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遺骨収集

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

2012年11月に弟が山で遭難しました。
雪解けを待って必死に捜索しましたが、崖から落ちて身体がバラバラに成って脚だけしか見付からず、警察でDNA鑑定を出して貰い、遭難後1年が経ったので裁判所で危難証明を出してもらい去年やっと葬儀が出来ました。
しかし、弟の頭や背骨、肋骨等の遺骨は険しい崖の途中に有るものと思われます。
私の家族や弟の家族からはこれ以上の遺骨収集は危険なために止める様に言われています。しかし、弟の遺骨が判っていながらみすみす寒い中で埋もれて居るのは我慢出来ず悶々としています。
この様な場合は如何考えれば良いのかお坊さんに教えて戴けたらと思います。
崖を捜索するのは、落石の危険が有りと警察に停められている為に捜索隊にお金を出して遺骨収集して貰うのも悩んでいます。

2015年8月23日 9:06

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

遺骨は遺品の一つにすぎない

遺骨は、遺品の一つですが、弟さんそのものではありません。
ですから、収拾しなくてもかまいません。
弟さんはもうこの世にいないわけで、遺骨には寒いとか寂しいとかを感じる心はないのです。
お釈迦様のような、たくさんの人々から尊敬された聖者の遺骨は、仏教では宝物扱いになりますが、
遺骨そのものが大事なのではなく、遺骨を通してお釈迦様やお釈迦様の教えに想いを馳せることが重要なのです。
お釈迦様の遺骨を納めた仏塔(ストゥーパ)を拝むと心が清くなると言われますが、
それも、仏教に想いを馳せたり仏様を見習って人格が成長することを言っているのであって、遺骨自体に不思議な力があるとかいう話ではありません。
そのインドのストゥーパに由来するのが、日本で、戒名などを木に書いて立てる卒塔婆です。
遺骨がなくても、弟さんの卒塔婆や位牌、墓標を拝んだりして、弟さんに想いを馳せることができれば、遺骨があるのと同じなので、それでよいのです。

2015年8月23日 9:47
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

遠くから手を合わせる

峰如水さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

峰如水さんの弟さんが山で遭難されたとのこと。寂しくなられましたね。
弟さんは、山が好きだったのですね。雪山にあえて登山をされたことを考えると、かなりの技術と経験があったのではないかと拝察いたします。

弟さんは、ご自身が愛した山で亡くなられました。何も見つからなければ兄の峰如水さんが心配するであろうと思い、足だけでも見つけることができたのではないでしょうか。弟さんは、好きな山で亡くなり本望だったのかもしれません。

足以外のご遺体を回収することは、弟さんはどう思うでしょうか。峰如水さんや捜索隊を危険にさらしてまで回収を願っているのでしょうか。
私の推測に過ぎませんが、弟さんは山を愛する仲間を危険にさらして欲しいとは考えないのではないのではないしょうか。

遠くからその方向に向かい手を合わせることを、遙拝(ようはい)といいます。折に触れて遙拝し、峰如水さんの弟さんの成仏を願ってほしいものです。

2015年8月26日 23:23
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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...

