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これからの、老後の人生設計

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有り難し有り難し 21

これまで、何度か、いろいろ質問させて頂き、アドバイス、助言を頂き、感謝してます。
今回は、ふと、独りの時間になった時に、今後の、人生、老後の人生について、いろいろ、考えるように成りました。
今は、四人の孫達(間もなく。5人目の孫、誕生)に囲まれて、幸せを、実感、感謝しつつ、毎日を、過ごして、頑張ってます。
でも、孫達も、日々、成長する事を、願いつつも、思春期にも、なってくると、友達、又は、異性に夢中になっていくと、思うと、自分自身の、これからの、人生、老後の事も、真剣に、考えて、いかなければと、よく、思うようになりました。
よく、廻りの人からは、「貴方は、沢山の孫達に囲まれて、幸せだよね。」と言われる事が有ります。
確かに、端から見れば、幸せそうに、見えるでしょう。
でも、自分の心の中では、何か、葛藤が、日々、有るのも事実です。
これ以上の幸せを、望んでは、贅沢でしょうか?甘え、自分自身に対する、エゴでしかないのでしょうか?
今も、次女家族と、同居し、将来は、「父さん、新居も構えたら、父さんの部屋も、ちゃんと作るから、一緒に住もうね。」と言ってくれてます。感謝の気持ちで、いっぱいです。
しかし、今後の人生を、廻りに家族も居て、独りで無いのは、良く理解してる、つもりですが、不安だし、自分自身の幸せも、掴みたい気持ちも事実です。
今となって、亡き妻が、緩和ケアに居る頃、ふと、夜中に、「父さん、私の棺の中に、以前、若い頃、付き合ってた頃にしていた、交換日記が、タンスの奥に、有るから、一緒に持って行きたいから、忘れず、入れてね。」と言った事の意味を、最近、良く、考えるようになりました。
未だに、その答えが、見つからずに、居ます。
長文に成りましたが、今後の自分自身の、人生、老後について、善きアドバイス、助言を頂ければ、幸いです。
宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

林住期を生きる

けん様

あなたの質問を読んでいたら、古代インドの理想的な人生観である「四住期」が思い浮かびました。

「学生期(がくしょうき)」 将来に備えて、学問、技術、教養などを身につける時期。「家住期(かじゅうき)」 勉学や訓練を終えて、職業を持ち家庭を営む時期。「林住期(りんじゅうき)」 その勤めも果たし、自然に向き直って自分自身の人生を静かに見つめる時期。「遊行期(ゆぎょうき)」 家を捨て死に場所を求める放浪と祈りの余生の時期。現代のライフサイクルだと「学生期」0~24歳 「家住機」  25~49歳 「林住期」50~74歳 「遊行期」75~90歳 に相当します。

50代は「林住期」に相当しますね。「老い」を意識したときに、自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期とも言われています。それまでは家族を守り、現実を生きることに必死で考える余裕もなかったからです。だから林住期を生きる人間は、まず独りになることが必要です。そして世俗を生きるために身につけてしまった「しがらみ」など捨てて簡素化していきます。断捨離です。ほんとうに必要なモノ、大事なコトは何かを見つめます。世間的な価値基準から脱却します。

人から見れば幸せな状況であっても、それは世俗を生きるためのものです。林住期を生きるあなたが真に望むものではないのかもしれません。娘さんがあなたを思って、いろいろしてくれても、満たされないのは求めるものが別次元のものだからでしょうか。感謝は溢れるほどあっても、それが存在を満たす幸福にはならない、それはエゴでなく人間のもつ本質的な希求のためではないかと思います。 贅沢でもなく、健全で自然なことではないかと思います。

あなたにとっての幸せはなんでしょうか?いま大切にしたいことはなんですか?常識的な価値基準や父親という枠組みから離れて考えてみてください。自由になることは悪いことではありません。新たなパートナーとの出会いもあっていいことです。終末期にあった奥様の言葉の意味も、価値や時空から解放された思索のなかで答えがみつかるかもしれません。

良き社会人として、家庭人としてきちんと務めを果たしてきたから、今の幸せがあります。でもこれからは、自分自身を生きるときです。よき林住期を過ごし、よき遊行期へと旅を続けていきましょう。林住期を生きる仲間として応援しています。仙如

