心より
全国のお坊さんの話し聞いたり、心理学の本読んだりして過ごしてました。結局は他人は変えられないのは事実なわけで自分をかえられるのも事実なわけで「変われよ」って思いました。今は職場を対象として悩んでるけど学生の時も友達関係で悩んでたな~。不登校にはならなかったです。自分の人生に他人が入って自分が泣くのが悔しくて「ふざけるな」て登校してた日を思い出した。それが逃げなかったという表現がふさわしいのかは分かりませんがとにかく気が強く気にしぃの性格で。根本的な性格は何歳になっても変わらないですね😄この性格が良くも悪くも使うのは自分だからうまく操作しないとなと思いました。職場に限らず人との関係が不得意な分野なので何度も同じ事でつまづく私は馬鹿だと思いました。意固地になるではなく本当に自分が悪いと思う事は謝罪の気持ちを伝えるけど人の態度が悪いからといつまでも自分の事責めて人に萎縮するではなくその都度リセットしなくてはと思いました。そして自分のするべき事をして人の態度が自分のやるべき事を明らかに邪魔するのなら事と次第によっては一言やめろという事も大事でただ黙って我慢するのはその自分にも問題があるなと思います。今で表現するならば職場は仕事の場なので仕事をしてさし支えある事はやめての一言申して同じ土俵には上がらない事が必要。いちいち悲しくなってると自分の人生が人のために涙になるのは嫌です。体の事は予言できないので謝ってもう2度とないといっても無理があります。だからその時は迷惑かけたわけですから謝って今後も最善をつくしそれからの事は「今、ここ」を全力で過ごす。過去を取り上げて「休むばかりでうざい」と思う人の気持ちはきっとそんな人が多いだろう。だからといって首根っこつままれた様にいつも萎縮して好き放題言われてというのは謙虚とは違うしおかしい。迷惑かけた事にはお礼と謝罪の心をもちその後は今を頑張り前を向きと思いました。迷惑かけた気持ちをいつまでも引っ張られて態度にされるのは人の気持ちだからそういう人はそうしかできないのだからそれに便乗する様に悲しみ、怒りの念を持つのは自分が同じ土俵にたつのと変わらないなと。嫌われても自分はリセットしてその時その時をと思いました。今の現状でお話ししたのですがどこでも同じでこんな気持ちも持たないとと。簡単にすみませんも使わずありがとうと。
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これからの日々を
拝読させて頂きました。あなた自身が周りの人たちと一生懸命関わりながら努力なさって生きていることが伝わって参りました。頑張っていらっしゃるのですね。
どうぞこれからも周りの人たちと共にに喜びも悲しみも分かち合いながら助け合い、お互いを尊重しあい充実した毎日をお過ごし頂きますようお願い申し上げます。
あなたの人生はまだまだ始まったばかりです。これからもきっと大切な出会いや経験が待っています。
合間合間には心も身体も休めてリセットなさって頂き、また挑戦なさっていってくださいね!
あなたの未来が皆さんと共に素晴らしい日々でありますようにと心よりお祈り申し上げます。
よかったですね。
まことに「やり取りをする」というのは、一面自らを晒すことではあるのですけれど、それ故に真摯に学ぶ基ともなるのですね。今まで重ねてこられた問答から、せいらさんなりに「こうか!」と思って戴いたこと、受け止めて戴いたこと、有り難いと存じます。
さて、一冊の本でも「なるほど!」と膝を打つ所は、実は2〜3行だったりします。その簡潔さが、次の自由〜「あれ、これは、あそこで言われたことではないの?」という応用に活きてきます。ですのでね。
全部をいきなり身に付けようとせず、箇条書きのようにしてみてはいかがですか?いきなり沢山の信条を持つというのは、本当にしんどいものです。ポストイットのノートに書ける、一文程度に凝縮して、それをいくつか作ってみては如何でしょうか。
日々を過ごす中で、「あれ?今日のあれは…」にヒットしやすくなるような気がします。学ばれたことが、せいらさんの生活を支えてくれるものになっていきますように。