」ばかりではないかもしれません。
たとえば、このサイトにも純粋に仏教、仏道に関する問いを求めてこられる方もおられますが、そういう方にはこちらもスッキリ答えられるものです。ですが、中には単に寂しさを分かってほしい、同調してほしい、励ましてほしいだけの方、この場で質問という形で言ってスッキリの方もおられます。
本当に自分に寄り添ってくれて、真摯に向き合ってくれているかどうかが相手の苦しみを取り除くための大きなありかたかもしれません。
たとえ治らない難病であっても「この人はわたしを受け止めてくれている、安心して過ごすことができる」そういう寄り添いの気持や同調する心、それによって生ぜられる行為こそが慈悲の一面です。そのまま見届けてあえることも慈悲の一面。いい助言をするばかりではなく、手を添えて一緒に行動してあげることも慈悲。
決して治るかどうかは分からないとしても、その方が求めている気持ちに寄り添ってあげてください。私には、その気持ちが足りないので、こういった言葉しか差し上げられませんが。
その方が求めているものを見極めることが大切かと思います。
A・その人がこれをする事で治ることができる情報を提供する情報アドバイザー派。
B・その人の寂しさを理解して同調してあげるシンパシー派。
C・その人と共に行動してあげる行動ボランティア派。
D・その人自身の精神的成長の為にあえて見守るという親派。
日本の伝統の宮大工さんの世界では敢えてあれこれ教えないと言います。
結局、本人が自分をやっているうちは教えても聞く耳が無いのです。修行道場も尼僧堂も参禅会も、多くは皆教わりには来ない。みな「自分をやりに来る」のです。
本当に教えてもらいたいと思うまで、そっとしておくのだそうです。
私財をなげうってまででもその方の力になりたいと思ったらまず、お守りを買ってきてあげてください。心を開いて本当に聞いてきたら、本当に寄り添うように聞いてあげて、励ましになる希望的な情報をお伝えしてあげてください。

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有り難し
おきもち

付き合ってくれて有り難うだね。

私たちの職業も高齢者の方とよくお話をします。

参考になるかどうかは解りませんが、私の場合、よくこんな答え方をします。

痛いんだよねぇ・・
たくさん使ってきたからね。
長い間一生懸命に働いてきた証拠だよね。
でも機械みたいに油を差すワケにはいかないからねぇ。
油も差さずによく付き合ってくれてるよね。
機械ならせいぜい2~30年、80年ももってはくれないもんね。
たくさん働いてきたから、そろそろ足が音を上げてるのかもしれないね。
親にもらった身体を自分の自由に使ってるのに、よく今まで無理を聞いてくれてるよね。
ちゃんと足にお礼を言ってる?
せっかく付き合ってくれてるのに「痛い痛い」って文句ばかり言ってたらかわいそうだよ。
今までたくさん無理を聞いてくれたんだから、お風呂に入った時にでも、しっかり擦ってあげなきゃね。
「今日も一日ありがとう。付き合ってくれてありがとう。」って。
そしたらきっと、もう少し音を上げずに付き合ってくれるかもしれないよ。