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有り難し
おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなもので...
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感謝、感謝(>人<)

若い頃、厳しい修行にあけくれ、ついに悟りを開いた一休さんも、死の間際に「死にとうない」と、ぽろりとこぼしたとか。

人間、死に対する不安はどこまでもつきまといます。
平温な心のまま死を迎えられたら、こんなに幸せなことはないでしょう。

けれど現実は、日一日と迫ってくるその瞬間に、漠然とした不安を感じながら今を生きるしかないのです。
だからこそ、今ある幸せと、生かされている命に感謝して、今この瞬間を大切に生ききりましょう。
無駄なく自分の命を使い切ってしまいたいものです。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

有り難う御座いました。
今、思えば、亡き妻の、墓前にも、「感謝」と言う二文字を、二人の娘とも、相談して、刻んでいる事を、思い出しました。
家族に感謝、亡き妻に感謝し、今一度、身近な、人に感謝しながら、今後の人生、これからな老後の人生を、邁進してまいります。
家族、皆の幸せあっての、自分自身の幸せだと、言う思いを常に、心に刻んで、亡き妻の分まで、健康に気を配り、長生きしたいと思います。

「老い・老後」問答一覧

老いること衰えることが怖くて生きたくない

私の長所は努力できることです。 昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力してきました。勉強も仕事も美容も、目標を設定し、達成するまでの方法を考え、いくつもの目標を達成してきました。 目標に向かって努力する自分が好きですし、達成感は人生の喜びでした。 しかし、40代になってからうまくいきません。脳や体、肌や髪の毛などがどんどん衰えてきます。仕事はデスクワークですが、目や脳の衰えから以前より効率が落ちてきました。気力もどんどんなくなり、何をしても疲れやすくつまらないです。 やりたいことはやってきましたし、目標や夢もかなったので、今現在やりたいことが特にありません。 そしてこれから脳や体がどんどん衰え、がんばることもできない、努力によって磨いてきた女性としての美しさも失われていくことにむなしさを感じています。 肌がしわしわになり、白髪になり、髪もぱさぱさになり、記憶力も体力もどんどん衰えていく。 「昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力」することが楽しかった私には苦痛の日々です。今まで楽しかったことや達成感を得たことがたくさんありました。そんな楽しい日々はもう来ないでしょう。 はっきり言って、老いることでよくなることは本当に少ない気がしています。どんどんダメになるくらいなら人生終わった方がましです。 これからどんどん衰えていく自分をどうとらえ、何を目指して生きていけばいいでしょうか。自分勝手な悩みではありますが、日々真剣に悩んでいますので、助言をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 30
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老い・死が本当に怖い

老いること、死ぬことが本当に怖いです。 言葉にしにくいことが多く、複雑かもしれませんごめんなさい。 老いについて ふと寝る前や、勉強中に、自分の将来を考えてしまい、年老いたことを考えると辛い気持ちになります。言葉では表現しにくいのですが、先行き見えない不安感などが強くて、将来どうしているか、社会がどうなっているかなどを考えるのが怖く、特に両親や祖父母のことを考えると余計に辛くなります。今まで過ごして来た時間、これから過ごすわからない時間を考えると言いようのない恐怖と無力感に苛まれ、どうしようもなくなります。対処法を教えていただきたいです。 死について 死ぬのが怖いです。自分が死ぬ時、周りにいる人のことを考えたり、死んだ後の自分の体、意識のことを考えた時、どうしても怖くなります。自分のこの世界が「無くなる」ことを考えると、本当に恐ろしく眠れません。自分がこうやって質問しているように、なんでもない1日がなくなり、目が覚めないとはどういうことなのか、2度とこの世界に帰れないとはどういうことなのかものすごく怖いです。漫画の世界のように、脳みそだけが夢を見続けるような、そんな世界ならまだいいと思ってしまい、今の世界が無くなり、自分が認知できなくなることが怖いです。 自分が歳をとって行くこと、弱って行くこと、そして死んでいくこと。何もわからないからこそすごく恐ろしく、辛いです。自分の将来を考えることも、今日したことを振り返るのも辛く、もうどうすればいいかわからないです。曖昧な質問で悪いのですが答えていただきたいです。それから、10代でこの疑問に苦しめられてるから、今後の将来、もっと苦しむのではないか、と思ってしまいます。その対処法も教えていただきたいです。

