お経
お経が短くなりました。檀家です。奥様(お母さん)は、とても人当たりがよくよい人です。新宿区の曹洞宗です。
前の住職、代理(若住職、修行中)住職のときは、お経が40分以上とお説教があり、ありがたいと感じた。今の若住職、お経5分から10分でお説教なし、戒名のいわれもいえない。
墓参りに来ている方々の口にでている。他の寺から言ってもらえばいいつけたことになるし、他の檀家さんは若いからと。菩提寺をかわろうかと。悪者になりたくない自分がいることに腹がたつが、やはり言いつけたくない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
直接言ってよい
最近は、お経が長いとあからさまに嫌がる人もいるから、気を遣ってわざと短く(速く)している可能性もありますが、
いずれにせよ、40分が10分にとなると、明らかに短くなってるわけですから、
「前の住職さんのときは40分くらいかかりましたが、お経の内容を変えているのですか?」
などと、直接質問すればよいと思います。
法事の席で法話するのも、長くなるから嫌がる(長いと愚痴を言う)人もいて、
あなたのように長くても嫌がらない方はありがたいんです。
若住職にとっては、短くすることが「サービス」だと思っている可能性もあります。
「短すぎるとありがたみがない」と直接伝えてあげてください。
何故 今そうしているのかの真意
まず、そのお寺の若住職さんの立場を慮ってみましょう。
先代、お父さまが早くに亡くなられてしまい、その間、代務をされている方が入られた。
その間、お寺をその方に乗っ取られてしまう➀かもしれない不安もある中、本山修行に励むしかなかった。
お経が短いのは、色々なお檀家さんのご意見を聞いた中で時代に合った形でお経の時間を短めに勤めておられただけなの➁かもしれません。
代務をされていた方も、早くに先代の住職が亡くなられたため、その分、殊更に丁寧にやっていただけなの➂かもしれません。
何せ新宿の一等地の大寺さんです。
代務の方から「自分は10分くらいでお勤めをしていた」という風に伝え聞いたから単に若住職さんもその通りにやっておられたの➃かもしれません。
そして、やがて、この用に不満の声が上がれば、その方が再びそのお寺で返り咲くための策略だったの⑤かもしれません…なんて考えますと怖いですね。
さてさて、ここまでは冗談まじりでしたが、こういう上記の「かも」の部分を仏教では、【実際に真意、事の真相がわからないまま、自分たちの想像、推測の上で物事を観る】姿であって、真実を味わっていいないために妄想、無明の煩悩と言います。(^<^)
・若さんが本山で習ってきた流儀
・留守中にその方がやっておられた流儀
・先代住職様の流儀
・新宿のご多忙の檀家さんの声に応じた、今の時代に合ってたお寺の新たな方針として遂行されている流儀 はそれぞれ皆、異なります。
もし、お経が短いことに不服を感じられるのであれば、お経はいくらでも長くできるものです。そういう不穏な声が上がっていますよ、誤解されていますよ、ということをまず、菩提寺護持のために働きかけて差し上げることも、お檀家さんの役割であると思います。
どうか、一面的に悪意を持ってみるばかりではなく、皆さまで見守って擁護をして差し上げてください。
その若さんは、根はイイ人ですから、おそらく悪気がある訳ではないはずです。
「そんな事がお前ごときに分かるものか」と思われるかもしれません。
実はその人、修行時代もご一緒でしたからよく存じ上げております。
手抜きとか、そういうことではなく、単に皆さんに多く時間を取らせないための配慮であろうと思います。
お付き合いありがとうございます。
ここに書き込まれるということは、まだその若住職をお見捨てでない、ということですね。ありがとうございます。
私のオススメは、お経の時間よりも、法話をリクエストすることです。貴女が以前お聞きになった法話で、何か覚えていらっしゃることはありませんか?「以前、ご先代が、こんな話をして下さった。こんな風に感心したのです」といった程の、シンプルな言い方で良いと思います。できればベーシックな、教科書に載っている、あるいは一休さんに出てくるような話でも。「法話があると嬉しいです」というメッセージ。
ただし、法話は、人生ある程度歩んでいかないと腑に落ちないので、若い方はどうしても上滑りした話になりがちです。それを理由に「若いうちは法話をしない」という方もあります。自分自身、道場終わってすぐは、「教科書通りですね、お上手〜」と言われたこともありました。
そんなわけで、相手が遥か年下ゆえ、心に沁みる法話はなかなかハードルが高いのではないかと推測します。すると残るは、「一言で・あるいは簡単に答えられる質問」をして、その答えを取り敢えず法話として受け取る、ということでしょうか。
私が修行を終えて直後、一番多く言われたのが、「大変だったでしょう、厳しかったでしょう、辛かったでしょう」というものでした。「修行の生活は、どんな様子でしたか?」とか。今から振り返ると、「お檀家さんと話す・コミュニケーションする」ということにつき、リードして練習台になって下さったのかな、と思います。
取り敢えず時間は掛かるでしょうけれど、そうやってコミュニケーションが繋がるようになり、「自分に期待してくれている、住職になったことを認めて(喜んで)くれる」という目で接してくれるようになれば、苦言を呈しても悪者にはなりますまい。「あなたを応援している、信頼している」という文脈でお話すれば、糧にできるのではないかと期待します。
下世話な話ですが、私が坊さんの資格を取ってすぐに、何かと話を振って下さった方は、そういう意味で特別な思い出があります。いつかあなた様が目を閉じられたとき、彼はきっとあなたとの思い出を、周りの方にたくさん伝えてくれるでしょう。