・・・って。

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おきもち

「コミュニケーションの悩み」問答一覧

伝えるのが真心か、伝えないのが賢さか

怪我をしてしまい、治療院へ約2ヶ月ほど前からお世話になりました。 その院は門前の仲見世通りにあり、初夏に新しくできたばかりでした。 怪我した当初は、適切な処置で仕事を休むことなく大変良かったのですが… 一向に治療が終わる気配もなく、次、また次の予約で、施術や接遇マナーについても少々気になる点はありました。 例えば、相手に接している間に業務連絡や他の患者さんの所へ行くなど、その場を離れる時は必ず手を離す前にひと声かける、一連の動作の中で、なでる、トントンとたたくなど、患者の心身の緊張を緩めるための手の置き方があるのですが、元々痛めた部分を拳で普通に叩いて響いたり、単純に重くのしかかるだけの雑に感じられる置き方、などの違和感です。 治療学を学びに学会へ参加したり、手技を生業としていた自分の中で経験者として備わった常識との隔たりに、日に日に不信が膨らみました。 ある日、施術中に「今度、ハロウィンの仮装をするんです」と他の患者さんへ話す声が耳に入りました。 怪我直後は応急処置に助けられた反面、ずっと長々通ううちに質が薄れていき、施術や接遇マナーに疑問が生じていた矢先でしたので ハロウィンの仮装をした治療家に、お預けするのは気が進まず、理由は伏せて「卒業」を告げてきました。 大変残念そうな感じでしたが、寺院や大きな神社のある門前町の仲見世に院を構え「地域の人々に貢献する」という建前と、施術の質が伴わないこと、治療行為と仮装(仕事と遊びをごちゃまぜにする)が受け入れ難かったこと 真心が手から伝わらなかったこと それらを伝えずに去ったこと、それで良かったのか、時々心に浮かびます。 年代は20代前半の方ばかりで、患者さんを集める能力や、予約に繋げるノウハウがあることはわかります。 ただ、肝心の施術の質が…(あくまで私の感覚ですが) 繁忙してくると何か大切なものを忘れてしまう…、応答もマニュアルがあることが察せられますし、一生懸命なのはわかりますが 驕れる者は久しからずに思えてなりません。 (クリスマスケーキを売るために、商売人がサンタの格好をするのはわかるのです) プロフィールにも書いた通り、志もあるので、今回のことは学びに繋げたいと思います。 下手にクレーマーになるよりは、それで賢明な選択だった、大人になった、そうけじめをつけたいです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる

お世話になっております。 自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。 私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。 私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。 そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。 私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 7
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せっかちな老人

私の仕事場の老人ホームに、認知症ではあるのですが、食事やトイレ、歩行も自分でできる方です。女性です。先日業者による床清掃があり、その方にもちゃんと説明をして、3時まで終わらない事も伝え、それまでは別のフロアーに移る事も伝え、本人もわかったと返事をくださり、一緒にフロアーを移りました。すると1分もしないうちに、まだですか?と尋ねてくるので、同じ事を説明し、待ってもらいましたが、また、まだですか?と尋ねてこられ、今度は少し休みたいと言うので、自分の部屋ではないけれど、誰も使っていない部屋を用意したのですが、自分の部屋じゃないと騒ぎだし、落ち着かなくなったので、1人の職員が老人と一緒にその場を離れ、違う場所に歌ってもらい、そこでもまだですか?横になりたいと、騒ぎだし、職員も手におえないほどになってしまい、1時間早く床掃除も終わり、老人を自分のフロアーにもどし、お茶とおやつを食べていただき、なんとか落ち着いてもらいました。そこへ、私があまりにも1人で騒いでいたのを知っていたので、老人にどうして、静かに待ってもらえなかったのですか?みんな静かに待っていたんですよ、と伝えると、じゃ私が悪かったのねと言うので、思わずうんと言ってしまいました。すると、わかったよと大声を出し私に手を出してきたのです。あなたが1人で騒いだ事によって、1人の職員が、休憩も入らず、ずっと一緒にいてくれたんですよと伝えあまりわがまま言わないで下さいと伝えると、私がわがままなの?と言い、そうだよともつたえました。みんなと一緒に静かに待っていてくれればこんな事にならなかった事も伝え、迷惑をかけた職員に操ってきました。なので、ちゃんと謝ってくれて、ありがとうねと言葉をかけると、あんたはあっちいっててといわれ、私の事をすごい目でにらんでくるのです。その老人はこっちからの話しを理解できない人ではないし、せっかちな所、わがままを言っている事に気がついてほしかったし、少しでもいいので、そういう所を治してほしかったので、ちょっときつめに言ってしまいました。普段は職員に甘えてくるし、他人には嫉妬してくるし、自分の言った事をすぐにやってほしい人なので、なんでもハイハイと聞いてしまった所もあるので、ちょっと甘やかしてしまった所もあり、自分のわがままを全部聞いてもらえると思ってしまったようでせっかち待てないわがまま対処対策願います

有り難し有り難し 25
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