「お遺骨」問答一覧

母の死と祖母の遺骨

初めての投稿で至らない事があると思いますが宜しくお願いします。 今月の頭に母が末期癌で73歳で永眠しました。 八月の家族旅行から帰宅した数日後に調子が悪いと病院へ行ったところ大きい病院を紹介され検査入院し10月に癌と診断されてからあっと言う間でした。 もっと親孝行したかったのに、、でも母自身が一番、悔し思いをしてしてるのではと後悔ばかりで毎日、涙が流れてしまいます。 恥ずかしながら母の死を迎えるまでは初詣以外、宗教に触れる事が有りませんでした。 しかし、故人の供養、心の拠り所として必要なんだという事がわかりました。 でも、泣いてばかりでは前に進めないので初七日過ぎてから思い出とともに母の部屋を掃除していたところ、風呂敷に包まれた遺骨と遺品がクローゼットから出てきました。遺品から母の母(私の祖母)もののようです。母は結婚する際、実家から勘当されうちは短命家系の為、おばあちゃんは亡くなっていると子供頃に聞かされておりました。 しかし遺品を見た限り、14、5年前までは存命しており施設で生活していたようで写真もありました。私は一度もあった事はなく、顔も写真で初めて拝見しました。 母は何も話してくれず逝ってしまった事に自分が頼りにならなかったのか信頼されていなかったのかと悲し気持ちにもなり、また祖母のお骨がクローゼットにずっとあったかと思うと寂しかったのではとか成仏できてるのかと可哀想になってしまいました。 なので母と祖母を一緒に供養してあげたいのです。 ただ、祖母がいつ亡くなったのかわからないので、来月、母の49日を迎えるのでその際に一緒に供養して頂いて大丈夫なのでしょうか? 祖母はお骨だけで位牌はありませんでした。物心ついた時からお大師様へ毎年初詣の際に護摩札祈祷して頂いていた為、兄と相談して母は真言宗で戒名を頂きました。 今は母のお骨の横に祖母のお骨を置いて毎日、お線香をあげています。 祖母も戒名を頂いて位牌を作った方が良いですか? お墓は経済的に直ぐに用意出来ませんが出来れば母と祖母を一緒に納骨してあげたいと思います。 取り留めのない文章になりましたが、母と祖母の供養についてお知恵をお貸し願います。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

遺骨とは何ですか。魂と霊の違い 法要について

生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

母の遺骨へのお参りについて

おはようございます。よろしくお願いいたします。先日、母が亡くなったのですが、姉妹関係が悪く、長女が分骨した遺骨を、次女が喪主をしたので遺骨を持っています。私は誰の味方もしたくないのですが、長女がお参りはうちにきて分骨したお骨にお参りしたらいい、と言いましたが、我が家に遺骨が無くても、母を想って手を合わせるのはだめでしょうか…次女宅にも行きづらいですし、長女とも今朝、葬儀後の挨拶回りの事で怒られたので行きづらくなりました。 挨拶回りの事というのは、一言言えば良かったのかもしれませんが、姉妹で本来はお世話になった方々に挨拶に回れればいいのですが、そういかなかそうだったので、母が本当にお世話になった方に、姉妹の都合が合わなかったので来ました、と、1人で回り、機嫌を損ねてしまいました。次女には、長女と組んでる、と言われていて、そうじゃないのに、また一緒に回ったらそう思われてしまいますし、次女は一緒に回ってくれなさそうですし、1人で行ってしまいました。間違っていたかもしれませんが、私なりの行動となってしまいました。話がずれてしまいましたが、お骨が手元に無くても、手を出しあわせても、供養になりますか? よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

分骨に対する抵抗を無くすにはどうしたらいいのでしょうか

亡くなった父のきょうだいから、浄土真宗の本山へ喉仏を分骨するよう強制されているのですが、心の中ではしたくない気持ちが強く、辛いです。 遺骨は亡くなった父ではなく魂はそこに宿ってるわけではないということはわかっているのですが、ふとした瞬間に、実家近くのお墓に遺骨すべてがいてほしい、という気持ちがわきだしてきて、どうしようもなく悲しいです。 今まで数ヵ月は、遺骨は実家にあり、なんとなくまだ実家には父が変わらずいてくれている、という感覚でいました。ですが、納骨と、分骨のための遺骨を取り分ける日が迫ってきており、いよいよ父が実家からいなくなってしまうような感じがしており、その影響もあって辛さが増しているような気もしています。 また、インターネットで、喉仏は特別というか、遺骨の中でもメインの部分だということも見かけ、そんな大事な場所がそう簡単に行けない場所に連れていかれてしまう、ということも辛いです。ずっと地元のお墓にいてほしいと思ってしまいます、、、 分骨するよう言ってきている父のきょうだいは、本山に近いところに住んでいるので、分骨してお参りしたいのだと言っています。 その気持ちも解るので、私のこの気持ちはわがままだと思いますし、遺骨や喉仏に執着しているようであまり良くない気もしています、、、 が、どうしても遺骨が遠くへ行くことが辛くて悲しくて、ふと、遺骨を隠してしまいたいとか、本山への分骨の時に遺骨を持って逃げてしまいそうだとか考えてしまいます。 また、この親戚が、これまで母に嫌味などひどいことを沢山言ってきた人間なので、好意的に見ることができないというのも大きいです。 分骨しないというのは不可能なのでどうにか心穏やかにいたいです。 どうかお知恵をお貸しください。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

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