生死について
はじめまして、こんにちは。
3年程前からふとした瞬間に消えてしまいたいと思うことがあります。元々心が弱く、酷いときは自責の念に駆られ、自殺方法を模索するところまでいきます。
先日、指導者に「愛想がない」「指導しているときにムッとするときがある」「指導されるのが嫌なら、やめたっていいんだよ」と言われ、呆然としました。
自分としては、真剣に聞いているつもりでしたし、指導してくれることはありがたいと思っています。泣くのをこらえていた表情を誤解されたのかもしれません。(泣き虫なので)
何も返せなくて、こんなに役に立たない迷惑な私は今すぐ死んだ方がいい。そう思いましたが、以前相談した母に泣かれたことを思い出し、死んではいけないとも思うのです。
死ぬことが誰かを悲しませることで、愚かなことであることも理解しています。しかし、心の整理に遺書を書き、試しに首を軽く絞めてみると、心が軽くなることも事実なのです。
きっと家族がいる限り自ら死ぬことはないと思いますが、この気持ちとどう折り合いをつけていけばいいかがわかりません。
もしお時間がありましたら、返答いただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死なない覚悟と死ぬ覚悟があれば大丈夫
胡蝶さん
感受性が強くて繊細な人は、生きてることがけっこう大変です。
風が吹いて来たとか、夕日が沈んでいくとか、そんな些細なことでも、ふと死にたい気分になったりすることがあったりします。
まして今回のように人から誤解されたり、否定されたりすると、死にたいボルテージがあがってしまいます。
あなたは、死ぬことが誰かを悲しませることとわかっています。そして家族がいる限り死ぬことはないと決めています。だから、ふとした瞬間に消えたくなるのはこれは「気分」です。良いも悪いもないただの気分だと思って「いまはそういう気分なんだな~」と思いましょう。
気分は空にある雲のようなもの。心という空にに雲が出てきて、太陽を隠してしまっている。ときには雨を降らせたり、何日も曇り空だったりするけど、そのうちその雲は流れてなくなります。無常だから変化していく・・・。だから死ななくて大丈夫。
心の整理に遺書を書くのは、生きるためにも良い方法です。人はいつ死ぬかわかりません。年齢に関係なく今日かもしれない、明日かもしれない。死ぬということをほんとうに自覚することで、逆に人は生きる力を得るのです。
指導者の立場で、あなたの態度を見てムッとしたり、嫌ならやめろみたいないい方をする人は、まだまだ未熟者、なんの覚悟もできていない。
あなたはそんな人よりも強いです。家族がいる限り死ないと決めている。同時に遺書を書いて死ぬ覚悟もできている。それなら、なにも憂慮することないでしょう。愛想がないといわれても、何も言い返せなくても。
「死なない覚悟」と「死ぬ覚悟」ができているなら、怖いものなんかないのだから、あなたのいのちを社会のために生かしてください。あなたはそれができる人です。応援しています。仙如
質問者からのお礼
仙如様、回答ありがとうございます。
消えたくなる衝動は気分、と考えるととてもラクになりました。ありがとうございます。
やめるわけにも行かないので明日が来るのが怖いですが、その日が最低だったと思えばあとは這い上がるだけですよね。
まずは明日一日を乗り切ってみようと思います。ありがとうございます。