有り難し有り難し 3
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年を取るのが怖いです

最近 年を取るのが怖いです。 私は、まだ十分に若いと言う年齢ですが、もう既に怖いです。 子供時代は、早く大人になりたいとか、早く30歳になりたいとか、早く60歳になりたい、80歳になりたいなど早く年を取りたかったです。でも最近は、年を取ることにとても恐怖を感じていて、毎日その事を考えてしまいます。 10代の頃は、早く30歳になりたいとか、オーストリア皇帝カール1世の享年を越えたいなど思う気持ちがありました。 私が年をとることが怖い理由は、今の自分が変わってしまうかもいう恐怖です。その事を毎日考えています。とても苦しいです。誰でも年はとるものということは分かっているが、それでも怖いです。 年を取るってメリットないのですか? 私の好きなオーストリア皇帝カール1世の年齢を思い出します。カール1世は1922年に34歳という若さで亡くなりました。カール1世は、亡くなった後は年を取らなかったのですか? 過去を忘れられないことも苦しいです。周りの人は過去のことを忘れて、前に向かって歩いているのに…過去のことをいまだに引きずっている自分がなんか嫌悪感を感じます。 過去は忘れること、過去をやり直すことも出来ないことも分かっていますが、過去を忘れたくても、成功している人や、キラキラしている人を見ると、過去の失敗が思い出されます。また過去の失敗など考えます。過去を忘れたくても忘れられないです。過去を忘れて、前に向かっているが羨ましいです。 過去を忘れられないことで、母親とも険悪感になりました。 年を取る恐怖と、過去を忘れられないことが一番の今の自分にとっては苦しいです。 オーストリア皇帝カール1世は、亡くなった後も年を取らないのですか? つまりカール1世は34歳のままですか?

有り難し有り難し 2
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若さを無駄にするのが怖いです

率直な悩みで大変お恥ずかしいのですが、私は何もせずに若さを失うことへの恐怖があります。 若いっていいね・羨ましい・大事にしてねなど今までいろんな大人に言われて間に受けたり、InstagramやSNSで、思う存分お洒落や旅行、遊びを楽しんでいる人たちや、同い年なのに外国語が話せたりダンスができたりといった、能力や技術が優れている人を毎日のように見て、いつか若い状態はなくなってしまうから、やりたいことがあるなら今やらなきゃ、って、それが強迫観念のようになってしまいました。 何歳までにこの実績を積まなければ、資格を取ったり英語を話せるようにならなければ、〇〇ができるのは何歳までだから今やらなければ、可愛い服を着られるのは若いうちしかできない、など、上げたらキリがないです。 目標が高すぎて、そして多すぎて、頑張ろうとすると思考停止・無気力になってしまい辛いです。 そしていくらこうなりたいと思ってもそこに到達するまでには時間がかかると思います。それでも執着してしまいます。この執着は意味のないものでしょうか。もしそうだとしたら手放して、毎日をもっと気楽に生きたいです。 幼稚で未熟な質問ですみません。

有り難し有り難し 8
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老いること

先日50才になりました。歳を重ねる事は素晴らしい事だ。と考えている私です。子供も成長し寂しくなり体も不調が出てきて不安ですが、気持ちを切り替え「歳を重ねる事は恥かしくもなく素晴らしい事」と考えるようにしようと思っていました。 先程、父親(81才)と話しをしていたら「今月の連休にでも遊びに行こうかなあと思ってる。これが最後だと考えて行く。」と。この一言で私凄く心が寂しくなりました。悲しくなりました。50才にもなってお恥ずかしいですが泣きそうになるくらい寂しくなりました。当たり前の事なんです。母も脳梗塞になり早4年。運良く早期発見だったので後遺症もなく元気です。が年齢も年齢他の病気にもかかり私の家まで来るのは年老いた2人にしたら大変でしょう。分かるのですが、「これが最後」との言葉が…それと同時に年老いていく悲しさ。私は素晴らしい事と考えていましたが自分の事ではなくなると、年老いていく事の寂しさ悲しさ。人間歳をとることは一体どういう事?耳も聞こえなくなる。足腰も弱くなる。体は衰えていく。これの何処が素晴らしいの?悲しくないの?分からなくなってきました。寿命があるのは分かるんですよ。でも年老いる意味を教えてほしいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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高齢者が嫌いになる

