夫の望みは死ぬこと
私の夫の望みは自殺でも他殺でもなく、痛みも苦しみもなく、一刻も早く死ぬことです。生きていくのが辛く苦しいため、早く死が訪れるのを願いながら、日々を過ごしています。
夫は二年前、あることで入院したのですが、その際意識不明の状態になりました。その状態になるまでは、吐き気が止まらず、とても苦しかったそうなのですが、意識不明になった時は、なにも分からずふっと意識を失っただけだそうです。
後で、状況を知り、もしかしたら、その時自分の望んでいた通りの形で死ねたかもしれない、と思うようになりました。
あれから、二年が経ちますが、その後の体調も思わしくなく、やはり辛く生きづらい日々のようです。
ただ、この二年は、あの時に死ねたかも、あの時に死んでいれば、今こんなに苦しい思いをしなくてもよかったのに、という思いが新たに生まれてより苦しいそうです。
意識喪失の際、近くに私がいたのですが、常々死にたいと言っていた夫のことを思ったら、すぐに周りに知らせるのではなく、席をはずすなり、してくれるべきなのではなかったのか。死ねたかもしれないものを、この世に引き戻して逆に殺人だ。と言います。
どうしても、あの時に死ねたかもしれないのに…という思いが離れず、私に対しても恨む気持ちが消えないそうです。
今私たちは、今後のことを考えるべく話し合いをしているのですが、私が夫にどうしたいのかを聞くと、とにかくあの時に戻してくれ、それだけが望みだ、他は何も選びたくないし、そもそも生きていたくないのだからの一本槍なのです。
ただ、実際に時間は戻せないわけで、そんな夫に対して、私はどうしたらよいのでしょう?
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生はご縁のたまもの、ならば死も同じ
なんとまぁ、ぜいたくなダンナさんですね。
世の中には生きたくても生きられない命がごまんと居るのにね。
ダンナさんが今生きているのは、そういうご縁に恵まれたからで、本来ならば今自分を生かしてくれているあらゆるものに感謝すべき。
そういう気持ちを持てずに、ともぞうさんに八つ当たりするのは、それこそバチあたりですな。
正岡子規という詩人がいました、子規は若くして結核を患い、その後脊椎カリエスという病気を発症して寝たきりとなりました。
激しい痛みで起き上がることもできなくなってしまいましたが、そこで「病床六尺」という随筆を書きました。
六尺の布団が自分の世界のすべてだ、という意味があるそうです、不治の病にたおれた「病牀六尺」の世界で、果物や草花の写生を楽しむ一方、シッポク談議、子どもの教育論と話題は多岐にわたり、死の2日前まで書き続けたそうです。
その中の一節。(うろ覚えなので細かい言い回しは違っているかも><)
「私はこれまで、禅のさとりとはいかなる場合にも平気で死ぬことだと思っていた、しかしそれは間違いで、禅のさとりとは、いかなる場合でも平気で生きることだった」
死んで楽になりたいという思いに執着してしまったダンナを変えるのは難しい事かもしれませんが、健康だから幸せ、病気だから不幸だと決めつけてしまうのは間違いです。
ちなみに子規というのはホトトギスの別名です。
ホトトギスはくちばしの内側が赤く、しょっちゅう血を吐いていた自分の姿に重ねて、子規というペンネ-ムをつけたのだそう。
不治の病になった自身の不幸を嘆くのではなく、精一杯生きていることを楽しんだのだと思います。
どうにもならないことは、どうにもできないんだ。
と、本人が納得するまで付き合うしか無いのかもしれません。
あなたは何も悪くないのだから、負い目に感じる必要は無し。
心配しなくても、人は皆いつか必ず死にます。
それもまたご縁のたまもの。
そう念じて、いま命があることに感謝してほしいものです。