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人並みに人生を送れない

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はじめまして。
いつも悩んでいて苦しいので、相談に乗ってください。
私は、パニック障害という病気を持っています。ですので、身体に負担がかからないよう、非常勤として働いています。非常勤は、アルバイトのような賃金で、収入もあまりありません。
そして、結婚も縁も自信もなく、年ばかり取り不安です。
男性に出会っても「子供を産んでくれ」と言われます。ですが、私は嘔吐恐怖症で、つわりで吐いたら何も食べられなくなってしまうのではないか、(以前そのようなことがあり、苦労しました。)と思い、子供を作ることも恐怖です。
何も、人並みにできません。つらいです。もっと稼いで、家庭も欲しい。病気も治したい。
こんなことを考えて、悲しくなってしまいます。
もう、30才を過ぎたのに、何もできません。どうしたらいいですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手にしてきたものが自分の「仮の想定」なのでは?

パニック障害という言葉を誰かから言われたとしても、そんなもんは捨てて超単純に考えましょう。
これでパニック障害が治った人もいますから真剣に読み抜いてください。
('∀')
私はパニック障害ではなく、単に「こうなったら嫌だナァどうしようイヤだなァ症候群」だと思ってみましょう。
何かがきっかけでスイッチを押されると「こわいな、あ-絶対ヤダ」っていう自分の過剰な反応に苦しまされているのです。
パニック障害とかパニック症候群とか、たいそうな名前を付けると人は特殊な病気であると考えてしまい、医者の言いなりになって薬を飲まないと治らないと考えてしまう人は多いそうです。ですが本質はどうでしょうか。
今あなたは別にまだパニックになっていません。
パニックって、パニックになった時しか「パニック」じゃありません。
今はシラフです。
パニックになるのは。なにかがきっかけでスイッチが入った時だけです。
ただの「取り乱し」だと思いましょう。
そこでやっている事の中身は、自分の中で想起された💀最悪の事態💀を想像して、それが現実味を帯びて取り乱してしまうのではないでしょうか。しかも、8割9割、そうなった訳でもなかった。
その時相手にしてしまっているのは、実際の現実ではないものです。
虚像である自分の心の作りだしたマボロシを相手にしてしまっているのです。
あなたが恐れるものは「そうなったらイヤだ」ということで、それを過剰に意識して心が千々に乱れてしまいますが、そうなったケースはどのくらいの割合だったでしょうか。
「現実の実際」を見届ける訓練をなさってください。
少しずつ、あなたの妄想を見るより、あなたの目の前で起こっている実際を見る努力をする事でパニック症候群は治ります。
あなたが傷つく、不安になるのは、実際のものではないのです。自分の思いの方なのです。
コピペしてプリントアウトしてトイレに貼って、この文章の趣旨が分かるまで実践してください。
パニックになりそうな時こそが、それを見極める機会でもあります。
その時に、思いの世界に目が向いている自分を見届け、実際の事実の方にのみ、心を注ぐのです。少しずつダメージは減っていきます。
事実はあなたを傷つけません。
想念があなたを傷つけているのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

親切丁寧に回答下さり、ありがとうございます。
「こうなったら嫌だなぁ症候群」は、妙に納得しました。まだまだ、理解しきってはいないと思いますが、確かに「吐いたら気持ち悪いなぁ。吐いたあとご飯食べれんかったら怖いなぁ」という、妄想が怖いのでしょう。割りと、妄想するのが趣味だったので、裏目に出たようです。
鍼灸を始めたら、割りと薬を飲まなくて良くなってきたので、続けながら、「こうなったら嫌だなぁ症候群」で乗りきれたらと思います。
また、相談に乗ってやってください。
ありがとうございます。

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