今、介護施設で働いてます。働き始めた頃はそうでもなかったのですが、最近では高齢者にわがままで憎らしいような怒りの感情を抱いてしまいます。本来福祉を提供する立場は対等であるはずですが、施設の高齢者は家族から離れた寂しさ故に、理不尽な要求を続ける方が多く私は奴隷か何かに思われてるのではと否定的な気持ちが抑えられません。また私がそうやって必死に自分を抑えて仕事をすればするほど、何でも我慢できる職員と勘違いするのか、さらに要求がエスカレートします。トイレに行った数分後にトイレが出ると言い連れて行ったものの何もせず早く寝せてよと言うとか。ご飯を介助で食べる方が職員を好き嫌いで判断して私の時は口すら開けてくれないとか。こんな一部では収まらない程日々の訴えに対応してます。これはもしかしたら相手の立場で考えたら何か理由があるのかもしれないが、高齢者だし、人の気持ちがわからないのかもしれないし自分のことさえ良ければいいとか考えてるのでは?と不信な心が育ってます。それが高齢者というものであってもこんな不信感にさいなまれて仕事行くので、相手と関わりたくもなくなるし、最低限の仕事をこなせばいいと思うのですが、そんなこちらの苦悩なんてわかるはずもないので、いつもの様にわがままを繰り返します。この怒りや不信感はどこに持っていけばいいのかわからないです。私自身、お婆ちゃんと一緒に住んでいたとか、前からお年寄りが好きとかいうたいした動機もなく夜間福祉大学の実習で言った職場に就職したしこんな気持ちでいるならこの先も仕事は上手くいかないだろうと思います。大学自体も親の勧めでした。この状況なら離れた方がお互いのためですよね。もちろん、それを見てくださり、あなたのお世話は嬉しいよとか、大変ねとか言ってくださるほんのひと握りの優しい高齢者もいます。ただ8割が人の気持ちも知らずあれしてこれしてよという人ばかりです。寂しい、死の恐怖がある、人に縋りつきたいを理解したいと言う気持ちもあるが、それは相手の気持ちでありそれをわがままに代えてこちらを振り回すのは違うのではと一人モヤモヤしてて、最近はあまり寝ることもできません。

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母親の老いが怖いです

こんにちは、お縋りさせてください。 私は37歳で、母は77歳です。 父は私が20代に亡くなりました。 一人っ子です。 生前、父はアルコール依存症を患っており、父だけでなく、母も私も苦しみました。 家族三人で父の病を受け入れ、お酒をのんだらいけんから、とやっと笑い話にできるようになったのは、父が死ぬ一年前でした。 それまで、母と私は父の病に怯えて、ずっと励まし合い続け、父が死んだ事も二人で乗り越えました。 父が亡くなった後、四十九日頃、当時の上司に「もう立ち直ったでしょう」と言われて、普通の人はそれくらいで立ち直るものなのか、と驚いた記憶があります。 こんな苦しみがあるものか、人が受けて良いつらさじゃ無い、と思いながら過ごしてきました。 結婚し、子どもも授かりましたが、なぜか、母とのように深く思えません。 どこか「いずれ離れる人」という気持ちがあります。母が死んだら一人になってしまう、という気持ちが強いです。 母の死が怖いです。 また、あの苦しみを味会わなければならないのか、そのときはたった一人で……と思うと恐ろしくてなりません。 母が老いていくのも怖いですが、どうか健やかにたのしく生きていて欲しい、と思うあまり、母の「耳が聞こえなかったのをごまかしてトラブルになる」「なんとかして私の助けになりたいと空回りして迷惑をかける」というような、老いを隠そうとする姿が辛いです。怒ってしまうこともあります。 母は母で、必死なのだと思います。 どうやったら、すこやかにみんなたのしく、未来を楽しみに生きる事ができるのだろうかとそればかり考えてしまいます。 泣きながらタイプしているので、読みづらい部分があると思いますが、どうか教お許しください。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