皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

因果応報

因果応報という事に納得出来ない時が多々あります。「情けは人の為ならず」、と言うように人に優しくしてあげると、その情けを自分も同じように得る事になる。

もう一つは、人を苦しめる事は、自分自身を苦しめる結果になるという意味だと思います。

でも、この法則の元で世の中が運行されてるのなら、戦争で亡くなる人、なんの罪もないのに殺される人、病気にかかって早死にする人、
この世の中理不尽な事が多過ぎます。神様って、本当に不公平だなって思ってしまいます。

どういう境遇に生まれつくかも、前世での行いの結果というのでしょうか?

それでも、神様を信じて、私たちは、決められた運命を全うするしかないのでしょうか?

お坊様方は、これについて、どのように思われますか?

ご回答よろしくお願い致します。

心構え・生きる智慧
有り難し 22
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

世の中理不尽で不公平だ。うん、知ってる(笑)

人生、自分の思い通りになることなんてそれほど多くはありません。
自分のこの身体だって、もっとイケメンに産まれてたら、イケメンでなくとも、もっと秀でた才能があったら、今より違う人生だったかもしれないし。
けれどどんなイケメンでも天才でも、時間の経過とともに老いてゆくことは止められません。
どんな人でも、刻一刻と死の瞬間が近づいているのは一緒。
人間皆いつかは死ぬんだ、これほどの理不尽はありませんよね。
この世界は様々な「因」が色々な「縁」によって繋がり、様々な結果が生じます。
どのような結果だとしても、私たちはそれを受け入れるしかない、こんなのやだ!と、拒否することはできません。
だけどそんなのいちいち理不尽だ!不公平だ!と、嘆いていてもしかたがないのです。

思い通りにならないことを、思い通りにしたいと執着するところから「苦」は生まれます。
「苦」の原因は何かと考えるところから仏教は始まりました。
結果「苦」を滅するためには「正しく生きる」ことを実践せよとお釈迦様は説かれました。
これを四諦・八正道といいます、お時間のある時に調べてみて下さい。
「因果応報」という考え方も「正しく生きる」ための心がけのひとつではないかと私は考えます。

この長い長い時の流れの中では、人ひとりの人生なんて、夜空に一瞬だけ光る稲妻のようなもの。
蓮実さんは40代ということで、平均寿命で考えればようやく半分くらいですか。
長いようで短い残りの人生、どのように生きますか?

私は明日死んでも悔いはありません、しかし、100歳まで生きたってかまわない。
思い通りにならないこともまた、楽しんで生きればいい。

回答僧

願誉浄史

過去の自分が悪かったと思えたら幸せ

私は、因果応報の思想が好きです。
なぜなら、どんな不幸にみまわれても、「これもはるか昔からの輪廻転生の中で、自分がした行いが悪かったからだろう」と受け止められたら、心が落ち着き、他人に八つ当たりしなくてすむからです。
因果応報を信じていない人の多くは、何か嫌なことがあると、誰か悪者をみつけてそいつのせいだと決めないと納得したがらないのです。
つまり、因果応報を信じていない人には、他人を悪者にしないと不幸を受け止められない人が多いのです。
そうなると、悪者認定された他人がこの世にいるかぎり憎しみのストレスから解放されません。
仏教徒の場合は、他人を憎むことなく、ただ過去の自分が悪かったからだな、これから気をつけよう、で完結して引きずらないのです。
引きずらないならストレスもないのです。
例えば自然災害被害も、自然災害が起きる地球の人間に生まれたこと自体が自分の業(カルマ)です。天界や極楽浄土などに生まれていたら災害もなかったでしょうし。
なお、不幸は神様のせいでもありません。
仏教徒は神様に支配されてはいませんから。
ただ単に自分のせい、今後は気をつけて善い行いをしよう、で完結(妄想雑念を引きずらない)です。

因縁論

蓮実様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

六道のいずれに輪廻しても迷い苦しみの世界であることには、皆あまり変わりありません。

拙生もこれまでの輪廻の中で、幾度となく四苦八苦を繰り返してきたことでしょう・・

もちろん、輪廻にあるということは、輪廻する因縁(原因と条件)があるということです。

その輪廻する因縁を変えて、解脱して悟りへと至るための方法をお説きになられましたのが、釈尊でございます。

その方法が、林浩道様もおっしゃられています四諦・八正道などを代表とする教えでございます。

仏教は、運命や宿命とか、最初から決まっているモノ・コトの実体は無いとして、常見を退けることになり、それよりも、因縁論を重視致します。

善い結果へ向けて、仏教を拠りどころとして今生でも善き因縁にできる限り努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

林 浩道 様

たくさんの質問が殺到する中で、私の質問に丁寧にご回答して下さいまして、本当にありがとうございました。

林 浩道 様のおっしゃる通り、持って生まれた境遇というのは、受け入れるしかないのですね。それを恨んでいじけても仕方ないですし、まだ生きてるだけでも幸せだと思わないといけないような気がします。亡き祖父から聞いた話ですが、人間に生まれるというのは、すごい確率なのだと。生まれてきた時点で奇跡なので、どんな苦難に見舞われても、この尊い命を大切にしないといけないと思います。

仏教で四苦八苦という言葉はよく聞きますが、四諦・八正道という言葉は、初めて聞きました。また検索して、勉強しておきます。

いつまで生きさせてもらえるのかわかりませんが、いつ死んでも悔いが残らないように、毎日を精一杯生きたいと思います。

川口 英俊 様

こんにちは。たくさんの質問が殺到する中で、いつも丁寧な回答をして下さって、本当に感謝しております。

六道のいずれに輪廻しても、迷い苦しみの世界からは、解放されないという事ですね。

輪廻する因縁があるという事なのですね。この世のすべての物事が縁によって存在して、縁によって移り変わったり、滅びたりするのですね。

釈尊とは、お釈迦様の事ですよね。仏教は、運命論を否定するという事がわかりました。私たちの行為によって決まるというのがお釈迦様の教えなのですね。

お釈迦様が解かれた悟りへと至るための方法、四諦・八正道の教えについては、また読んで勉強しておきます。

願誉浄史 様

どんな不幸にみまわれても、「これもはるか昔からの輪廻転生の中で、自分がした行いが悪かったからだろう」と受け止められたら、安心できるのですけどね。

因果応報を全く信じてない訳ではないのですが、そう思えない事がほとんどです。殺人やいじめ、差別、こういった苦しみの原因は、前世で同じ事を他人にしてる事に由来している事になるんですよね。でも、この因果応報が今生に返ってくることで、魂は、殺人や差別、いじめられる人の苦しみを体験して学ぶという事になるのでしょうか。仏教徒は神様に支配されていないという事がここのサイトに来てよくわかりました。

願誉浄史 様

お礼を書くのを忘れてしまいましたので、追記します。たくさんの質問が殺到する中で、丁寧に回答して下さって、ありがとうございました。またご縁がありましたら、よろしくお願い致します。

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