自分が嫌いでたまらないです
幼稚園の頃から学生時代ずっと内向的な性格で人とコミュニケーションがうまく取れず、みんなから陰口を言われ、嫌われてきました。
初めて会う人は、私の事を口を揃えて、おとなしいとか暗いとか普通と違ってると言います。どうも人とは少し違ったオーラを放ってるようです。
見た目とこんな性格の為、意地悪な人間にすぐに目を付けられ、いじめられたりしたので、もう生きていくのも辛くなり何度か自殺も考えました。でもその時は、自分を育ててくれたお父さんやお母さんに悪いなと思って、思いとどまりました。
自分の事が本当に嫌でたまらないです。周りと自分を比較してしまい、なんで自分はこんな性格なんだろう?、なんでこんな頭悪いんだろう?、普通の人とどこが違うのだろうと、度々自己嫌悪に陥ってしまいます。
お坊様方も、自分の事が嫌になる事はあったりしますか?
どうやったら自分の気持ちが楽になるのか、何かアドバイスを頂けないでしょうか?
いつもくだらない質問ですいません。ご回答よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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くだらない質問?
前回、縫いぐるみの質問をされましたね。私もずっと昔、「シロクマちゃん」という縫いぐるみが大好きで、ほつれて来たのを母に直してもらう時、針を刺される姿を見て泣きました。実は、今でもとってありますし。
さて「心の拠り所が縫いぐるみである」、大変良かったと思います。多分、ほとんど「お仏壇の本尊様」か「ご先祖のお写真・お位牌」に近い存在なのでしょう。大切なのは、「拠り所がある」という事実で、それが布でできていようと金属だろうと木製だろうと、ほとんど差はないという事です。「心の拠り所?そんなの、ないよ」と答える人の何と寂しい事か。結婚していても家族が多くても、「ない」人は寂しい人だと思いますよ。
さて、質問を読んでいて引っかかるのは、「くだらない質問ですみません」という締め方です。これ、謙遜ですか?少なくとも癖になっていませんか?
これね…「じゃ、これに答える私は"くだらない問いに答える坊さん"ってことかい?」と微かに思うのですよ? これ、貴女にとって「くだらない問い」じゃありませんよね。「世の中から見たら下らないでしょうけれど」、という予防線でしょ?それ、止めた方がいいですよ。
方法は簡単。言葉の順番を入れ替えるだけです。「下らない質問かも知れませんが、私にとっては真剣なんです」って。その順番で言われると、言われた方も「じゃあ、ちゃんと関わってみようかな」という思いになるものです。
「内向的」である事自体が悪いとは、全く思いません。自分に対する思索の出来る人だという事だから。でも、人とコミュニケーションするときは、最初からエクスキューズしない方が良い。「どうせ私なんか…」という自己像を守ることが第一になっている人と映るから。会話やコミュニケーションは、自分が変わる可能性を飲み込んで(了承して)行うもの。「私にとっては真剣なんです」は、変わることを辞さないという表明でもあるのです。
質問者からのお礼
佐藤良文 様
私の質問に丁寧に回答して頂きまして、本当にありがとうございました。
前回のぬいぐるみについての質問にも触れて頂いて。共感して頂けて、とてもうれしいです。
確かに「お仏壇の本尊様」か「ご先祖のお写真・お位牌」に近い存在なのだと思います。これは、恥ずかしくて前回の質問には書かなかったのですが、その溺愛してるぬいぐるみに、飲み物やお菓子を与えています。兄にそれを話したら、「仏さんみたいやなあ」と言われました。
心の拠り所があるのは、良い事ですね。
佐藤様も、シロクマのぬいぐるみ、ずっと大事になさって下さいね。
それから、回答して頂く僧侶の方に不愉快な書き方をしてしまったみたいで、すいません。
「くだらない質問」についてですが、取るに足らないという意味で書きました。もっと深刻な悩みで質問してる方もたくさんいる中で、「こんなん質問のうちに入らないやん」って思われるような、質問するほどの事ではないのでは?と思われるような質問という意味です。
もちろん、自分は真剣に悩んできた事で、いい加減な質問をしたつもりではないですよ。
他の人が読んでっていう意味です。これから書かないようにします。
読んでいて、色々と参考になりました。
またご縁がありましたら、よろしくお願い致します。